〈33〉感傷
フォードは城内の、ステンドグラスの光降る一角で、厳かに瞳を閉じて佇んでいた。愛用の剣を鞘ごと床に下ろし、己を支える杖のようにして体を預ける。
先王の願い――。
結局は、王弟を王座に据えるしか道はないのだろうか。
あの時。
もし、あの時、『彼』が生きていたならば、どのような未来がやって来たのだろうか。
先王の望みは本当の意味で叶えられたのだろうか。
今の自分は、過去ばかりを悔いて、迫り来る現実から目を背けている。そう言われてしまえばそれだけのことだ。
もうすぐ、戴冠式が始まろうとしている。
先王の願いと、あの王弟の願いは、重なるだろうか。
今、あの王弟は、式を目前に何を考えているのだろう。
どうしても、不穏な気がしてならなかった。
それに、レジスタンスたち。
本気でこの城まで乗り込んで来るつもりだろうか。
――だとするのなら、相手をするだけだ。
ただ、本気でこんな場所まで登り詰めることのできる人間がいるのだとしたら、それこそ大器であり、国を統べるに相応しい人物なのかも知れない。
そんな風に思って、フォードは苦笑する。
どこまでも、往生際が悪い。
「我が君、私は――」
カツン、と靴音が鳴った。
フォードが顔を上げると、そこには儀礼用の正装をしたネストリュート王子がいた。黒地に煌びやかな絹糸がまばゆい。
この王子に関しては、見慣れるということができそうもなかった。
そうして、背後に、美しい黒髪の少女を連れている。
それはいつものことなのだが、この少女は人を見透かすような瞳をする。ガラス細工のような脆さと、どこか硬質な冷たさ。不思議な少女であり、フォードは少し、彼女が苦手であった。
「将軍、このようなところでどうなさいました?」
流麗に発せられる王子の声に、フォードは苦笑した。
「少々、感傷に浸っておりました」
すると、王子はクスクスと笑った。
「随分と、正直に仰るのですね」
「ええ。今日はこの国にとって、大きな変化となる一日ですから」
王子は優雅にうなずく。
「確かに、そうですね。では、そろそろ、あちらに――」
「はい」
レウロス王、ジュピト王弟、この二人の姉であるクランクバルド公爵。
彼女は、本来であればこの場所で戴冠式に参列するはずの人間だった。その孫であるユミラ少年も同様だ。
けれど、この公爵には黒い噂が飛び交っていた。
レジスタンスと接触を続けているという。
真相は、白も黒も、どちらでも同じだ。どちらであっても、手出しはできない。
この場に呼ばなかったことが、重鎮たちが噂を肯定している証だろう。噂を理由に、これ幸いと呼ばなかったと言った方が正しいのかも知れない。
公爵がこの戴冠式を快く受け入れないと危惧したのだ。公爵の横槍が入れば、また事態は迷走してしまう。
ただ、あの公爵、そう大人しい婦人ではない。自らの意思で動くことだろう。
どのように動くのか、それは読めないけれど、必ずやって来る。そんな気がした。
フォードは、ネストリュート王子と共に歩み出した。
あの王弟が、正真正銘の王となる時が迫り来る。
けれど、その場に慌しく駆けて来たのは、フォードの上の息子であるレイトルだった。表情を強張らせ、自分たちの足元に目を向けるようにしてひざまずく。
「……どうした?」
そう問うと、レイトルは顔を上げた。けれど、瞳が定まらない。隣に立つ王子の存在が、この息子には眩いのだろう。
「はっ……、レジスタンスの一団が、城に進入したとのことで……」
あの守りを突破したというのだ。ただの民間人が、あれだけの兵士を退けたと。
民間人が、数を頼みにしただけでそれが成せるものだろうか。
すると、王子は不敵に笑った。
「なるほど。では、私が赴きましょう。将軍は、ジュピト様をお守り下さい」
「王子?」
貴賓である王子にけがなどあってはならない。この王子には側近がおり、王子自身も剣術は達人級だと聞くが、万が一ということもある。そう簡単にうなずけるものではなかった。
けれど、王子はむしろ楽しんでいるように感じられる。
「私の命を取れば、どのような結果になるのか、レジスタンスたちも承知していることでしょう。私の心配は無用に願います」
確かに、この王子の安否が、今後のレイヤーナとの関係を左右する。戦争になど耐えられる状態ではないことくらい、レジスタンスにもわかるはずだ。
返事を返せなかったフォードに背を向け、王子はレイトルの来た方向に去る。フォードは目配せし、レイトルにその後を追わせた。あれが王子にとって足しになるのかはわからない。
あれは、下の息子ほどの才覚がないのだ。残念ながら、それは認めざるを得ない。
ただひとつ、評価できる部分があるとするならば、弟とは違い、父に従順であること。
それだけだ。
フォードは、心を決めて七色の光の下から歩み出した。




