〈15〉戴冠
「――そう、ですか。ご決断あそばされましたか」
ネストリュートは、フォード将軍の屋敷にて、その客人と対峙する。
客人、王弟ジュピトは表情のない顔をネストリュートに向けた。
「他の決断ができる身ならばよかったのだがな」
皮肉の入り混じる言葉に、ネストリュートは苦笑する。フォードは無言でその場に控えていた。
「そうですね。もはや、これは回避しようのないことです。この国には、あなた様しかおられない」
その一言に、ジュピトはクッと小さく笑った。背筋の寒くなる笑みだった。
「思われることは数多あるでしょう。けれど、この国の民に罪はない、どうかそうお考え下さいますように。弱き民は、あなた様を、指導者を待っているのですから」
「貴殿のような王ならば待っているやも知れぬ。けれど、私のような王を待ち焦がれている民はおらぬよ。それくらいはわかっている」
自嘲するジュピトに、ネストリュートはそっと微笑む。
「あなた様が民を慈しむようになられた時、初めて民は心を開きます。及ばずながら、私もお力添えをいたしましょう」
そうして、あまりに強い存在感を放つ三人の傍らで縮こまっていた宰相は、まごまごとしながらようやく口を開く。
「そ、それでしたら、戴冠式はいつに? 少しでも早い方がよろしいでしょうな」
フォードは無言でうなずく。その仕草から、賛成か反対か、それすらも読めない。
「三日後はいかがですか?」
ネストリュートはとんでもないことを平然と口にする。宰相は口から泡を吹き出しそうに見えた。
「な、何を!? 三日では、ろくな準備もできませんぞ。第一、公爵になんの相談もせず、そのような大事をお決めになるなどと――」
すると、当のジュピトは陰鬱に笑った。
「姉は賛成などせぬから、訊いたところで答えは知れている。不満ならば向こうから出向くだろう。それから、準備もいらぬ。すべては兄の使い古しで十分だ。皮肉なことに、寸法も同じなのだからな」
「……今は予断を許さない状況なのです。ジュピト様はそれをよくご存知のようですね」
王子のそのため息に、宰相は言葉を失った。そうして、ネストリュートは畳みかける。
「とにかく、すぐにジュピト様の身柄を王城へ移されますように。少しでも安全な場所がよろしいかと思います」
隣国の一王子でありながら、ここまで深く踏み込むのは、身分も何も関係がなく、彼自身の持つ力によるものかも知れない。宰相は恐れを抱いたけれど、その言葉に逆らうことはできなかった。
そのような経緯が背後にあり、王弟ジュピトは幽閉の身から脱却し、王城に正式に迎えられることとなる。ただ、兄王暗殺未遂の件を思い起こし、不安になる民がいないわけではなかった。
大仰な行列が王城へ迎え入れられた後、隣国レイヤーナの大使であるネストリュートが、あの事件の真相は、ジュピトを擁立することを恐れた者の策略であり、彼は潔白であったと大衆に述べた。
たったそれだけのことだった。
その時、背後に控えていたのはフォード将軍、宰相であり、その存在がネストリュートの言葉を裏付けたかのように映った。そうして、ジュピトへの不信感は、払拭できずとも和らぐのだった。
それだけの説得力のある言葉を、ネストリュートは発することができる。彼がこの場でジュピトを退け、この国の王に立つと言ったところで、民衆は受け入れたかも知れない。
正直なところ、誰が正しく、何が正解であるのか、民にもわからないのである。
だからこそ、その時に見たもの、聞いたものに流されてしまう。そのつど、考えも変わる。
けれど、それがいけないことではない。
自分が得た答えこそが絶対であると信じることは容易く、幼い。
間違えているのだろうか、と不安を抱きながら悩み、考えて選び取る。
他者の意見を聞き入れる余地を持つこと。それもまた、大切なことなのだから。




