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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅶ

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〈9〉居場所

 クランクバルド邸の使用人の部屋で、アーリヒは医療器具や薬の点検を入念にしていた。決戦が近い今となっては、不備はあってはならない。何度も何度も見直し、足りないものを紙の上に書き足して行く。


 そうしていると、夫のシェインが部屋にやって来た。

 出会った頃よりもいくらか落ち着いたけれど、まだどこか少年のような人だ。アーリヒが一向に顔を上げないので、退屈そうに正面に座り込む。しばらく放っておいたけれど、動く気配はなかった。

 かといって、特に用事があるわけではない。それがわかるから、放ってある。


 こうして、共有する時間がほしいだけだ。言葉を交わさず、目も合わさず、触れ合うことがなくとも、そこにいる。それだけで満足できるものもある。長年というにはおこがましい歳月しか、未だに経てはいないけれど、それだけは分かり合えた。


 これからもっと、長い時間を共に生きて行く。その覚悟をしたから、夫婦になった。そのつもりだ。

 ようやく顔を上げると、シェインは微笑んだ。


「ちょっと、買出しに行って来るよ」


 アーリヒがそう言って立ち上がると、シェインも続いて立ち上がる。


「オレも行くよ。荷物持ちも必要だろ?」

「いや、そんなに重たいものは買わないけど」


 そう言ってみるものの、じゃあいいかと見送るタイプではない。わかっている。

 やはり、シェインは笑った。


「ま、そう言うなよ。クオルはゼゼフと一緒だし、たまには夫婦水入らずで買い物もいいだろ?」


 のん気なものだ。アーリヒも笑った。


「まあ、来たいなら止めないよ」



 聞いているこっちが恥ずかしくなるほどの言葉を、出会って間もない頃から聞かされた。随分、軽い男だと思った。けれど、言葉のすべてが本当だと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 実際に、祖国を捨て、こんな異国の地まで付いて来てくれた。

 感謝していないわけがない。

 言葉にするのは苦手だけれど、それすらもわかってくれているのか、シェインは聞かせるばかりで、求めることはなかった。隣が心地よい、そう感じてしまった瞬間に、勝敗は決したのだ。


 ざわめく人ごみの中を歩く。薬屋は、この通りを抜けた先だ。

 多くの人々とすれ違う。中にはレジスタンスの面々も紛れているのではないかと思う。皆、自分たちのことで頭がいっぱいだろうけれど。


 並んで歩くと、不意に手に何かが触れた。その次の瞬間には、強く握られる。

 アーリヒは唖然とした。けれど、シェインは相変わらず笑っている。


「たまには、こういうのもいいんじゃないか?」


 今更、手を繋いで歩くことに、強い抵抗があった。クオルには絶対に見せられないし、レジスタンスの仲間たちにも見られたくない。なのに、振り払えなかった。

 それどころか、不覚にも赤面してしまった。そんな珍しい様子を、シェインは嬉しそうに覗き込む。


「アーリヒ、かわいい」

「バカ」


 顔を背けたけれど、手のぬくもりは続いていた。



         ※※※   ※※※   ※※※



 気付けば、以前よりもずっと陰鬱になっていた。

 常に、ではなく、時折。

 ふとした瞬間に、どうしようもなく虚しい目をする。そのことに気付いてから、クオルはその理由を考えた。けれど、まるでわからなかった。


 だから、正直に尋ねることにした。誰にだって、触れられたくないこともあるだろう、と大人ならそっとしておいてあげたのかも知れない。けれど、生憎と自分は子供だ。

 だから、遠慮なんかしなかった。


「おい、ゼゼフ!!」


 クオルの剣幕に、ゼゼフはビクッと丸い肩を震わせた。


「え? ええ??」


 腰に手を当て、クオルは座っているゼゼフを見下ろす。


「なんかあったんだろ?」

「え……」

「なんかあったから、そんな風に落ち込んでるんだろ?」

「そ、それは……」


 口ごもり、うつむく。じめじめとした空気が、ゼゼフの周りに色濃くあった。だから、クオルはそれを振り払うようにして大声を出した。


「ああ! いいから、早く話せよ! ボクが聞いてやるつもりのうちに!! 早くしないと、女の子のところに行っちゃうんだからな!」


 すると、ゼゼフはつぶらな瞳に涙をいっぱいに浮かべた。残念ながら、クオルに男の涙は通用しない。

 まるで動じず、


「で?」


 とだけ言った。

 ゼゼフは、涙声でうじうじともらす。


「友達が……」

「ん?」

「友達だと思ってたのに、もう、僕には会いたくないんだってわかったから……」


 そういえば、以前、友達がどうのこうの言っていた。それと同じ人物だろう。どうやら、その友人とやらはゼゼフのことなどどうでもよかったのだ。そういうことだろう。

 こればかりはどうしようもない。

 クオルはため息をついた。


「なあ、ゼゼフ」

「うぇっ」


 すでに泣いて、しゃくり上げながら、ゼゼフはクオルに顔を向けた。男の泣き顔なんて見たくないけれど。


「お前、ボクらじゃ不満なのか?」

「うぅ?」


 すでに言葉になっていない。


「だから、友達一人、失くしたかもしれないけど、ここに来てみんなと知り合って、いっぱい手に入れたものだってあるんじゃないか。失くしたものばっかり嘆いてないで、笑ってろよ。だって、悔しいだろ。そいつに、今までのゼゼフじゃないって見せてやれよ。嫌なことがあっても、笑っていられるようになった。自分は変わったんだって!」


 十歳以上年下の子供に諭されるなんて、すでに情けないけれど、この際、深いことなんて何も考えなくていい。ただ、笑えればいい。


「ほら、これから忙しいんだって! ボクたちにだって、やることはたくさんあるんだからな!!」


 パシン、と肉付きのよい背中を叩くと、ゼゼフはぐちゃぐちゃの顔で、よくわからない表情を作った。多分、笑ったんだろう。そう思ってクオルは納得して笑い返すのだった。

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