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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅰ

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28/311

〈26〉ありがとう

 箱型のこの監獄は、四隅に階段が設けられている。

 レヴィシアたちが下りて来たのは北西の階段だった。一階に着けば、まっすぐに伸びた廊下に兵士の姿がある。けれど、彼らは、とっさに隠れたレヴィシアたちには気付かないまま、慌てて駆けずり回っていた。

 ユイたちが向こうで暴れているのだろう。剣戟の音と叫びが届く。


 レヴィシアとルテアは、うなずき合うと足音を潜めて廊下を進み、張り詰めた空気の中で角からその先をうかがった。

 そこはやはり、混戦模様だ。

 かろうじてわかるのは、レヴィシアたちから見てラナンが手前にいることだけだった。ラナンは幅のある剣を巧みにさばき、防戦している。その背に、助け出したと思われる囚人服の青年を庇っていた。


「加勢して来る!」


 ルテアは短槍を握り直し、飛び出した。


「あたしも!」


 レヴィシアもそれに続く。ラナンが弾き飛ばした一人を、ルテアが槍を旋回させて打ち、すかさずその背を蹴り込む。レヴィシアも向かって来る剣を滑らせるように受け流すと、ひらりと体をひるがえして肘を叩き込んだ。その兵士の頚椎を、ルテアが槍の柄で強打する。

 ルテアとは不思議と、打ち合わせがなくても連携が取れる。組むと動きやすかった。

 その間に、ラナンも兵士二人をのしていた。


「無事だったみたいだな。さすがにしぶとい」


 ほっとしたくせに、憎まれ口を叩いて笑うルテアに、ラナンが軽口を返すことはなかった。息遣いが荒く、激戦だったことを物語っている。

 ふき出した汗を素早く拭い、ラナンはレヴィシアを一瞥した。


 すると、その背後からロイズを連れたリッジとサマルが追い付いて来る。やつれ、くたびれているものの、その姿を目にした『ゼピュロス』のメンバーは、ようやく晴れやかな表情を見せた。ロイズ自身、彼らとの再会に、心底安堵したようだった。

