〈22〉上へ
「ユイ!」
レヴィシアは思わず叫んでいた。
けれど、言われるまでもなく、ユイは音もなくふわりと動く彼女の動きに集中していた。キィンと、金属のぶつかる音がして、ユイと、黒猫のような彼女は間合いを取った。短剣を手にした、恐ろしく素早い彼女の動きは、レヴィシアにはまるでわからない。シーゼも、どこまで追えているのか、ただ不安そうに剣の柄に添えた手に力を込めている。
ユイが負けるとは思わないけれど、胸騒ぎがする。体調が悪いせいか、レヴィシア自身も震えが止まらない。
そうして、レヴィシアとシーゼは階段の手前で二人の戦いを見守っていた。すると、ユイと激戦を繰り広げている彼女が、何故かレヴィシアたちの方に一度目線を向けた。微かに、口の端が持ち上がったような気がする。
ドキリ、と心臓が高鳴った。
こちらに注意を払うゆとりが、彼女にはあるのか。まだ、余力を残しているのだろうか。
彼女は、剣を振るうユイから距離を取ると、不意に指を輪にしてくわえ、ピィと甲高い音を鳴らした。その指笛が合図となり、左右の小部屋に潜んでいたレイヤーナ兵と塔の番兵であるシェーブル兵が飛び出す。左右から四人ずつ、この広さで戦える人数を考えての数だ。
兵士たちはユイに目もくれず、まっすぐにレヴィシアとシーゼに向かって迫り来る。
「レヴィシア、早くこっちへ!」
シーゼがレヴィシアを促し、階段を駆け上がる。背中にレヴィシアを庇いながら、シーゼはエストックを引き抜いた。細い刀身を正面に構え、シーゼは先頭のレイヤーナ兵の肩に鋭い突きを放つ。
「ぐぁ!」
剣を取り落とした兵士の、更に太ももを突き、ふくらはぎを斬り払い、彼を階段の上から落とした。後ろに控える兵士二人が、負傷した仲間を支えるが、その隙にシーゼはレヴィシアの手を引き、階段を更に上へ急ぐ。この状況では、上に逃れるしかなかった。
すぐさま駆け寄ろうとしたユイに、鋭い刃が迫る。
「くっ……」
かろうじて受け止めたものの、意識は彼女たちに向かっていた。
そんなユイを、青い瞳が嘲笑う。
「おニイさん、気もそぞろね。でも、ちゃんと相手してくれなきゃ駄目よ」
レヴィシアは螺旋階段の上からユイを見下ろしていたが、シーゼがそれを急かす。
「今は逃げなきゃ駄目! ユイトルなら大丈夫だから!」
本当に大丈夫と言えるのか、シーゼはそこまで信じているのだろうか。
自分にそう言い聞かせていないと戦えなくなるからなのかも知れない。
こんな状況だというのに、ユイはレヴィシアの不安を取り除くことを考えてくれた。
「すぐに追い付く! だから、今は先に行くんだ!」
背を向けたままのその言葉を、レヴィシアは信じるしかなかった。
「絶対だからね! すぐに来てよ!」
声を嗄らして叫んだ。ユイは微かにうなずいたような気がした。
レヴィシアはシーゼと共に階段を駆け上る。
その途中、小窓があった。レヴィシアは思わずそこから身を乗り出し、混戦状態の下へ向けて声を張り上げた。
「誰か! 中に応援をお願い!!」
誰もかもが手一杯で、無理かも知れない。それでも、叫ぶだけ叫んでおいた。
返事も何も返らない。それでも、待つことも出来ずにレヴィシアはその窓から離れて先を急いだ。
「あーあ、先に行かせちゃって。上に兵士がいないわけないでしょ。いいの?」
クスクス、と彼女は息ひとつ乱さずに笑う。
「わかっている。だから、早くけりを着けて向かわせてもらう」
ユイが薙いだ剣のひと振りを、彼女は軽やかにかわしてみせた。
「焦って剣筋が乱れるなんて、つまらないことにはならないでよ?」
幼さの残る顔立ちに、彼女は寒気のするような何かを浮かべ、赤い唇を軽くなめた。
短剣を逆手に持ち替えた彼女の瞳が、獲物を見据えた時、唐突に塔の扉が開いた。
バン、と思い切り扉を蹴り開けたのは、ぼうっとした表情のままのフィベルだった。けれど、彼女――リンランと目が合った瞬間に、フィベルはそっと扉を閉めようとした。見なかったことにしよう、とでも言うように。
「閉めるな! ここを頼む!!」
ユイが叫ぶと、フィベルは嫌そうに顔をしかめた。
「外も大変」
そうぼやく。
「わかってる! でも、中も大変なんだ! レヴィシアたちが――」
「ちょっと、おしゃべりが過ぎるわよ」
リンランはすでに笑っていなかった。ユイとフィベルがそろって、分が悪くなったと感じたせいだろう。先ほどまでの遊びのような動きではなく、本気で仕留めようとするかのように、ユイののどもと目がけて斬り込んで来る。
それをギリギリで弾き返すと、ユイは後ろに下がった。渋々、フィベルが駆け寄って来る。
ユイはほっとして階段に向けて駆け出した。
「もう! あんたは外で遊んでなさいよ!」
ユイに逃げられ、リンランは殺意のこもった視線をフィベルに向けたが、フィベルは眠たそうに瞬いただけだった。
「めんどい……」
「うわ、ムカつく!」
フィベルが抜け、外も苦戦を強いられることとなった。なるべく早く戻らなければならないのだけれど――。




