〈3〉頼みごと
「ねえねえ、フォヌシィ死んじゃったんだって」
シェーブル王国東の港町、エトルナの迎賓館にて、あまりにもあっさりとした口調でそう言ったのは、リンランという女性だった。
左即頭部で束ねた黒髪に、青い瞳。黒猫のような愛嬌と残忍さを持つ。
「え……」
言葉をなくし、呆然と動きを止めたのは、レイヤーナ王国第六王子のハルトビュートである。特別秀でたものがあるわけではないが、情に厚く、あたたかな人柄を慕われている。
「フォヌシィが? どうして……?」
そうつぶやいた彼の中に渦巻いた悲しみを、そばにいた少女ティエンが感じ取り、同じように胸を痛めた。人一倍感覚の優れた彼女は、空気の流れや微かな動きから、人の心を読むかのように見通してしまう。
フォヌシィは、彼女たち一族の者であった。
城勤めをしながら潜伏していたのだが、すでに老齢であるため、近く里に下がる予定だった。
リンランは、本国の一族からの報告を冷笑する。
「どうも、ヘマしちゃったみたいよ。斬り殺されたんだって。馬鹿よね、ほんと。歳は取りたくないわぁ」
「……斬り殺された? 一族のことが公になるような事態は?」
「ないわよ。そうそうジジイの素性なんかわかんないって。大体、王様がもみ消してくれるわ」
彼女たちはレイヤーナ王国で王家の闇として暗躍する一族の者たちである。時には暗殺を、警護を、諜報を。『真の王』と一族が認めた者のためにその力を尽くす。そうした存在だった。
でも、とリンランは不敵に笑っていた。
「第二王子クルート様が、王位継承権を放棄したんだって。フォヌシィ、ヘマしたけどジジイにしてはがんばったのかもね」
「!」
その言葉に、ハルトビュートは思わず椅子から立ち上がっていた。
ハルトビュートにとって、クルートは兄である。自身もすでに王位継承権は放棄しているから、それがどれだけ覚悟のいることか、わかっている。だからこそ、驚きを隠せなかった。
そんな弟の向かいの席で、三歳違いの兄王子、ネストリュートは爽やかさを感じさせる微笑を彼に向けていた。
「クルート兄上は病弱で気の優しい方だからな。さぞ、恐ろしい思いをされたのだろう」
気遣うような言葉だけれど、ことの元凶は、このネストリュートである。
闇にうごめく一族『フーディアの民』が選んだ真の王、ネストリュート。
彼を王位に付けるため、彼らは動き、クルートは命の危機を感じて身を引いたと、そういうことなのだろう。
「残るは後三人……」
リンランが不意に厳しい目をして、窓の外を見遣りながらつぶやいた。
頂まで、後三人の障害がある。けれど、未来は一族の意のままに――。
そこで、ネストリュートは優雅に首を傾け、リンランに言った。
「リン、頼みがあるのだが」
ネストリュートのその整った顔を眺めているだけでうっとりとしてしまうリンランは、両手を組んで甘い声で返事をする。
「はぁい、なんなりと」
静かにうなずくと、彼は言った。
「では、クランクバルド家のユミラ少年と会いたいのだが、場を設けてくれないか?」
「い゛」
思わずおかしな声を漏らしてしまったのは、ハルトビュートだった。そんな弟に、ネストリュートは微笑む。
「このシェーブルの王位継承権を持つジュピト王弟殿下にはお会いした。それに次ぐ優先順位を持つのは彼だ。そろそろ、会ってみたい」
ユミラを知るハルトビュートにとって、その申し出は波乱そのものだった。
彼は今、レジスタンスと接触を続けている。素直にレイヤーナ王族である兄との会見に臨むとは思えなかった。兄も、それを承知でリンランを指名したのだろう。手段は選ばない、と。
「いいですけど、確か、まだ子供ですよね?」
「年齢など、大した問題ではない。……手に余るようなら、ヤンを連れて行くといい」
ヤンこと、ヤンフェンは、彼女達と同じ一族の者であるが、隙を見て抜け出すことが多く、今も気付けばいなかった。双剣の使い手であるのだが、なかなかに自由な男である。
「じゃあ、あいつら厄介そうだし、一応連れて行きますね」
えへ、と可愛らしく笑う彼女に、ハルトビュートは薄ら寒いものしか感じられなかった。
先の報告によると、軍事国家ペルシが小国アリュルージに対する武力干渉によって制裁を受け、しばらくは身動き取れない状態に陥っているのだという。
これこそが好機だと、ネストリュートが判じないわけがなかった。
この国の行く末を、兄が決める。その仕上げを、近いうちに決行するつもりなのではないだろうか。
ハルトビュートはただ、兄の考えを否定もできないのに、レイヤーナの干渉に抵抗を続けるシェーブルの民たちのことも心配してしまうのだった。心は、誰もが幸せになれる道はないものかと、どちらにも都合のいい逃げ道を探してしまう。
衝突は、避けられないと、どこかでわかっているのに。
そこでふと、あることを思い出す。
「そういえば、兄上は増援を頼んだと言われましたね? 一体、誰が……?」
あまり好戦的な人物でなければいいと思ってしまう。
ただ、リンランは一瞬顔をしかめただけで、聞こえなかった振りをした。彼女のその仕草に、ハルトはやはり不安を募らせるのだった。
フォヌシィ、名前が初公開ですが、覚えている方がどれだけいるのか……。(【僕の太陽と君の月】より)




