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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅵ

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〈25〉自分に正直に

 レヴィシアは、もつれそうになる脚で必死に階段を下りていた。けれど、さっきよりもじわじわと熱が上がって来ていることを自覚するしかなかった。苦しくて、気付けば涙に濡れていた頬を拭い、それでも壁に寄りかかるようにして、一歩一歩を進んで行く。

 そんな時、下から駆け上がって来る人物が見えた。


「ユイ!」


 声がかすれて上手く出なかった。それでも、ユイは気付いてくれた。抜き身の剣を手に、螺旋階段を駆け上がって来る。にじんだ汗を拭うと、ユイはぐったりとしたレヴィシアに手を伸ばして体を支える。


「レヴィシア! ……熱があるのか?」


 それでも、レヴィシアはその手を押しやるようにして、必死で声を張り上げた。


「ユイ、あたしはいいから、早く上に行って! シーゼを助けて!!」

「何……」


 その一言に、ユイの顔が更に強張る。


「上で戦ってるの! 勝てないってわかってるのに!」


 けれど、ユイはすぐには動かなかった。歩くこともままならないようなレヴィシアの状態が、ユイをためらわせるのだろう。


「けれど――」


 そこでユイは言葉を切った。その様子に、レヴィシアは苛立つ。

 こんな時くらい、全部忘れて、放り出してくれたって、怒ったりはしない。今、優先しなくてはならないことを間違えないでほしい。

 レヴィシアは、握り締めたこぶしをユイの胸板に叩き付けた。力はうまく入らなかったけれど、それでもレヴィシアはユイを見据える。


「自分に正直になってよ! シーゼが死んでも、後悔しないって言えるの!? あたしはあの時のユイの表情、忘れてないよ!」


 崖から転落し、血まみれで倒れているシーゼを見た時の、ユイの苦痛。知っているからこそ、二度とあんな思いはしてほしくない。


「あたしなら大丈夫! 二人が戻って来るまで隠れてるから、だから、早く!!」


 必死で叫ぶその声に、ユイはようやく決心してくれた。その決心は、レヴィシアの体調ひとつで揺らいでしまうようなものだから、レヴィシアは必死で平気な振りをする。


「すぐに戻る。じっとしていてくれ」


 その言葉に、レヴィシアは大きくうなずいた。


「うん。こっちの部屋に隠れてる」


 それでもまだ不安そうなユイだったけれど、猶予がないこともわかっている。レヴィシアが小部屋の中に入ったと確認した瞬間に、ユイは上に向けて駆け出した。



 レヴィシアが選んだ小部屋は、どうやら倉庫のようだった。いくつかの木箱が積み上げられ、壁には槍や剣が立てかけてある。武器庫のひとつなのだろう。

 熱のために重たくなった体を引きずるようにして中に入る。細く長い部屋の中で、積み上げられた木箱の隙間にでも隠れようと思ったけれど、生憎と隙間もなくびっちりと収納されている。

 兵士たちはレジスタンスは上に向かっていると思っているのだから、こんなところに隠れているとは気付かれないのではないだろうか。ここで息を殺して潜んでいれば大丈夫だと、そう考えた。


 体力が限界だった。

 壁にもたれると、そのまま崩れ落ちた。

 頭が割れるように痛い。

 浅い呼吸を繰り返し、その場で休む。

 冷たい床が、少し熱を吸い取ってくれるような気がした。

 まだまだ、先は長い。頂上まで辿り着かなければならない。

 わかってはいるけれど、一度座り込んでしまうと、何故か体がまた重たくなった。

 再び立ち上がることがひどく難しく感じられる。


 このまま、眠りたい。

 そんな場合ではないのに、体が休息を求めていた。

 朦朧とする意識の中、カチリ、とドアが開く音がした。いくらユイでも早すぎる。

 だから、別の誰かだ。

 仲間ではない。兵士なのだと頭では理解している。

 けれど、体が動かなかった。


 その足音は次第に近付き、向かって来る。カツンカツン、と横たわっているせいか、レヴィシアの頭によく響く。

 どうにかして顔をそちらに向けると、そこにいたのはやはり兵士だった。

 シェーブル兵の制服を着込んだ、三十代くらいの細身の男性だ。手には折れた剣の残骸がある。腕からは血を流していた。彼は一度驚き、それから険しい顔をレヴィシアに向けた。


「レブレム=カーマインの娘、だな?」


 逃げなければと思うけれど、動けなかった。そんなレヴィシアに容赦なく、彼はひざを付き、レヴィシアの髪をつかんで顔を上げさせた。


「ぅ……」


 その仕草は、意識して乱暴に、痛みを与えようとしているように感じられた。ひり付く痛みからうめき声をもらすと、彼は歪んだ顔をレヴィシアに近付ける。


「こんなところに隠れてたとはな」


 その声は震えていた。そこにあるのは、怒りと憎しみだった。

 向けられ慣れない、暗い感情。

 わけはすぐに語られた。


「お前が、お前たちが破った監獄で、俺の弟は死んだんだ。お前たちに殺されてな!」


 奪った命を忘れたわけではない。

 けれど、まっすぐに向けられる痛みは、どんな時よりも鋭く胸に刺さる。

 いつだって、自分は誰かに守られていたから。

 喪った悲しみを抱えるこの人に、自分はどうやって償ったらいいのだろう。

 こんなにも苦しい感情を、ユイはずっと受け止め続けてくれた。償おうとしてくれた。

 彼の苦しみの一端に、この時になってようやく触れたような気がした。



 彼は乱暴に手を放し、レヴィシアは再び床に叩き付けられた。かと思うと、今度はのどを片手で床に押さえ付けられる。苦しいけれど、声も出なかった。振りかぶった折れた剣の残骸が、窓からの光に煌く。

 このまま、ここで殺されてあげることが、彼に対する贖罪だろうか。


 けれど、それは仲間たちに対する裏切りではないだろうか。

 どんなことをしても生きて、理想を実現させなければ、犠牲にしたすべてを無駄にしてしまう。

 ここで死ぬことを選べばきっと楽だけれど、それをしてはいけない。

 レヴィシアは、腰にあるダガーに手を伸ばすけれど、仰向けに押さえ付けられているために、うまく抜き取れなかった。弱り切った今のレヴィシアに、あの折れた剣を回避する術がなかった。


 諦めてはいけない。けれど、どうしたって助からない。

 父のように、志半ばで死ぬのだ。

 この後を、仲間たちは引き継いでくれるのだろうか。

 ごめんなさい、と心で謝った瞬間に、最後にまぶたの裏に浮かぶ姿があった。


 もう一度会いたかったと、涙がこぼれる。

 自分が死んだと知ったら、ルテアはどうするだろうか。

 呼んだところで、今ここに来てくれるはずがない。そう思いながらも、気付けばその名を最後の力を振り絞って叫んでいた。


 けれど、彼の手が止まることはなかった。それも、自らの罪であるのだから、この胸で受け止めるしかないのだろうか。

 

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