表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅶ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

254/311

〈1〉死の床より

 彼の人は、死の床より手を伸ばした。


 最上級の天鵝絨ビロードの天蓋。高貴な真紅の色が、今は目に痛いばかりだった。

 細く痩せた指先が、宙をさまよう。その瞳は、何を探しているのか。

 窓辺から城下を見下ろしていたフォード将軍は、すぐさま窓を閉めてベッドに駆け寄った。


「我が君、苦しいのですか? 今、典医を呼びにやります。しばし、ご辛抱を――」


 けれど、そこに横たわる主君は、やつれた面持ちで不意に微笑んだ。


「いや、気分はいい。むしろ、今日は調子がいい方だ」


 病に倒れてどれだけ経ったか。苦しくないはずはない。尋ねる方が愚かだった。

 そんな自分を恥じたけれど、王は少しかすれた、それでも穏やかな声でつぶやく。


「夢を見ていた」

「夢、ですか?」


 どのような、と尋ねることはしなかった。ただ、その声に耳を傾ける。


「幸せな夢であったよ」


 その穏やかさに、どうしようもなく心がざわめく。どこか達観した、彼岸へと向かいかける魂を感じずにはいられなかった。


「……なあ、フォード」

「はい」

「私は、王になど相応しくない、ただの凡人であったな」

「そのようなことは――っ」


 強く否定する思いを込めた言葉を、王はクスクスと、笑い声ではっきりと遮った。


「次の王には誰がなるのであろうな? このまま曖昧に、継承者を決めずにおいたのなら、この国はどうなるのだろう。……誰が立とうと、そばにはお前がいてくれる。そのことだけが私の心を軽くしてくれるのだが」


 お任せ下さい、とはどうしても言えない。心にもない嘘で、この心優しい主君を見送りたくない。それは、単なる自分の我がままであったのかも知れないけれど。


「……私は、十五の歳から父王様に仕え、代替わりされた後、陛下にお仕えしてまいりました。すでに二君に仕えた身、陛下は私にとって最後の主君。そう思っております」


 望むのならば、あの世までも付き従う覚悟である。

 半生を共に生き抜いた主従として、そうありたいと願う。

 けれど、この国の行く末を憂う気持ちが、この主君にないはずがなかった。


「嬉しいことを言ってくれる。けれど、お前は私には過ぎた家臣。私が独り占めにはできぬよ」


 どこまでも穏やかで、心優しいお方。だからこそ、王であることがどれほどの重責であったのか、それを誰よりも自分が間近で見て来た。己を捨て、その心が安らぐことを選ぶ――それが本当の忠義ではないだろうか。


「なあ、私は王として、この国の安寧を、そのための取り決めを、この命が尽きるまでにせねばならない。そうとわかっていても、心は――いつまでも、それを拒んでしまう。私はやはり、どうしようもない只人で、王の器などではない。だからこそ、天は私に病をお与えになったのではないだろうか?」


 武人である自分は、何時も鍛錬ばかりを積み重ね、武力ばかりを磨いて来た。それが今になって悔やまれる。今、この瞬間に、主君を慰める言葉を持たないのだから。


「そんなことを仰らずに、どうか、お気を強くお持ち下さい」


 言えた言葉がただそれだけとは、情けないものだ。勲章も武功も、馬鹿らしいほど役に立たない。


 王の病は、治る見込みのない、不治の病であると、典医から知らされたのは、ほんの一握りの人間だけである。けれど、未だに信じ切れていないのは、この主君のいない世界が、自分には見えないからだ。

 いつか、また起き上がって、あのバルコニーに立って、城下に優しく手を振られるのではないかと、どこかでまだ考えていた。


 病は気からと言う。何か、この主君が希望を見出せる、明るい出来事があるといい。

 それは、別れて久しい弟との再会か。けれどそれは、一歩間違えれば途方もなく悲しい再会となる。もしそうなった時のことを考えると、どうにも恐ろしくて実現できなかった。

 そうなると、姉であるクランクバルド公爵の孫、ユミラ少年と引き合わせてみるべきか。利発な少年だという。まだ歳若い彼の中に、明るい未来を見出すかも知れない。


 フォードに限らず、家臣たちは王の薬とするべく、王にとって喜ばしいものを探していた。

 こんな時、御子がいたのなら、支えになってくれたであろう。子を成さなかった王妃は、病床で眠る王の手をそっと握るばかりだった。言葉がないのは、お互いが言葉などなくとも分かり合えるからなのか、それは二人にしかわからない。ただ、そんな時の王の寝顔は安らかであったように思う。

 そんな日々が続いた。


 けれど、ある日、王はやつれながらも瞳だけが少年の頃に戻ったかのように、希望を抱いていた。

 家臣たちがそろいもそろって探せずにいた、王の希望は、思わぬところから顔を見せたのである。

 それは――。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