〈15〉この再会は
「う……」
その時、ユミラは自分のうめく声で目を覚ました。薄ぼんやりと天井を見上げると、部屋の片隅でガタリと物音がした。慌てたような足取りで、彼はユミラに駆け寄る。
「ユミラ様!」
その声は、とても懐かしかった。いつも、親しみを込めて名前を呼んでくれた。
けれど、あの笑顔とはすでに決別するよりなかった。もう、以前のように接することは叶わないはずだった。だから、今、眼前にハルトがいることが、ユミラには夢の続きのように思われた。
ただ、天井は何故かクランクバルドの屋敷のものではなかった。そうするなら、ここはどこだろうか。
そもそも、自分はどうして眠っていたのか。
覚醒したての曖昧な頭で、記憶の糸を手繰り寄せる。そうして、あの猫のような得体の知れない女性と庭園で話していたことを思い出した。
「ハルト……。僕は、どうして……あの女性は……」
体をベッドから起こす。呆然とだけれど、ユミラが口を利いたことでハルトはほっとしたようだった。
ここはどうやら、宿の一室のようだった。以前泊まったことがある宿よりも、少し上等のようだが、ユミラにはどの宿の中なのかまではわからなかった。多分、リレスティの町の外ではないと思うけれど。
ユミラが周囲を見回していると、毛足の長い絨毯を踏み締めながら近付いて来る二人がいた。そばに控える少女はともかく、彼女を従える美丈夫。その姿を目にした瞬間、ユミラは体中に緊張が走った。思わず、シーツを握る手が震えてしまう。
「あ、あなたは……」
先の式典で、貴賓席からその麗姿を見ていた。圧倒的なその存在を示すさまを見届けた。
人違いなどではない。似た人間もいるはずがない。
この距離で相対することになるなど、考えてもいなかった。
ユミラはベッドから下りようと、慌てて体を滑らせる。けれど、ネストリュート王子はそれを手で遮るような動きをした。
「このように手荒な案内をして、申し訳ない。私の落ち度だ。どうか、楽にしてほしい」
体の芯にまで浸透する声。
この人と対峙するものは、己との器の違いに打ちひしがれてしまうのではないだろうか。
何から何まで、常人とは違う。そんな気がした。
ただ、今はしっかりと自分を保たなければいけない。そばに味方はおらず、ここは敵陣なのだ。
公爵家の人間としての自分、レジスタンスの一員としての自分。どちらの自分も、彼に屈するわけには行かないのだから。
「……自己紹介は必要ないようですね。何故、僕を呼ばれたのでしょうか?」
ユミラが立ち上がると、ネストリュート王子のそばに控えていた少女がユミラをテーブルの方に誘った。ネストリュート王子もハルトも席に着き、その場に落ち着くとネストリュート王子はようやく真意を語った。
「君もこの国の国王候補だ。一度、会ってみたかった。それだけなのだが」
そうして、涼やかに笑う。
「弟のハルトが随分と世話になったようだから、その礼も言わねばならぬな」
その途端、ハルトは複雑な面持ちになり、ユミラは思わず赤面してしまった。初手を挫かれたも同然だ。
「そのことに関しましては、誠に申し訳ございません。まさか、レイヤーナ王族の方とは露知らず、数々のご無礼を働きましたこと、お詫び申し上げます」
なんとか取り繕うようにして言葉をひねり出す。けれど、ハルトの方が恐縮してしまったようにかぶりを振った。
「あれは俺が自分の意志で選んだことです。ユミラ様が気に病まれる必要は――」
そう言いかけたけれど、その先が続かなかった。まるで、敵情視察のために潜り込んだように聞こえてしまうと思ったからかも知れない。事実、そうなのだろうか。
自分の申し出が発端だったとしても、これ幸いと便乗したということか。ハルトは、親しみを込めて接してくれているようで、それらはすべて計算のうちだったのだろうか。
そう、疑う気持ちがわいてしまう。何を信じたらよいのか。
今見せている苦しげな表情さえ、演技であったのなら、自分が知っているハルトは虚像だったのだ。
ここで再会したことは、双方にとって喜ばしいことではないのかも知れない。
そんな考えを表に出したつもりはなかった。なのに、そばに控えていた少女は、それを読み取ったかのように切に声を上げていた。
「ハルト様は、ただあなた様を心配されて、放って帰れなかっただけなのです! ハルト様のお心に裏などございません! どうか、それだけはご理解下さい!」
彼女の真摯な言葉は、ハルトを信じたい気持ちを後押ししてくれた。
だから、このことに関して、ユミラはもう、ハルトを疑うことはしないでおこうと決めた。
こんな状況だというのに、ハルトを大切に思う彼女の気持ちを感じ、ユミラは気付けば微笑んでいた。
「わかりました。あなたのその言葉を信じます」
心底ほっとしたように、声に出さずに、唇だけでありがとうございますとつぶやいた。胸に添えた手が震えている。
そんな中、ネストリュート王子が正面からユミラを見据えた。
「君は確かに、ハルトから聴いた通りだな」
笑顔が向けられているというのに、ユミラは少しも気を抜くことができなかった。むしろ、ここからが本題なのだから。
「君のその、他者を思い遣る心が、王者として相応しいものであるのか、それを見極めたかった。ここからは、君の正直な意見が聞きたい。今後の我が国と、貴国にとって、重要な話なのだから――」
ぽつりぽつりと降り始めた雨が、窓を濡らして行く。その音が、ユミラの頭の中をかき乱すように響いた。




