〈21〉勝ち負け
アイシェは、出立前のことを思い出していた。
出立前の屋敷は慌しく、アイシェの不安など、どこにも受け入れるところがなかったように思う。
部屋でぽつりと窓辺に佇む。
うつむくと、慣れない髪型のせいで、うなじの辺りが引っ張られるように痛んだ。いつものツインテールではなく、レヴィシアのトレードマークであるポニーテールである。ひとつにくくるか、ふたつに分けるかの差でしかないのだが、ポニーテールの方がうなじが引きつるような気がした。これも不慣れなせいだろう。
レヴィシアの影武者なのだから、髪型を似せるのは当然だ。仕方がない。
そうして、アイシェがポニーテールを結わえた後で、レヴィシアがやって来た。レヴィシアは珍しく髪を下ろしている。
アイシェが開けてしまった扉を後悔して閉めようとした途端、レヴィシアは足を滑り込ませてそれを防いだ。器用に中に滑り込んで来る。そして、アイシェに向かって微笑んだ。
「アイシェ、ありがと。ポニーテール、似合うね」
礼なんて言われたくない。だから、そっぽを向いた。
レヴィシアの苦笑した表情が、横目に見える。
「それね、改革を始める時、ザルツに言われたの。表立った活動をする時は必ず同じ髪型でいるようにって」
「は?」
「そうしたら、大衆はあたしの顔まで覚えていなくても、ポニーテールをした女の子だって認識をするから。そういう意識を植え付けることで、いざ隠れる時はそれを外してしまえば、特徴が消えて紛れやすいでしょ? それから多分、今回みたいに代理を立てる時、同じ髪型をさせれば、あたしだって誤認されやすいから。ザルツはこういう場合も考えてたんだって、今になってわかったよ」
あの眼鏡、抜け目のなさそうな顔をしていた。事実、その通りなのだが。
「だからね――」
と、レヴィシアはアイシェに更に近付く。
「もし、危険だと思ったら、これはすぐに外して、人ごみに紛れて逃げてね」
そう、自分の後頭部に触れながら笑った。
「……平気。ルテアがいるから」
「あ、そうだね」
不安そうな表情ひとつ見せず微笑んで言う余裕が癪に障る。
「じゃあね、お互い、大変な戦いを潜り抜けなくちゃいけないけど、必ずまた再会しよう」
そう言って、レヴィシアは手を差し出す。以前、差し出した手を握り返さずに放置したというのに、まるで懲りていない。学習能力というものがないのかも知れない。
冷たくそれを見遣ると、それでもレヴィシアは能天気に笑った。
「ほら、だって、勝負の途中でしょ? それとも、もう終わりでいいの?」
カチン、と来る。
アイシェは勢いに任せてレヴィシアの手をつかんだ。そうして、握りつぶすようにして強く力を込める。
「ぃったたっ!」
変な声を出してもがいているけれど、放してやらなかった。
「終わり? 冗談じゃないわ。まだまだこれからでしょ! 確かに、再会しなきゃね!」
そうして、アイシェが放り出した彼女の手は、赤くなっていたけれど、何故だかそれでも嬉しそうに笑っていた。腹が立つし、意味がわからない。けれど、何かいつもペースを崩されてばかりいる。
変な子だ。
それが結論だった。
そうして、気付けば緊張はどこかに消えていた。
※※※ ※※※ ※※※
ルテアはアイシェと合流する前に、レヴィシアを探した。
最終作戦に出発してしまえば、すべてを終えるまで会えないかも知れない。半年間を乗り越え、再会を果たした今、二度と会えないとは思わない。けれど、まったく不安がないなんてことはないのだ。
いつだって、不安は抱え切れないほどにあふれている。
だからこそ、それを拭い去りたいから、あの笑顔を探した。
程なくして、ルテアはレヴィシアの後姿を廊下で見付けた。栗色の髪を今日は結わずに下ろしている。
この忙しい時に、リーダーがフラフラしている。フラフラしている風に見えて、実は色々な気配りをしている。あちこちに顔を出して声をかけているのだろう。
「レヴィシア」
名を呼ぶと、髪を揺らして振り返った。朝陽を受けて透けるように輝いた髪が落ち着き、ふわりと柔らかな微笑がそこにあった。
「ルテア」
信頼し切ったその表情が、心底嬉しかった。あたたかな感情を抱きながら、そばへ駆け寄る。
「今日は髪、下ろしてるんだな」
「うん。アイシェが囮になってくれるから、あたしはいつもの髪型はしないの」
「そっか」
うなずき、そうしてその髪に触れる。柔らかな手触りが心地よかった。見上げて来る視線を受け止める。
「絶対、上手く行く。そう信じてる」
本当なら、誰よりもそばで守りたかった。近くで見届けたかった。
けれど、それを口にしてもお互いに困るだけだ。何を望み、何を思うのか、言葉にしなくてもわかっていると今は感じている。
その証拠だろうか。レヴィシアは微笑んでいる。
「うん、もちろん。ルテアも気を付けてね」
軽い抱擁の後、二人はそれぞれの方向に向けて歩き出した。




