〈22〉救出作戦開始
それから、翌々日の正午、レヴィシア、ルテア、リッジ、サマルの四人はギールの宿の一室に到着した。
その他のメンバーたちはユイ、ティーベットが統率しつつ、近くまでやって来ている。ロイズ救出に向け、人員を集めたが、あまりに大人数で固まっているのは得策ではないので、小分けにして距離を保っていた。
逃走用の馬車も非戦闘員が用意し、その時を待っている。
「そっちはどう? 変わりない?」
レヴィシアはザルツたちとの数日振りの再会に顔を輝かせた。それでも、ザルツは彼女を甘やかさない。
「ちゃんと準備はしてきたか?」
「うん」
そこで、不意にリッジはザルツたちの方に頭を下げた。
あまりに唐突だったので、レヴィシアは驚いて彼を見た。すると、その黒く艶やかな髪を揺らし、リッジは顔を上げる。
「ありがとうございます。これでやっと、ロイズさんを助け出せます。どんなに感謝しても足りません」
「……そういうことは、全部終わってからにしてくれ」
冷静に切り返したザルツに、リッジは苦笑する。
「そうですね。でも、失敗なんてしません。僕はそのためならなんだってしますから」
穏やかな声の中に、彼の覚悟がある。揺るがない信頼が、彼の力だ。
「リッジはザルツたちと一緒に、外で陽動じゃないの?」
監獄の警備を減らすための作戦は、非戦闘員も参加する。レヴィシアは、リッジはてっきりそちら側だと思っていた。
けれど、リッジは不思議そうにかぶりを振った。
「まさか。こんな大事な時に、外で待ってなんていられないよ」
そんな彼を、ルテアは値踏みするような目で見た。
温和な顔立ちに、ほっそりとした体躯は、戦闘向きではない。
「戦えるのか? 足手まといはいらないからな」
すると、リッジはじっとルテアを見た。あまりに凝視するので、ルテアがうろたえると、今度はにっこりと笑う。
「人を見た目で判断しちゃいけないよ? 大体、ルテアだって戦えそうに見えないし」
自分から言い出したことなのだが、跳ね返ると痛い。そして、リッジはフォローなのか追い討ちなのかよくわからないことを言った。
「大丈夫。背なんかで人の価値は決まらないし、その女顔もいつか何かの役に立つよ」
「…………」
ぐさ、と刺さっているのが見て取れた。多感なお年頃なのに。
あはは、と乾いた笑いを浮かべながら、リッジってきっと怒らせると怖いんだろうな、とレヴィシアはひそかに思った。
「それじゃあ、僕は救出班に。他はレヴィシア、ルテア、ユイさん、ラナンさん、シェイン、サマルさん。ティーベットは潜伏。陽動班はザルツさんたちにお任せして……以上で決定ですね?」
ザルツは深々とうなずく。
「よし! がんばろうね!」
そう言ってレヴィシアが締めくくると、全員が深くうなずいた。
作戦に備え、ゆっくりと体を休める。
まずはそれからだ。
ただし、その日の夜。ティーベットと一部のメンバーたちはというと。
ティーベットは、強面メンバーたちと路地裏を歩く。この界隈は色町であり、血気盛んな者たちが多いことを承知で、男たちにけんかを売るような視線を投げた。
「……そろそろ始めるか?」
巨漢のティーベットが腕を振り回して言う。
『ゼピュロス』の戦闘員たちも、気を引き締めてうなずいた。
サマルは路地で些細な口論から殴り合いを始めた一団が、止めに入った自警団にまで暴行を働き、監獄に連行されて行くさまを眺めていた。
下準備は、着々と整っている。
後は、決行のみだ。
※※※ ※※※ ※※※
作戦決行の日の朝、レヴィシアはザルツとプレナを宿で見送った。
彼らの方が、準備が多いのだ。
「気を付けてね」
「そっちこそ」
ザルツがレヴィシアに返した言葉の意味を、彼女は半分しか理解していなかった。
レヴィシアは、監獄内部に潜入することになる。潜入する人員は二手に分かれ、ロイズ救出とかく乱を担当する。レヴィシアは救出班だ。最上階、ロイズの救出だけを目的に駆け上がる。
かく乱班は、先に潜伏しているティーベットたちを解放しつつ、兵士を引き付ける、最も危険な役どころだ。ロイズの他にも捕まっているレジスタンスメンバーを助け出すのもこちら側になる。
そして、退路の確保もかく乱班だ。
だから、少数精鋭。レヴィシアでは足手まといだ。
わかっている。
ユイがそちらに選ばれるのは、当たり前だ。
なのに、また遠く感じてしまう。
このところ、ろくに口も利いていない。顔を見るとつい、意地を張ってしまう。
ユイは何も変わっていないのに、どうしても苛立ってしまう。
これは、多分ただのわがままだ。独占することに慣れてしまった、自分の――。
気持ちがざわつく。
今はそれどころではないのに。
日が暮れた暗い草原。
レヴィシアたち潜入班はそれぞれ少し離れた位置から様子を伺っていた。木の陰で息を殺し、陽動班が動き出す時を待っている。
その時はひどく長く感じられ、永遠に変化など起こらないのではないかと思えた。
けれど、不意に、細いけれど甲高い音が響いた。笛の音が合図となる。
その音に、異変に気付いた監獄兵たちが動き出す。
ガガガガ、とぜんまい仕掛けの門を開く鎖のこすれる音が響き渡り、わらわらと人影が松明に照らされている。
