〈31〉どうして
「――死ぬのは怖いか?」
そんな当たり前のことを、ヤールはシーゼに問う。シーゼは、大きくうなずいた。
「怖い。すっごく。死にたくない」
淡々とした口調でそう答えた。こんな時に、どうして平気で口が利けるのか、自分でもわからない。
ヤールは、野生の獣のような瞳を一瞬だけ和らげる。
「だったら、退くことだ。俺だって、お前みたいなのは斬りたくない」
きっと、それは本心からの忠告だった。胡散臭かったりはしたけれど、多分この男は悪人ではない。主に忠実な兵士であるだけだ。
けれど、だからこそ、その忠告は受け入れられなかった。
「わたしが退いたら、レヴィシアを追うんでしょ? それがわかっていて退けないの。ごめんなさい」
すると、ヤールは苦笑した。どうしようもない馬鹿だと思ったのかも知れない。
「頑固だな。……まあ、お互いに譲れないものがあるのは仕方のないことだ。だから――」
ヤールの逞しい二本の腕が、剣を交差しながらゆるりと引き抜く。赤と紫の房飾りが、鮮明にシーゼの目に焼き付いた。踊るような光をまとった銀の刀身が、全貌を現す。恐れよりも、その光景をきれいだと、どこか遠い体の奥底で思った。
「――せめて、楽に逝かせてやるよ」
突き付けられた切っ先を、シーゼは一度見据え、それからその奥にあるヤールの瞳に、射るような視線を向けた。そして、精一杯の強がりで笑ってみせる。
「ありがとう、とは言えないかな。こっちは手こずらせるつもりでいるんだからね」
そうして、シーゼはひとつ深く息を吸って、気持ちを落ち着けた。
そんな時、螺旋階段を駆け上がって来る足音に、対峙する二人は気を取られた。レヴィシアではない、もっと力強い音だ。
ヤールも眉を顰め、その音の主を警戒していた。この、螺旋階段の節にある踊り場に、その人物は到着する。荒い息遣いが背中でした。振り向かずとも、シーゼには誰だかわかる。
けれど、わかったからこそ、信じられなかった。
来るはずがない。
なのに、ここにいる。
何故――。
「……お前は、レジスタンスの仲間か?」
ヤールの視線が、シーゼを通り越して背後に向かった。そうして、背後から、呼吸を整えて吐き出した言葉が返る。
「この戦いは、俺が代わる」
思わず、振り返った。自分の長い黒髪が邪魔をして、ユイトルの姿を隠す。髪が落ち着くと、眼前のユイトルの姿をしっかりと見据えた。間違いなく、当人だ。けれど、どうして――。
表情を表に出さないユイトルを、シーゼはにらみ付けた。他にどうしたらいいのか、まるでわからなかった。
「どうして!? レヴィシアは? 熱があるんだから、そばにいてあげなきゃ駄目!」
すると、ユイトルはひどく険しい表情をした。シーゼは、その表情の厳しさに言葉を失くしてしまう。
「わかっている。だから、すぐに迎えに行く」
そんなにも心配そうにしているくせに、余計なことに気を回そうとする。レヴィシアを危険にさらして、それで何をしたいのか、まるでわからない。
期待させるようなことはしないでほしい。もう、昔には戻れないのに。
「今すぐ行けばいいじゃない! わたしは足手まといになるためにここにいるんじゃないの! わかってよ!」
関わるなと言われながらも、勝手にここまでついて来た。
今ここで、仮に死ぬことになったとしても、それは自分の判断だ。
間違っても、誰かのせいではない。
むしろ、ユイトルの足手まといになって、レヴィシアに何かあったとしたら、耐えられない。
駆け付けてくれたことを嬉しいと思えるような、そんな甘やかな感情は湧かなかった。
死ぬ気で戦うと決めた。その覚悟を、無駄にしてほしくない。
ユイトルは背中の剣を鞘から抜き取り、おもむろに歩み出した。戸惑うシーゼを越え、ヤールにその剣をまっすぐに向ける。ヤールの表情が、再び引き締まり、どこか残酷な笑みをたたえた。
「お前の名前は?」
「――ユイトル=フォード」
誰何に答える澄んだ声音が、シーゼの耳にいつまでもこだまするようにして残った。
「ああ、なるほどな。俺はヤンフェン=ヤール。……お互い、実力に不足はない。始めようか――」
今回は名乗ってもらえました。
ここでお断りされたらトラウマになります(笑)




