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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅵ

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〈31〉どうして

「――死ぬのは怖いか?」


 そんな当たり前のことを、ヤールはシーゼに問う。シーゼは、大きくうなずいた。


「怖い。すっごく。死にたくない」


 淡々とした口調でそう答えた。こんな時に、どうして平気で口が利けるのか、自分でもわからない。

 ヤールは、野生の獣のような瞳を一瞬だけ和らげる。


「だったら、退くことだ。俺だって、お前みたいなのは斬りたくない」


 きっと、それは本心からの忠告だった。胡散臭かったりはしたけれど、多分この男は悪人ではない。主に忠実な兵士であるだけだ。

 けれど、だからこそ、その忠告は受け入れられなかった。


「わたしが退いたら、レヴィシアを追うんでしょ? それがわかっていて退けないの。ごめんなさい」


 すると、ヤールは苦笑した。どうしようもない馬鹿だと思ったのかも知れない。 


「頑固だな。……まあ、お互いに譲れないものがあるのは仕方のないことだ。だから――」


 ヤールの逞しい二本の腕が、剣を交差しながらゆるりと引き抜く。赤と紫の房飾りが、鮮明にシーゼの目に焼き付いた。踊るような光をまとった銀の刀身が、全貌を現す。恐れよりも、その光景をきれいだと、どこか遠い体の奥底で思った。


「――せめて、楽に逝かせてやるよ」


 突き付けられた切っ先を、シーゼは一度見据え、それからその奥にあるヤールの瞳に、射るような視線を向けた。そして、精一杯の強がりで笑ってみせる。


「ありがとう、とは言えないかな。こっちは手こずらせるつもりでいるんだからね」


 そうして、シーゼはひとつ深く息を吸って、気持ちを落ち着けた。

 そんな時、螺旋階段を駆け上がって来る足音に、対峙する二人は気を取られた。レヴィシアではない、もっと力強い音だ。


 ヤールも眉を顰め、その音の主を警戒していた。この、螺旋階段の節にある踊り場に、その人物は到着する。荒い息遣いが背中でした。振り向かずとも、シーゼには誰だかわかる。

 けれど、わかったからこそ、信じられなかった。


 来るはずがない。

 なのに、ここにいる。

 何故――。


「……お前は、レジスタンスの仲間か?」


 ヤールの視線が、シーゼを通り越して背後に向かった。そうして、背後から、呼吸を整えて吐き出した言葉が返る。


「この戦いは、俺が代わる」


 思わず、振り返った。自分の長い黒髪が邪魔をして、ユイトルの姿を隠す。髪が落ち着くと、眼前のユイトルの姿をしっかりと見据えた。間違いなく、当人だ。けれど、どうして――。

 表情を表に出さないユイトルを、シーゼはにらみ付けた。他にどうしたらいいのか、まるでわからなかった。


「どうして!? レヴィシアは? 熱があるんだから、そばにいてあげなきゃ駄目!」


 すると、ユイトルはひどく険しい表情をした。シーゼは、その表情の厳しさに言葉を失くしてしまう。


「わかっている。だから、すぐに迎えに行く」


 そんなにも心配そうにしているくせに、余計なことに気を回そうとする。レヴィシアを危険にさらして、それで何をしたいのか、まるでわからない。

 期待させるようなことはしないでほしい。もう、昔には戻れないのに。


「今すぐ行けばいいじゃない! わたしは足手まといになるためにここにいるんじゃないの! わかってよ!」


 関わるなと言われながらも、勝手にここまでついて来た。

 今ここで、仮に死ぬことになったとしても、それは自分の判断だ。

 間違っても、誰かのせいではない。

 むしろ、ユイトルの足手まといになって、レヴィシアに何かあったとしたら、耐えられない。

 駆け付けてくれたことを嬉しいと思えるような、そんな甘やかな感情は湧かなかった。

 死ぬ気で戦うと決めた。その覚悟を、無駄にしてほしくない。


 ユイトルは背中の剣を鞘から抜き取り、おもむろに歩み出した。戸惑うシーゼを越え、ヤールにその剣をまっすぐに向ける。ヤールの表情が、再び引き締まり、どこか残酷な笑みをたたえた。


「お前の名前は?」

「――ユイトル=フォード」


 誰何に答える澄んだ声音が、シーゼの耳にいつまでもこだまするようにして残った。


「ああ、なるほどな。俺はヤンフェン=ヤール。……お互い、実力に不足はない。始めようか――」


 今回は名乗ってもらえました。

 ここでお断りされたらトラウマになります(笑)

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