〈1〉重なる姿
あれは、どれくらい前のことだっただろうか。
熊のように大きなおじさんが、積み上げた木箱の上に立って、地面が割れるような大声を張り上げて叫んでいた。わんわんと頭に響くその音量と、頭がどうかしていると思うしかないような内容のせいで、子供だったあの日は、夜になっても寝付けなかった。
王様がいない国?
自分たち国民のひとりひとりが意思を持ち、この国のことを考える。
――変だ。
国は、王様が決めたルールに従って生きる場所。
そうだ。
そのはずだ。
あのおじさんは、頭がおかしい。
最初は、誰も見向きもしなかった。
なのに、何日も何日も、おじさんは声を張り上げ続けた。
すると、その力強さと、不思議と惹き付けられる何かに、足を止める人もちらほら出始めた。
あの豪快な笑顔と、笑い声。不可能なんて、誰が決めたと言い張る、根拠のない安心感。
気付けば、おじさんの前にはたくさんの人が集まっていた。
それでも、子供だった自分に、おじさんの言葉は理解できなかった。
おじさんの描く未来が見えなかった。
そうして、あのおじさんはいなくなった。
けれど、おじさんの言葉はずっとこの胸に根付いていて、その言葉の意味を考え続けた。
王様がいない国――民主国家。
王の独断ですべてが決まることのない、民政の国。
ひとりひとりが意思を持ち、この国のことを考える。
『王』という高みに立つ、一人の『人』にすべてを押し付ける仕組みは、消し去ろう、と。
皆で、肩を並べて生きて行こう、と――。
今、こうして隣国レイヤーナの属国になる未来がささやかれ、レジスタンス狩りに躍起になる兵士たちを眺めながら思う。
この現状を作り出した元凶が『王』であるのなら、王がいるからこそ国があるとは言いがたい。王のいない国という発想が、荒唐無稽だと思わなくはないけれど、未だ見ぬ未来であるのなら、無理だと決め付けることも、同じように愚かなことなのだろうか。
やってみなければわからない、とおじさんは言ったのだ。
その言葉は、正しかったのかも知れない、と月日が経った今になって、ようやく思える。
そんなある日のこと。
いつもの町角に、一人の少女がいた。
栗色のポニーテールをした、まだあどけなさの残る小柄な少女だ。その隣には、長身長髪の美青年、それから、垂れ目の青年、赤毛の青年、数人が、彼女を守るようにそばにいる。
未成年である自分と同世代の女の子は、長髪の青年の手を借り、広場の塀の上に立った。危ないのに、何をしてるのかと思えば、女の子はその不安定な場所で大きく深呼吸をした。
その不思議な光景に足を止め、思わずそちらを見ていると、女の子と目が合った。青い、明るい光をたたえているけれど、何か鮮烈な印象を受ける瞳だった。女の子は、不意ににこりと笑った。どこか惹き付けられる笑顔だった。
ぼんやりとしていると、彼女は視線を外し、遠くを見るようにして唐突に声を張り上げた。
「皆さん、聴いて下さい!!」
子供を遊ばせる若い夫婦、くつろいでいる老人、通り過ぎるだけの人々。そんなのどかな風景の広場の中で、女の子は人々の視線を一身に受ける。
「私たちはレジスタンス組織『フルムーン』です。――この国の現状を、皆さんはどう思われますか?」
突然、そんなことを言う。
「この国に何が必要か、皆さん、考えてみて下さい。『王』という指導者でしょうか? では、『王』とはなんでしょうか? たった一人の人間が、国を支えて生きることなど、できると思いますか? どんなに苦しみ、悩み抜いても、完璧になんてなれないのです。王は神ではありません。一人の『人』にすべてを押し付ける仕組みが正しいと、それでも思いますか? 今までがそうであったから、考えることもなく、それを受け入れて来た私たちは、今こそ、自身が意思を持ち、この国を憂うべきなのではないでしょうか? 『王』という『一人』では成し得ないことを、私たち民が肩を並べ、協力し合うことで実現できると、私たちは信じています。『民主国家』という選択を、未来を、私たちと共に選びませんか?」
その声は、女の子の容姿に違わず、高くかわいらしいものであった。けれど、朗々と語るその言葉は、あの子供だった日に聴いた、おじさんの言葉だった。
華奢な彼女は、巨漢だったおじさんとは似ても似つかない。共通点は髪の色くらいだ。
なのに、何故か――。
そのひと言ひと言に、あの姿が重なる。
あの時、成長が間に合わず、賛同できなかった思想に、今になってようやく拍手を贈ることができた。レジスタンスの思想に対するこの行為を兵士に見られたなら、連行されてしまうだろう。そんなことはわかっている。けれど、どうしても、今、こうしなければならないと思った。
湧き上がる感情に、自然と涙が浮かぶ。
女の子は、もう一度こちらを見ると、嬉しそうに頬を染め、屈託なく笑って手を振った。
ありがとう、と。
パラパラと、拍手の音が続く。きっかけがあれば、そうしたこともできるのが民衆なのだ。
一人ではなければ、勇気が出る。
その光景は、彼女やおじさんが語る内容の裏付けなのではないだろうか。一人ではできないことも、皆が協力すればできるのだと。孤独という不安がなければ、人は強く在れるのだと。
「あ、レヴィシア、兵士が来るって!」
そばにいた垂れ目の青年が、どこか遠くを見てそう言った。
「皆さん、聴いてくれてありがとうございます! じゃあ、兵士が来ても、巻き込まれないように気を付けて下さい!」
彼女は拍手の中、一礼すると、軽やかに塀から下りる。それを、長髪の青年が受け止めた。
彼らは駆け去り、その後に国軍の制服を着込んだ兵士がやって来る。事情を訊かれた人々は、バラバラの方向を指差した。
彼女たちが描く未来を、一緒に夢見て先を待とう、とこの時はっきりと胸に決めた――。




