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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅵ

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〈24〉剣先を向け

 はあはあ、と息が上がっている。

 それは、どちらも同じだった。途中に出現した兵士を斬り伏せるシーゼの体力が消耗しているのは仕方がないけれど、ただそれに付いて上ってレヴィシアの方が、疲労の色が強い。

 シーゼはエストックをヒュンと鋭く振って鞘に戻すと、レヴィシアに対して、いつになく厳しい目を向けた。


「レヴィシア、あなた、体調が悪いんじゃない?」

「それは……」


 口ごもってしまった瞬間に、ごまかしは利かなくなった。シーゼは嘆息する。


「無理したら命を落とすの。みんな、あなたを守ろうとしてるんだから、そこは正直に言わなきゃ駄目」

「……ごめんなさい」


 しょんぼりとしたレヴィシアの額に、シーゼの手の平が当てられた。


「結構つらかったでしょ。わたしも、もっと早くに気付いてあげられなくて、ごめんね。でも、こうなったら今更戻れないから、もう少しだけがんばって」


 シーゼはこんな時でも優しい。その優しさに、不意に泣いてしまいそうになるけれど、レヴィシアはなんとか堪えた。甘えている場合ではないのだ。

 せめて、シーゼの足手まといにならないようにしなければ。

 最上階を目指し、王弟に会うこと。今はそれしか道がないのだから。



 二人は再び上を目指して駆け出した。下から兵士が上って来る気配はない。

 もしかすると、ユイが追い付いて来て、止めてくれているのかも知れない。そんな希望を持った。

 今が全体のどの辺りであるのか、正確にはわからない。けれど、まだ先は長いと思う。


 レヴィシアはすでに、どうやって自分が足を動かしているのかわからなくなっていた。それでも動き続けているのは、気力としか言いようがない。

 視界も次第にかすむような気がしたけれど、そのたびに頭を揺する。

 そうしていると、前方から低い低い声が降った。


「来たか」


 短い頭髪に、鍛えられた体躯。腰に佩いた二本の剣。

 レヴィシアは彼を知っていた。会ったことなど一度もないけれど、報告は受けている。

 ヤールという名のレイヤーナ人だ。

 前に立ったシーゼの緊張が、背後のレヴィシアにも伝わった。


「……シーゼ、だったな。お前、レジスタンスだったのか」


 シーゼは何も答えなかった。ただ、緊張した空気を張り巡らせ、剣の柄を握り締める。

 そんな姿に、ヤールは少し表情を緩めた。


「せっかく美人とお近付きになれたのに、勿体ないな」


 そんな軽口も受け流し、シーゼは正面を見据えたまま、背後のレヴィシアにささやく。


「……ごめん、レヴィシア。あの男、多分わたしじゃ勝てない。でも、時間は稼ぐから、その隙にユイトルのところまで逃げて」

「シーゼ!」


 勝てないとわかっていて残して行けない。足手まといになったとしても、見捨てて逃げたらユイに顔向けできないのだから。

 とっさにつかんだシーゼの服がしわになる。その震えるこぶしに、シーゼは優しく手を添えた。


「じゃあ、ユイトルを呼んで来て。来てくれるまでがんばるから」

「ほんとに?」


 涙を浮かべて顔をくしゃりと歪めたレヴィシアに、シーゼはそっと微笑む。


「うん」


 そのきれいな笑顔は、いつだって人を気遣っていた。今は喪いたくない、大切な仲間だから、助けるためならなんだってできる。熱があるなんて、言っていられない――。



「すぐ戻るから! 約束だよ!!」


 そう言い残し、レヴィシアは来た道を戻る。階段を駆け下りるレヴィシアの足音が、対峙する二人の間に響いた。


「子供相手に、守れない約束なんてしないことだ」


 ヤールがそうつぶやく。そんな彼に、シーゼは落ち着いて答えた。


「ああでも言わなきゃ、行ってくれないから」


 そうして、少しの沈黙があった。その緊張を先に破ったのはヤールだった。


「俺は一度自分に剣を向けた人間は必ず殺す。それでも、俺とやり合う覚悟はあるのか?」


 シーゼは、握り締めていた剣の柄から手を離すことなく、決意のままに引き抜いた。ところどころに血の染みがあるけれど、まだ鋭い光を放つエストックを、シーゼはひと振りして自身と平行に構えた。


「それでも、彼女を逃がす時間を稼げるのなら」

「お前、ほんとにいい女なのに、残念だ――」


 そんな言葉を最後に、ヤールの周囲の空気が急速に冷えた気がした。

 きっと、時間稼ぎだって、大してできない。力の差は歴然だから。


 ――そして、ユイトルは来ない。


 それをわかっているから、レヴィシアを行かせた。嘘をついた。

 ユイトルがレヴィシアを守ろうと思うなら、わざわざ危険な場所に連れて戻ることはしないはずだ。

 以前と同じように、二人は同時に守れないから。

 ここまで助けに来てくれるわけがない。


 もう、諦めている。ユイトルにとって、一番は自分ではない。

 ただ、馬鹿な自分は、ユイトルが全力で守ろうとする少女を、自分も守りたいと感じてしまっている。

 だから、ユイトルがレヴィシアを選んでくれたらいい。

 レヴィシアを守った自分に、心の片隅で感謝してくれたら、それでいい。

 ここで散ったとしても、忘れないでいてくれるなら――。

 

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