〈16〉気のせい
レヴィシアは、唐突に目を覚ました。
限界までに見開いた眼から、一筋の涙がこぼれている。天井に向かって無意識に伸ばした手が、虚空を泳ぐ。夢の内容は、覚醒と共に霧散した。
なのに、寂寥感だけがいつまでも胸にある。
この手は、何を捕まえようとしたのか。
何に向かって手を伸ばしたのか。
覚えていないのに、いつまでも暗闇に消える背中だけが思い起こされる。
レヴィシアは手を下ろし、その手で乱暴に涙を拭った。何度、こんなことがあっただろうか。
すぐにまた、何事もなかったかのように笑っていなければならない。部屋にユイとシーゼの姿はなかったけれど、ロビーにいるのではないかと思う。
今日は大事な作戦の日だ。これから、あの王弟を迎えに行く。
会って、話さなければならない。
気合を入れるように、レヴィシアは勢いよく起き上がった。けれど、その勢いでベッドから下りようとした瞬間、世界が歪む。
「っ……」
とっさに手を付いて転倒を免れた。サイドテーブルの脚に肩をぶつける形になる。鈍い痛みが広がるけれど、深刻なのはそちらではなかった。
まだ、頭がはっきりとしない。寝ぼけているのだ。早くしっかりしないと。
そう思うけれど、頭の芯がズキズキと疼く。顔をしかめ、作ったこぶしで額を何度か叩く。
この頭痛も、どこか熱っぽいような気がするのも、全部気のせいだ。
大したことはない。
そうでなければ困るから。
顔を上げ、再び立ち上がると、レヴィシアはいつものように髪を高く束ねる。そうすることで、気持ちを引き締めようと。
活動的なショートパンツと丸襟のブラウス。腰にベルトでダガーを固定する。
支度が済むと、気合を入れるように両頬を手の平で打った。ほんのりと、手に熱が伝わる。
大丈夫、大丈夫。呪文のようにそう唱える。
今日さえ乗り切ればいい。
まだ、がんばれる。
部屋を出てロビーへ下りると、そこには宿の女性と会話をするシーゼの姿があった。作戦前に周囲を警戒するため、情報を仕入れているのだろう。シーゼは階段を下りて来るレヴィシアに気付くと、柔らかく微笑んだ。
「おはよう、レヴィシア」
「ん、おはよ」
笑って返すと、シーゼは宿の女性との会話を切り上げ、レヴィシアの方に歩み寄る。
「昨日は随分疲れてたみたいね。ご飯食べながら寝ちゃうんだもん」
「あ、そういえば、そうだった……」
昨日の記憶はそこで途絶えている。これでは丸っきり子供のようだ。かなり恥ずかしかったけれど、シーゼは優しい声音で言った。
「ずぶ濡れだったし、疲れて当然よね。体は大丈夫?」
その一言にぎくりとする。
シーゼは平然としていた。彼女はこう見えても傭兵だ。体の鍛え方が違うのだろうか。いつも通りきれいで、疲れなど見えなかった。
レヴィシアは精一杯、平素通りの笑顔を保つ。
「うん! たくさん寝たから、すっかり元気だよ!」
「そう? それならいいんだけど」
ほっとしたようにシーゼは言う。この話題を長く続けたくなかったので、レヴィシアは話をそらすために周囲を見回した。
「ところで、ユイは?」
「さっき、サマルが来たの。外でザルツからの連絡を聞いてるわ」
「ザルツたちはもう、向こうに向かってるの?」
「うん、そういうこと」
着々と、作戦が決行に向かっている。やはり、体調が悪いなどと言っている場合ではないのだ。
「……じゃあ、あたしたちも宿を引き払う準備をして来よう」
「そうね」
シーゼもそっとうなずいた。
レヴィシアは先になって部屋に戻る。やはり、悪寒がするくせに、肌だけが熱い。
だから、それを隠し通すために、誰にも触れられたくなかった。




