〈24〉剣先を向け
はあはあ、と息が上がっている。
それは、どちらも同じだった。途中に出現した兵士を斬り伏せるシーゼの体力が消耗しているのは仕方がないけれど、ただそれに付いて上ってレヴィシアの方が、疲労の色が強い。
シーゼはエストックをヒュンと鋭く振って鞘に戻すと、レヴィシアに対して、いつになく厳しい目を向けた。
「レヴィシア、あなた、体調が悪いんじゃない?」
「それは……」
口ごもってしまった瞬間に、ごまかしは利かなくなった。シーゼは嘆息する。
「無理したら命を落とすの。みんな、あなたを守ろうとしてるんだから、そこは正直に言わなきゃ駄目」
「……ごめんなさい」
しょんぼりとしたレヴィシアの額に、シーゼの手の平が当てられた。
「結構つらかったでしょ。わたしも、もっと早くに気付いてあげられなくて、ごめんね。でも、こうなったら今更戻れないから、もう少しだけがんばって」
シーゼはこんな時でも優しい。その優しさに、不意に泣いてしまいそうになるけれど、レヴィシアはなんとか堪えた。甘えている場合ではないのだ。
せめて、シーゼの足手まといにならないようにしなければ。
最上階を目指し、王弟に会うこと。今はそれしか道がないのだから。
二人は再び上を目指して駆け出した。下から兵士が上って来る気配はない。
もしかすると、ユイが追い付いて来て、止めてくれているのかも知れない。そんな希望を持った。
今が全体のどの辺りであるのか、正確にはわからない。けれど、まだ先は長いと思う。
レヴィシアはすでに、どうやって自分が足を動かしているのかわからなくなっていた。それでも動き続けているのは、気力としか言いようがない。
視界も次第にかすむような気がしたけれど、そのたびに頭を揺する。
そうしていると、前方から低い低い声が降った。
「来たか」
短い頭髪に、鍛えられた体躯。腰に佩いた二本の剣。
レヴィシアは彼を知っていた。会ったことなど一度もないけれど、報告は受けている。
ヤールという名のレイヤーナ人だ。
前に立ったシーゼの緊張が、背後のレヴィシアにも伝わった。
「……シーゼ、だったな。お前、レジスタンスだったのか」
シーゼは何も答えなかった。ただ、緊張した空気を張り巡らせ、剣の柄を握り締める。
そんな姿に、ヤールは少し表情を緩めた。
「せっかく美人とお近付きになれたのに、勿体ないな」
そんな軽口も受け流し、シーゼは正面を見据えたまま、背後のレヴィシアにささやく。
「……ごめん、レヴィシア。あの男、多分わたしじゃ勝てない。でも、時間は稼ぐから、その隙にユイトルのところまで逃げて」
「シーゼ!」
勝てないとわかっていて残して行けない。足手まといになったとしても、見捨てて逃げたらユイに顔向けできないのだから。
とっさにつかんだシーゼの服がしわになる。その震えるこぶしに、シーゼは優しく手を添えた。
「じゃあ、ユイトルを呼んで来て。来てくれるまでがんばるから」
「ほんとに?」
涙を浮かべて顔をくしゃりと歪めたレヴィシアに、シーゼはそっと微笑む。
「うん」
そのきれいな笑顔は、いつだって人を気遣っていた。今は喪いたくない、大切な仲間だから、助けるためならなんだってできる。熱があるなんて、言っていられない――。
「すぐ戻るから! 約束だよ!!」
そう言い残し、レヴィシアは来た道を戻る。階段を駆け下りるレヴィシアの足音が、対峙する二人の間に響いた。
「子供相手に、守れない約束なんてしないことだ」
ヤールがそうつぶやく。そんな彼に、シーゼは落ち着いて答えた。
「ああでも言わなきゃ、行ってくれないから」
そうして、少しの沈黙があった。その緊張を先に破ったのはヤールだった。
「俺は一度自分に剣を向けた人間は必ず殺す。それでも、俺とやり合う覚悟はあるのか?」
シーゼは、握り締めていた剣の柄から手を離すことなく、決意のままに引き抜いた。ところどころに血の染みがあるけれど、まだ鋭い光を放つエストックを、シーゼはひと振りして自身と平行に構えた。
「それでも、彼女を逃がす時間を稼げるのなら」
「お前、ほんとにいい女なのに、残念だ――」
そんな言葉を最後に、ヤールの周囲の空気が急速に冷えた気がした。
きっと、時間稼ぎだって、大してできない。力の差は歴然だから。
――そして、ユイトルは来ない。
それをわかっているから、レヴィシアを行かせた。嘘をついた。
ユイトルがレヴィシアを守ろうと思うなら、わざわざ危険な場所に連れて戻ることはしないはずだ。
以前と同じように、二人は同時に守れないから。
ここまで助けに来てくれるわけがない。
もう、諦めている。ユイトルにとって、一番は自分ではない。
ただ、馬鹿な自分は、ユイトルが全力で守ろうとする少女を、自分も守りたいと感じてしまっている。
だから、ユイトルがレヴィシアを選んでくれたらいい。
レヴィシアを守った自分に、心の片隅で感謝してくれたら、それでいい。
ここで散ったとしても、忘れないでいてくれるなら――。