 けれど、再会を喜ぶのは後だ。

 ようやく息をつけたラナンが、一角を指さす。


「ルテア、シェインの辺りの助太刀を頼む。ただし、邪魔になるなよ」

「なるか! ……ったく」


 ルテアはしぶしぶ動き出す。向こうはまだ、敵味方の判別も難しいような混み具合だった。

 レヴィシアもその後に続こうとしたが、ふと思う。何かが変だ。

 そこで、ようやく気付いた。


「ねえ、ユイは?」


 そうだ。彼がいれば、こんなにてこずるはずがない。

 ラナンは騒音の中、隠すことなく事実を口にした。


「上の階で戦ってる」

「え……」

「一人、手強いやつがいて、そいつの足止めをしてくれてる。……けど、ユイなら勝てる。そうだろ?」


 大丈夫。

 そう言われてうなずけない。


 あの時、父が討たれた時、思い知ってしまったから。

 どんなに強い相手にも、上がいるということを。

 それまでは、父より強い人なんていないと思っていた。

 父だけは特別で、どんな殺意も退けられると信じていた。

 それが、現実にはひどく呆気なく――。


「駄目!!」


 ユイが殺される。死んでしまう。

 目の前が暗くなった。

 自分がいない場所で勝手に死ぬなんて、許せない。

 思わずきびすを返しかけたレヴィシアの腕を、ラナンがとっさにつかんだ。


「放して!」


 振り払おうともがく。それでも、ラナンは腕を緩めるどころか、いっそう力を込めた。びくともしない腕に、気持ちは焦り、泣きたくなる。


「やだ……」


 かぶりを振り、涙を浮かべたレヴィシアに、ラナンは普段は見せないような厳しい面持ちを向け、低い声で叱責する。


「行こうなんて考えるな。聞き分けのない子供みたいな真似は止すんだ。ユイで勝てないなら、誰が行っても同じだ」

「でも!」

「ユイは戻るって約束した。あいつを一番よく知ってるのは、レヴィシアだろ? だったら、信じてやれよ」


 ラナンの言葉は正しい。頭の端では理解している。

 けれど、心が受け入れることを拒んでいた。

 口に出せずとも、それが伝わったのだろう。押し黙って返事をしないレヴィシアに、ラナンは嘆息する。


「どうしても行くのか? リーダーが、ここにいる仲間を見捨てて?」


 ひやりとする声。その冷たさに、レヴィシアは思わず顔を上げた。


「それは……」


 見上げた顔は、普段の温和なものではなく、本気で怒っているのだと知れる表情だった。


「そんなことをしたら、俺は一生許さないよ。どうしてもと言うなら、殴ってでも止めるからな」


 痛い言葉だった。

 言われたことよりも、言わせてしまったことが痛い。

 言いたくもない言葉で叱ってくれる人なんて、そうそういない。甘やかすだけの優しさとは違う奥深さを感じて、心が痛んだ。

 ルテアが全幅の信頼を置くこの人は、厳しく諭してくれる、優しい人だ。


「わかった。ごめんね、ラナン」


 レヴィシアはようやく体の力を抜いた。それを知り、ラナンも手を放す。


「謝らなきゃいけないのは、俺にじゃないよ」

「じゃあ、ありがと」


 素直なその言葉に、ラナンは状況も忘れて苦笑した。


「うん。……さて、俺たちも加勢しないとな。サボってると怒られるぞ」


 不安がなくなったわけではないけれど、それでも約束は守ってくれる人だ。

 戻ると言ったのなら、戻る。必ずと言ったら、必ずだ。融通も何もない。

 きっと、大丈夫。今はそれしか考えない。


「そうだね。ラナン、疲れてない?」

「シェインとティーベットよりは、今休んだから」


 すると、ロイズを支えたまま、ずっと静観していたリッジが動いた。


「僕とティーベットが交代するよ。ティーベットならロイズさんを負ぶえるし、その方がいい」


 するりと横を抜けるリッジを、レヴィシアは止められなかった。

 ある程度の抵抗は覚えているのに、それを飲み込んだ。

 人が死ぬのは嫌だと思いながらも、追い込まれると容認してしまう。近しい人が死ぬのはもっと嫌だというエゴだ。止めてと口にすることさえできない。

 ごめんなさいと心で謝る。免罪を求めるには安易な行為だと思いつつも、それを繰り返す。



 ティーベットは、ほぼ素手で暴れていた。武術の心得のない彼は、昔からめちゃくちゃな戦い方をしていたけれど、怪力なのでそれはそれで強い。ただ、近寄ると味方でも危ないけれど。

 なんとかして、ティーベットを呼び寄せる。


「ねえ、ロイズさん、一人で負ぶえるよね? 頼める?」

「え? あ、ああ」

「お願い」


 そうして、その場に留まったまま、レヴィシアも短剣を引き抜く。

 けれど、レヴィシアに向かって来た兵士の顎を、細い棒が突き上げた。ルテアの槍の柄だった。

 さすがに疲れて来たらしく、ルテアは引きつった顔をして、すぐにまた槍を構え直した。


 そうこうしているうちに、外套を翼のように広げたリッジが、混戦の只中に立つ。微笑すら浮かべ、撫でるように人を屠るさまに、一部のメンバーたちは狂喜した。

 仲間を拷問によっていたぶられ、亡くしてしまったのだ。渦巻いていた暗い感情が、あふれ出す。

 彼らにとって、リッジは殺戮者ではなく、まぎれもなく戦神で、救いなのだ。

 複雑な思いを抱えながらも、レヴィシアは戦局が収束して行くのを感じていた。

 リッジの容赦のない手から逃れようと逃げ出す者も多かった。彼も深追いはしない。


「そろそろ抜けられる。……行こう」


 息も乱さずに、リッジが言った。

 大扉は、開かれたままだ。外には夜の闇が待っている。後は、紛れて逃げるだけだ。

 レヴィシアは、死屍累々のその場を抜けた。靴底に血がこべり付き、ぬめるような感覚がある。それを感じて震えたけれど、表に出さないように努めた。

 そして、何度か振り返る。


「レヴィシア、急いで」


 リッジの声に、うなずく。


「う……ん」


 けれど、心はここにない。うわの空だ。

 早く戻って。ここに、早く、と。


「早く……!」


 祈るようにつぶやいた。

 今まで、願って叶わなかったことの方が多いのに、まだ祈らずにはいられなかった。

 そうして――。



「レヴィシア」


 涼しい顔をして駆け戻って来たユイに、どんな顔をして、どんな言葉をかければいいのか、まるでわからなかった。

 ただ、感情の赴くままに、レヴィシアはユイの胸に飛び込んでいた。間違いなくにここにいるのだと、確かめるように。

 あふれる感情に整理は付かなかったけれど、一番言いたいことは、結局ひとつだった。


「生きていてくれて、ありがとう」


 こんな言葉が、自分の口からこぼれるなんて、思わなかった。

 それでも、これが素直な気持ちだった。嘘はない。


「うん……」


 短い返事。

 ユイは今、何を思っているのだろうか。

 目を開いた時、レヴィシアの眼前には、破れたシャツを染め上げる血と、すでに慣れてしまった鉄臭さがあった。シャツが黒かったため、近付くまで二の腕の傷に気付けなかった。


「けがしてる!」

「ああ、少しかすっただけだから」


 まるで人事のように言う。レヴィシアの方がよっぽど痛い顔をした。

 深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、レヴィシアはユイのけがのない方の手をそっと引いた。


「帰ろう」


 その一言に、うなずく姿が見たかった。

 ようやく、願いが叶った。

 

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