監獄兵たちは、丘の上の高みから、陽動班の点火した無数の松明の明かりを見下ろしたことだろう。声を上げ、それらを平定するために坂を下った。明かりを手に、馬に乗る者もいる。目指す先に、敵はいるのだ。
王国最大の堅牢な監獄の守り手として、ここを破らせてはならない。
勇んで向かったその先に、たどり着くことはなかった。丘を下って行く時、彼らは敵の松明の明かりを、群がる蛾のように目指していた。だからこそ、途中に張られていた罠に気付かなかった。
鉄線が、丘の数箇所に張られている。辺りが暗くなった今、目を凝らせて足元を見ていなければ気付けなかっただろう。けれど、彼らは松明の明かりに気を取られていた。
とっさに足を取られ、馬が脚を折る。前のめりに倒れた馬と、放り出されて落馬した兵士。後ろから来た兵士はまた、そこに足を取られる。坂であるために、急には対処できなかった。
松明の火が服に移り、煙を上げて兵士の体を包む。その高く燃え上がる炎を、陽動班は固唾を呑んで見守った。指示が出るまでは動いてはいけない。
彼らは、松明のもとにはいなかった。自分たちとは離れた地点に、松明と服を着せた丸太を放置して来ただけである。自らはもっと手前に、消火用の大量の水と砂袋と共に潜んでいる。
ただし、笛の音が再び聞こえるまで、生き物の焦げる臭気に吐き気を感じながらも、目もそらせずに耐えるしかなかった。
すでに目が慣れ、暗闇の中でもぼんやりと見ることができるようになっていたレヴィシアだが、燃え盛る炎によって明るくなった周囲に怖気を隠せなかった。ルテアも同じだ。サマルにしても、呆然としている。ユイとラナン、シェインは表情を表には出さない。
リッジも冷静に切り出す。
「そろそろ行くよ」
暗闇の中、黒いものがすり抜ける。レヴィシアも慌ててそれに続いた。
火の手が上がれば、ギールからの援護に駆け付ける兵士もいるはずで、それをなんとかして食い止めるよう、ギールにも情報操作用に人員を残してある。けれど、そちらが成功するのかどうか、確認することはできない。
心配なことはたくさんあるけれど、今は目の前のことに集中するしかなかった。
走り出すと、驚いたことに、足の速さには自信があったレヴィシアでも、リッジに追い付くことができなかった。それどころか、差は開いていくばかりだ。
ルテアもレヴィシアを抜いたが、リッジには敵わない。
走りながらも感心していたレヴィシアの隣にはユイが並んだ。その後ろにシェイン、ラナン、少し遅れてサマルが続く。坂を走って登るのは、思いのほかつらい。
そして、高くそびえる外壁にたどり着いたリッジは、ロープの先に付いたフックを高く放り投げ、それを縁に引っかけた。それを二度三度引っ張って、外れないか確認する。
そこからは、目を疑うような動きだった。
ロープは伸縮性のあるものだったようで、最初に思い切り強く引っ張った反動を利用し、ロープの縮みに合わせて浮かび上がる。トン、トン、と軽い音を立てながら壁を蹴り、翼でも生えているかのような軽やかさで、難攻不落の高い外壁を越えてしまった。
その光景を見上げ、唖然とルテアはつぶやく。
「あいつは軽業師か……」
付いて行くと言ったのも、納得の働きだった。鮮やかな手並みで入り込んだリッジは、そのロープをまた外側に垂らして寄越した。
先にルテアが登り、レヴィシアがその次に続く。このために今日はショートパンツにしたと言ってもいい。
そうして全員が進入すると、リッジは器用にロープの伸縮を利用してフックを外した。それを小さくまとめて外套の中にしまう。
改めて見上げれば、そこは肌寒さを感じる光景だった。
重苦しい、黒ずんだレンガで構成されている巨躯。規模だけは城のように大きい。けれどそれは、人が住むような場所ではない。その威容の中に飲まれてしまえば、そこは魔界へと繋がっているような気がしてならなかった。
いつまでも悪寒が引かなくて、レヴィシアは自分の二の腕を必死でさすった。
「サマルさん、それで、その下働きの老人は……」
言いかけたリッジが気付いたように、サマルもそれに気付いた。
「あ、多分あれが目印だ」
薄暗い中、高い鎧窓のひとつがぼんやりと灯っている。鎧窓の内側に、カンテラが不自然に引っかけられていた。
「あれか……」
侵入者や脱獄犯対策か、一階に窓はない。二階の高さのその窓を、リッジは見上げている。
そして、手元で何かをいじったかと思うと、今度は壁をよじ登りだした。鉤爪のようなものを使っている。到着すると、中を覗き込んでから、外れかかっていた格子を片手で押しのけ、窓を開けた。
先ほどのロープのフックを窓の縁の内側にかけ、またそれを垂らす。
ルテアが登り、サマルが登り、今度はシェインとラナンが登る。
続々と登って、最後にレヴィシアとユイが残った。いつまでも腕をさすっているレヴィシアに、ユイはそっと言った。
「危なくなったら、必ず俺が駆け付けるから」
レヴィシアは手をぴたりと止め、大きな瞳でユイを見上げた。
「ほんと?」
ユイは柔らかな表情を作る。
「ああ。絶対だ」
ここ数日、何をそんなに怒っていたのか、忘れてしまった。
たったこれだけのことで、震えが止まり、力がわいてくるのを感じる。
そうして、レヴィシアはロープを握り締め、登り始めた。




