〈11〉恩返し
「……五十六、五十七、五十八、五十九……よし、六十!」
ジビエが手を打つ音で、ルテアはようやく我に返った。眼前には、満面の笑みを浮かべ、空手を大きく振っているニールがいる。額を滑る汗を拭い、ルテアもようやく笑った。
「おめでと、ルテア!」
駆け寄って来たニールが、ルテアの肩を何度も叩いた。痛いけれど、嬉しかった。
ニールの放つナイフの手持ちが切れたのは、初めてのことだ。今日、何度目の挑戦だか覚えていないけれど、今回はすべてを落とし切った。
「よくやった」
隣で、ジビエも微笑んでいる。
ここへ来て、すでに五ヶ月半が経過していた。初夏だった季節は、秋になり、持参した服では間に合わなくなり、町へ降りたクラウズの一員に頼んで買い求めてもらった。事実、背も伸びた。ユイほどの長身ではないにしろ、以前よりは確実に。
最初は、少しでも早く組織へ戻ることしか考えられなかったけれど、今となっては、半年すら短く感じられた。もっと、ジビエから学びたいことがある。けれど、これ以上引き伸ばしてはいけない。
向こうの戦況が気になるのも事実だ。
それに、レヴィシアは未だ戻らない自分をどう思っているだろうか。
怒っているのか、死んだと思って諦めているのか。
会うのが、後になればなるほど、それも少し怖かった。
けれど、確かな手ごたえはある。今度こそ、守れる自分になれたと思いたい。
※※※ ※※※ ※※※
それから数日の後、ルテアは酋長であるムタルドのもとを訪れた。すると、そこにはニールとジビエの姿があった。それだけではなく、他の面々、屈強なクラウズの仲間たちがいる。
最初にここを訪れた時のことを思い出した。
けれど、今ここに座る自分は、あの時とは違う自分だ。
「……長らく、お世話になりました。もうすぐ約束の半年になります。だから、改めてご挨拶に来ました」
深々と頭を下げると、ムタルドの嘆息が響いた。
「これから、戦に身を投じるのか?」
「はい」
ルテアはそう、はっきりと答えた。揺るがない意志を伝えるため、しっかりとムタルドの瞳を見据える。日に焼けた顔でムタルドは静かにうなずく。
「そうか……」
その仕草を見た時、ルテアははっきりと、半年前の彼の真意を知ることができた。
それに対しての感謝の気持ちが、自然と湧き出て来る。
「あの日、俺が半年間ここに残るようにと条件を出したのは、俺のためだったんですね」
満身創痍で、戦えもしないくせに戦うと言い張った愚かな子供のため。
生き残れるだけの強さを持たないことを認めなかった自分に、ああいう言い方を持って救ってくれた。
「……それがわかるようになったのなら、少しはここにいた意味もあるだろう」
と、ムタルドは微かに微笑んだ。
「ホルク殿に受けた恩は、お前に返す。お前は、父親の分まで生きるのだ」
何年も昔に受けた恩を、未だにこうして受け継いでくれる。彼らの義理堅さと、彼らとの信頼を築いた父に、ルテアは更なる深い感謝をして再び頭を下げた。
「必ず生き残って、またここに、お会いしにやって来ます。どうかお元気で」
その時、ニールが何故かルテアの隣に座り込んだ。ルテアが訝しげに彼を見ると、よくわからない含み笑いで答えられた。
「……なんだよ?」
名残惜しいと思ってくれるのは嬉しいけれど、ちょっと不気味だった。
そうしていると、ジビエも腕を組んだまま、にやりと笑って言った。
「俺たちも行く。そういう話になったから」
「は?」
ぽかんと口を開けたルテアに、ムタルドは静かに言った。
「すべてではないが、少々力を貸してやろう。屈強なクラウズの戦士だ。そうすれば、その改革とやらが成功する確率は上がるだろう」
「そ、そこまでしてもらうわけには……」
確かに、ジビエ一人でも相当な戦力だというのに、ニールに他の面々も。のどから手が出るほど、その申し出に甘えたい気持ちはあった。けれど、さすがに、世話になりっぱなしだと思う。
それでも、ジビエはルテアの頭に手を乗せて言った。
「この国は今後、大きく変わるんだろ? 俺たちも、まったく無関係を決め込むわけにも行かないさ。いつか、こんな暮らしは限界が来る。わかっているんだ」
今後、この国がレイヤーナに攻め入られることになるとしたら、どんな手を使ってでもクラウズを駆逐するかも知れない。そう考えたなら、他人事ではないのだ。
どうせ変わるのであれば、自分たちの目指す民主国家へ賛同してもらえたなら嬉しい。ザルツなら、何かの対策を練ってくれるのではないだろうか。クラウズたちにも、他と変わりなく分け隔てのない政策を生み出してくれれば、山賊まがいのことをせずとも彼らは生きて行けるようになる。
一般の民とも交流が生まれ、自然と明るい未来がやって来ると信じたい。
レヴィシアが照らす光の中に、彼らの存在も含まれてほしい。
そうして、下山を決めた前の晩。
ルテアはクラウズのひとりひとりに挨拶をして回った。皆、ルテアの前途をあたたかく祈ってくれる。
ただ、アイシェだけは――。
「ルテア」
怒ったような表情で待ち構えていた。けれど、どうにもできない。
「うん、ごめんな」
静かにそう言った。そんな言葉は、きっと聞きたくなかっただろうけれど。
案の定、アイシェは更に目をつり上げる。かと思えば、不適に笑った。
「あたしも行くから」
「へ?」
「もう、決めたから」
「え、あの、危ないし……」
何故かしどろもどろになるルテアの懐に入り込み、アイシェは至近距離で言った。
「あたしと、その好きな娘を会わせたくないんでしょ? でも、駄目。あたしはまだ諦めないから」
ぐ、と言葉に詰まる。
レヴィシアが、シーゼの時のように焼きもちを焼いてくれるとは思わないけれど、アイシェがレヴィシアに突っかかりそうな予感だけがする。
「俺たちは改革のために動かなくちゃいけない。足を引っ張るのは止めてくれ」
はっきりと、それだけはわかってもらわなくてはならない。突き放した物言いをしてみせるけれど、アイシェには通用しなかった。
「了解。じゃあ、支度しなきゃ」
「…………」
上手く伝わらなかった。それとも、恋する乙女は強いというやつなのだろうか。
わからない。わからないけれど、波乱の予感がする。
けれど、どんな状況であれ、レヴィシアに再会できることは何よりの喜びだった。
ようやく。
会いたいと想うのは自分ばかりなのだとしても、会いたい。
いつだって、その想いが自分を動かす力だから――。
……という次第でした。
ルテアももがいてます。
しかし、年頃の少年なのにまるで乙女のようです(笑)
クオルを見習うべきでしょうか。
次は第六章です。二人の再会を見届けて頂けると幸いです。
では、ありがとうございました。




