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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅶ

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〈26〉城門前の軌跡

 シェーブル城――。


 その外観は、白と薄茶色の調和した建築物である。周囲に張り巡らされた城壁は、そう高くない。細いいくつかの尖塔が、そこに調和している。そして、その先端が、青い空と白い陽光の中に浮かび上がっていた。

 やんごとない王族の住まう城であったはずが、威圧するような絢爛さはない。どこか、穏やかでおおらかな印象すらある。

 それは、この国が以前は平和であったことを表しているのかも知れない。

 けれど、今は違う。



 その王城の城門前広場に、多くの兵が集結している。あの、ネストリュート王子の歓迎式典が催された場所だ。

 戴冠式は城内にて、密やかに行われるのだろう。危険が伴うこの場に、王弟の姿などあるはずもない。

 広場を囲むように設置されたバルコニー付きの高台から、ザルツたちは式典を見下ろしていたのだという。今、その高台には、弓兵が配置されていた。迂闊に動けば蜂の巣にされる数だ。


 恐怖心が、ないはずはなかった。ただ、これは最初からわかっていたこと。

 ここまで、多くの兵士を蹴散らしながら進んだけれど、王城を目の前にすると、そこには更にびっしりと、目が痛くなるような数の兵士がいる。深緑色の制服ではあるけれど、彼らは腕に腕章を付けていた。それに、よく見れば制服の型が違う。どこか上等なものだった。それらが意味することを、レヴィシアはようやく気付く。


