〈21〉どちらかが
監獄で働く老人と酒場で会った二日後、サマルは単独でルイレイルで待つレヴィシアたちのもとへと戻った。仕入れた情報とザルツの考えを述べる彼は、さすがに疲れが目立つ。
そんなサマルに、レヴィシアは珍しく優しい口調で言った。
「ご苦労様。あたしもその人を信じるよ」
「うん」
ニカ、とサマルは笑った。それを尻目に、リッジは自分のこぶしを握り締めるようにして目を閉じた。
「もうすぐ……」
そうつぶやいたのは無意識だったのだろうか。
「……ザルツたちはもう少し下調べをしながら計画を詰めてるけど、一応、現段階での作戦はこうだって。後、必要なものもここに書いてある」
そう言って、サマルは几帳面なザルツの字の書かれた紙をリッジに手渡した。
「ああ。急いで支度するよ」
そうして、皆が力強くうなずき合って、その場は解散した。
会議が終わってから、廊下でリッジがメンバーの女性に何か指示を出していた。レヴィシアと目が合うと、リッジは苦笑する。
「ロイズさんは疲れていると思うから、少しでも気を休めてもらうために、ちょっとね」
好物でも用意してあげるのだろうか。レヴィシアは軽く首をかしげた。
「そうなんだ?喜んでくれるといいね」
「うん」
その信頼をたたえた笑顔が曇らないよう、絶対に助け出さなければならない。
彼の人を――。
一方、その頃、ギールの町では。
「……私が連絡に行ってもよかったのに。兄さん、駆けずり回って情報を集めて、また連絡に走って、計画の実行時には救出班に回る予定なんでしょ? ちょっと、忙しすぎない?」
兄の身を案じ、ため息をついたプレナに、ザルツはかぶりを振る。ただ、その視線は、サマルが老人から聞き出して作成した、監獄の見取り図に注がれていた。前もって下見をした監獄周辺の地図もある。
「あいつはかわいい妹を一人で歩かせるくらいなら、這ってでも自力で出かけるやつだからな。あれでいいんだ」
ザルツは見取り図の上に指を走らせ、時折トントン、と指先で叩く。頭の中をそうして整理しているのだろう。
下を向いたままの白面を、プレナはそっと見やる。
ラナンとシェインも外出しており、こんな風に二人で過ごす時間は久し振りだった。
レヴィシアとユイと合流するまで、サマルのいなかった一年間は二人だけだったけれど、それはザルツが身寄りのないプレナを心配してくれていただけのことだ。ザルツが望んでのことではない。
二人でいる時間に幸せを感じても、彼が同じようにそう感じてくれることはない。
第一、今のような活動をしている以上、こんな感情で浮かれているのは不謹慎なことなのだろう。そう考え、プレナは気を引き締めた。
そこでザルツはようやく顔を上げる。
「……ロイズ=パスティークの救出は、困難なことだ。けれど、それ以上に面倒なのは、救出後に組織内で浮かび上がる問題かも知れない」
ぼそりとつぶやく。その声音が、妙に気になった。
「それ、どういう意味なの?」
すると、ザルツはその見取り図を小さく折りたたみ、懐にしまう。そして、立っているプレナを見上げた。
「思想の違いだ」
「え?」
「俺たちはレブレムさんが描いた、民主国家の実現に向けて動いている。けれど、『ゼピュロス』は王制の仕組みそのものを壊すつもりはないんだ。ただ、頂点に立つ人間をすげ替えるだけ……。国を憂う気持ちはお互いにあっても、俺たちと彼らでは、もしかすると根底のところで交われないのかも知れない」
「それじゃあ、ロイズさんが戻ったら、私たちの組織とひとつになるどころか……」
「敵対する可能性だってある」
ザルツは恐ろしいことを口にする。
そんなのは杞憂だ。心配のしすぎだと、笑ってあげられなかった。
あの笑顔を絶やさない青年や、異国から来た陽気な一家、やっと再会できた古い仲間でさえも、道を分かつのだろうか。今ではすっかり仲間のように思っていたけれど、今後のことまではわからない。
「でも、それならどうして、ザルツは『ゼピュロス』と関わりを持ったの?」
「後に回しても、いつかはぶつかる問題だからだ」
そう言い放ってから、ザルツは一度言葉を切った。そして、ぽつりとこぼす。
「いや、違うな。必ずそうなるとも限らないと思ったからか。交わる可能性もあり得ると、期待した部分もある」
「交わるって、それはどちらかが折れるってこと?」
レヴィシアは、父親の描いた理想を捨て去ったりはしないだろう。そんなこと、考えたこともないはずだ。それこそが、彼女の原動力なのだから。
「レヴィシアか、ロイズ=パスティークか。どちらかがどちらかの理想に感銘を受け、染まるかも知れない。これは賭けだ」
そうして、ザルツは疲れたのか、気だるげに眼鏡を外して目を閉じた。
「レヴィシアが譲るのなら、俺はその時点で手を引く。……彼に人の上に立つ器量がないと言いたいわけじゃない。リッジがあれだけ心酔しているんだ、立派な人なんだろう。それでも、俺は王制は廃するべきだと思うから」
プレナは、ザルツがどんな気持ちでその言葉を吐いているのか、それを思うと苦しかった。
彼がなくしたものが蘇ることがないように、彼の決意も変わることはない。
相槌も打てず、静かに聴き入るプレナのそばで、ザルツは淡い色をした眼を再び開いた。
それは、どこまでも先の未来を見据えている。




