〈18〉生け贄
この王子の思惑から逃れる術はあるのだろうか。
そう、ユミラはぼんやりと考えた。
その言葉のひとつひとつは、私利私欲からではない。だからこそ、真っ向から否定することができない。民を思う、その心に嘘がないから、彼はそのためなら手段を選ばないのではないかと思う。
だから、今、ここで押し問答をしている状況というのは、彼が自分に与えた猶予なのだとユミラは感じた。
ただ一人、この場で結論を出さねばならないのかと不安になる。皆がそばにいてくれたら、と。
けれど、そこでふと気付いた。
これほどの人物なら、色々なことを読み、先を見通していたはずだ。組織の動きも読んでいたと考えるべきだろう。だから、自分を連れ出した。
レヴィシアたちがジュピトのいる塔に向かったと知るのなら、なんの手も打たずに放置するだろうか。
そんな疑問が顔に出ていたのか、ネストリュート王子はユミラの疑問に答える。
「どうした? 仲間たちのことでも気がかりなのか?」
「……仲間たちが屋敷を離れ、手薄になる時を狙われたのですから、皆がどこへ向かったのかもあなた方はご存知なのですね。何か、仕掛けられているのでは……」
率直にそう尋ねた。ネストリュート王子はそっと微笑む。
「何か、か。ジュピト殿下の身辺は、私の屈強な側近に任せてある。私が止めぬ限り、彼らは戦い続けるだろう」
「っ……」
やはり、そういうことなのだ。
ユイやフィベルも付いている。彼らが簡単に負けるとは思わないけれど、極力殺戮を避けようとする彼らが不利なのは事実だ。
「……不利、ですか。失礼を承知で、その認識は甘いと申し上げます」
少女の透明な声が、まるでユミラの心を知るかのようにささやく。ぎくりとして振り向けば、美しい顔に表情を浮かべず、淡々とした口調で彼女は言った。
「我らは特殊な訓練を受けた兵です。一対多人数を相手取って戦える者ばかりですから、いかにお仲間方が強いとしても、民間人に勝機はありません」
先ほどのハルトを弁護した時とはまるで別人のように、感情を表に出さない。その様子が、薄ら寒くもあった。ハルトは困惑気味に、そんな彼女の言葉を肯定する。
「俺も、多少なりとも関わり合った彼らが、これ以上死んで行くのは忍びない。皆が生きられる道を選べたらと思う……」
「死……」
呆然と、その一言をつぶやく。けれど、彼女の言葉は容赦がなかった。
「国の平穏のため、不穏分子を一掃する。そこに慈悲があると思われますか? 中途半端に抵抗されれば、生け捕ることも難しいのです」
皆が投降することなどない。最後まで戦い抜くのだろう。
そうしたなら、犠牲者はきっと出る――。
ユミラは小さく嘆息した。双方が衝突せずに兵を引く状況は、ひとつしかないのだと。
心を静め、しっかりとユミラは口を開いた。
「それはつまり、僕があなた様の提案を受け入れ、王となる決意をしたのなら、ジュピト様の価値は変わって来ますね。あの塔の警護を引き上げることも……」
ネストリュート王子はそっと微笑む。
「そうしたなら、それは抵抗組織である前に君の民だ。傷付けないと、君に約束しよう」
この決断を、結局のところは下さなくてはならないのだろうか。
手が届くと思った未来は、すぐそこまで来て掻き消えてしまう。
現実は、いつだって甘くはない。
一時でも夢を見られて幸せだったと思うよりないのだろうか。
あまりの儚さに涙がにじみそうになって、ユミラはそっとうつむいた。それから、一度まぶたを閉じ、次の瞬間にはしっかりとネストリュートの瞳を見据えた。
「……ネストリュート王子殿下、まずはあの塔へ、僕をお連れ下さい。そうして、僕の前で兵を引いて下さったなら、その上で僕は決断いたします」
それしか、皆を救う手立てがないのだとしたら、どんなにレヴィシアに泣かれようと、ザルツになじられようと、決断するしかないのだろう。
嫌だ嫌だと心が叫んでも、こればかりはどうにもならないことだった。
王とは、生け贄なのだ。
一人の犠牲の上に、国が成り立つ。
とても、安い対価ではないだろうか――。