 あれは、近衛兵だ。

 王を最も近くで守った兵士たち。

 その指揮は、ユイの父親、フォード将軍に他ならないはず。

 けれど、将軍の姿はそこにはなかった。

 待ち受ける近衛兵たちの中、レヴィシアたちは突進するわけには行かなかった。いくらユイたちでも、それでは勝算も何もない。

 もうすぐ到着する『切り札』を待つ。それまで、持ち堪えなければならなかった。



 近衛兵たちも、高台の弓兵たちも、レジスタンスの存在に気付き、体勢を整える。号令の声が聞こえた。

 けれど、『切り札』は、このタイミングを逃すことなくその場に到着する。


 その一触触発の緊迫した状態に割り込んで来たのは、石畳の上を走る馬車の音だった。

 車輪の音、馬の蹄鉄の音、鞭の音。

 このひしめき合う混戦の最中さなかを、馬車が駆け抜けて来た。その小振りな馬車は、頑丈で豪奢。そして、その馬車には大々的に、薔薇を象った家紋が施されていた。


 いかに混戦状態であろうとも、その馬車を退けることはできない。襲うなど、もってのほかだ。

 馬車は、臨戦態勢の肌に刺さるような空気を無視し、堂々とレジスタンスと兵士の間に停車した。待っていたはずのレヴィシアたちでさえも唖然としてしまう。


 王国最高の名門貴族にして、先王の姉であるクランクバルド公爵。その公爵家の家紋の入った馬車。御者も毅然としたものだった。

 その馬車の扉が開く。



 こんなにも堂々とやって来るとは、やはり常人には測れない人だった。

 開いた扉から、真っ先に降り立ったのは、公爵家の執事、レーマニーである。このような場であろうとも、まるでパーティーに主と共にやって来たように、優雅な所作だった。


 馬車の中から現れた小さな手。

 宵闇のような色のドレスの裾。そのスパンコールが煌く。

 いつもと何ひとつ変わらず、公爵は白手袋の手を差し出す。その手を、レーマニーが取った。


 威光を振り撒くようにしてその場に現れた老婦人――セデリーナ=ファス=クランクバルド公爵。

 その薄青い凍て付くような瞳は、こんな状況でさえも変わることはなかった。いつも冷徹に、世界を見据えている。


 ざわざわと、兵士たちが騒ぐ。それも、無理のないことだ。

 長く王に仕えていた近衛兵たちでさえ、公爵の気迫にはあてられてしまう。

 公爵は、常に揺らがない。一度、城を見上げるように顔を上げると、不意に振り返った。

 その瞳はレヴィシアだけに向けられている。

 どきりと胸が高鳴った。

 そして、年齢よりもずっと張りのある、よく通る声が、その小柄な体より発せられる。


「レヴィシア」


 名を呼ばれたのは、初めてのことだった。驚きから、返事が遅れる。それよりも先に、公爵の二の句が告げられた。


「来なさい」


 はっきりと、周囲にこの関係を示す。けれど、不安を感じるのは周囲ばかりで、公爵にその暗い色はなかった。だからこそ、レヴィシアは決意を固め、はっきりと答える。


「はい!」


 ユイ、ジビエ、ニカルドたちもそれに続く。兵士たちはいったん攻撃の手を止めた。公爵の出方を窺っている。

 レヴィシアが公爵の視線をまっすぐに受ける中、馬車からユミラとザルツが降りて来る。


「ここまでは辿り着いた。後は――」


 と、ザルツも城の上方を見上げる。彼が見上げるのは、歴代の王が国を見下ろして来たバルコニーだ。


「ついに、目前です」


 そう言ったユミラの声も、興奮からか震えていた。

 一番街で、レヴィシアたちを追って来た兵士の部隊は、気付けば二番街の方へと引き返していた。そちらも苦戦を強いられているため、応戦に向かうしかなかったのだろう。

 こちらは近衛と矢を番えた弓兵が待ち構えている。兵力が必要なのは向こうだと判断したようだ。



 ただ、そうして、城門前の緊張が高まる中、ただ一人の人が動いた。

 優雅に、厳かに、まるで絨毯の上を滑るように歩く時となんら変わりない足取りであった。

 誰もが唖然と、声を出すことさえ忘れていた。その場はシンと静まり返る。甲高い、鳥の声が耳に響く。

 公爵の歩みに、レーマニーが数歩下がって従った。


 この数の兵も、番えられた矢でさえも、彼女には意味を成さなかった。

 堂々と、威厳に満ちたその存在に、弓兵たちは戸惑い、まばらに弓を下ろす。

 レヴィシアは、そんな公爵の背を、祈るように見守った。身を挺して道を切り開く姿に、この国の最後の王族としての責務と、それを捨て去る覚悟を見た。


 その姿に気圧され、厳しい規律の中にある近衛兵たちでさえ、列を乱し、徐々に下がり始める。そんな時、レヴィシアの視界の端で、ひらりと何かが動いた。

 それは、ユミラの束ねた長い髪の先であった。


「ユミラ様……っ」


 ユミラは小走りに祖母に近付くと、その隣に並んだ。公爵は、そんな孫に値踏みするような視線を向ける。ユミラは、それを受けても尚、微笑んで返した。


「僕もお供いたします」


 この状況に微笑んでみせる孫に、公爵は彼の未来を見たのかも知れない。言葉はなく、浮かべたそれは、珍しいほどに満足げな笑みだった。

 公爵と肩を並べ、歩くユミラの姿は堂々と、その血筋も何も関係なく、その思いを、今ここに存在することを誇っている。少なくとも、レヴィシアはそう感じた。

 手出しも出来ず、後ろに下がるか横にそれるしかない兵士たち。城門へ向け、歩み続ける公爵たちにより、道は徐々に開かれて行く。


 けれど、近付けば近付くほどに、兵士たちにも不安と焦りが広がって行く。冷静ではいられなかったとしても不思議ではなかった。錯乱したように大きく叫ぶ声が遠くから聞こえた。

 皆がいっせいにそちらに顔を向ける。

 それは、一人の弓兵の声だった。


 このまま公爵を通してしまえば、この国は内戦によって滅ぶのではないか。それくらいならば、自分がどうなろうとも止めなければならないと、そう考えたのかも知れない。

 弓兵が番えた矢が、高台から放たれる。高所から飛んだ矢は、加速されて公爵へと向かった。


「公爵様!!」


 思わずレヴィシアは手を伸ばしていた。間に合うはずもないとわかっていても、とっさのことだった。ユミラが、公爵を庇うように前に、矢と公爵の間に飛び出す。公爵はそちらを向くことさえしなかった。歩みも、止めない。まるで、その矢がそれることを知っていたかのように。


 カラン、と矢が地面に落ちた時、その矢は真っ二つだった。鋭い切り口が斜めに走っている。ただ、何故そうなったのかを、レヴィシアは目の当たりにしていたにも関わらず、知ることが出来なかった。

 ただ、瞬時に、公爵の背後のレーマニーが何かをした。それだけは確かだ。

 その圧倒的な動きを前に、第二矢は放たれることすらなかった。兵士たちでさえ、恐れを抱く。

 一見、穏やかな執事にしか見えないレーマニーだが、彼はこのクランクバルド公爵の従者である。只者ではないと早く気付くべきだった。


 そうして、ついに城門に辿り着いた公爵は、その場でくるりと振り返る。


「この地に住まう者として、よく聴くがいい」


 兵士たちは、その言葉にどよめく。


「もはや意味を成さぬ体制は、滅ぼさねばならない。王たる相応しき者もおらず、それを承知で王制にこだわり続けるなど、愚かなことだ。我らはこれより、新たな体制を作る。己の未来を捨て、国と共に滅ぶ覚悟があるのなら、我らを止めてみせよ。だが、命すら賭けられないのであれば、邪魔立ては無用だ。大人しく、そこから見ているがいい」


 己の命をさらし、この数の兵士の中を歩き切って見せた女卿に、意見できる者などなかった。

 レヴィシアたちは、公爵が切り開いたその道を、共に進んで行く。 

 今度は、自分たちの番――。

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