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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅴ´

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210/311

〈10〉いつか曖昧に

 頭が冷えたと思えた後、ルテアは一度着替えるために借り家に戻った。当初の予定では、こう長居するつもりではなかったので、あまり着替えも多くは持って来ていない。ただ、今の季節は干せばすぐに乾くのがせめてもの救いだった。


 肌に張り付く服を脱ぎ捨て、体と頭を拭き、綿のシャツに着替える。薄手で半袖のシャツは、ここを去る頃には寒くて着ていられないかも知れない。それに、最近、ほんの少し、パンツの丈が短くなったような気がする。気のせいと言われてしまえば否定できない程度だが、そう思うのは願望だろうか。

 最近は、髪も結わなくなった。そんな暇があれば、鍛錬に回す。今は、伸びたと思えた部分だけを適当に自分で切る程度だ。邪魔にさえならなければ、後はなんだっていい。


 思いのほか、気分転換に時間がかかってしまった。ジビエやニールは待ちくたびれているのではないかと思う。道中、アイシェと顔を合わせないことだけを祈りながら集落を走った。



 そして、何故か他愛ない言い合いになっていたジビエとニールの間に割り込み、稽古を再開した。

 夕方近くになってようやく、ジビエは稽古を打ち切った。ルテアはもちろんのこと、最後まで付き合ってくれたニールもぐったりとしていた。二人して地面に仰向けに転がる。

 何気にルテアが顔を向けると、ニールはへへ、と笑っていた。だから、何故だかルテアも笑ってしまった。そんな二人の額を、ジビエがぴしりと叩く。


「ほら、起きろ。メシ食いっぱぐれるぞ」


 集落での食事は、大勢が集まって食べる。当番の女性たちが、大きな鍋で何かをかき回していた。芳しい匂いに、空腹感を呼び覚まされた。あれだけ動いたのだから、無理もない。

 この季節なら、家に閉じこもるのではなく、外で輪を囲むようにしてその場で食べる。正直、いつもが大家族のような賑やかさなのだ。


 ただ、こうなると、アイシェと顔を合わせないわけにはいかなかった。どう接するべきか考えながら、食事が配られるのを待つ。幸い、アイシェはまだ来ていない。

 そうして、鍋の中身である、川で捕れたぶつ切りの魚の入ったスープと、雑穀のパンが配られた。焚き火で焼いたパンは少し焦げていたが、それもご愛嬌だ。パンをスープに浸して食べていると、食事を配っていた女性の一人が言った。


「アイシェは?」

「あれ? まだ戻らないのかい?」

「そういえば、最後に見たの、いつだったかしら?」


 その瞬間、ルテアは呆然としてしまった。まさか、あの後、集落に戻らずどこかをふら付いているのだろうか。もし、そうなのだとしたら、自分のせいかも知れない、とどこかで思う。

 なんでもなく笑っていて、平気そうに見えたのは、彼女の精一杯の強がりで、本当はどこかで泣いていたりするのだろうか。

 ルテアは慌てて木製の食器を地べたに置くと、そのまま立ち上がった。


「俺、ちょっとそこまで見て来る」


 辺りは少し薄暗かった。急がなければ、日が落ちる。


「ルテア一人で? おれも行くよ」


 ニールはスープを急いで飲み干す。その時、ジビエも立ち上がっていた。手には二人分の棍を持っている。その片方をルテアに手渡した。


「酋長にルテアのことを任されてる身だからな。お前らだけでは行かせられない。ほら、行くぞ」


 日が落ちれば獣も出る。早く見付けなければと気だけが急いた。



 心当たりなど、まるでない。

 けれど、この山でアイシェが行けるような場所は限られている。川でないとしたら、下る道くらいのものだ。こう日が落ちかけて来ると、鷹のアーロもあてにできそうもない。

 三人は、急ぎつつも見落としがないように崖下や木の裏側まで調べつつ、アイシェの名を呼ぶ。けれど、返事はなかった。


 そうして、どれくらいか下り続けた頃、ジビエがとっさにルテアとニールの前に手をかざし、二人が声を出すのを静止した。彼は何かを見付けたようだ。その場から、身を屈めて崖下を覗き始める。

 ルテアもニールもそれに倣うと、微かな話し声と、焚き火らしき炎が見えた。火を囲むのは、十人程度の男たちのようだ。あれはきっと、隊商だ。クラウズの出没するこの山を無事に抜けるため、徒党を組み、護衛に傭兵を雇ったのだろう。

 遠い声だけれど、静かな山の中だ。拾うこともできた。


「――それにしても、本当にこの娘はクラウズの一員なのかな?」


 そんな声に、ドキリとする。ルテアはジビエに顔を向けたが、ジビエの表情は微動だにしていなかった。その会話の先に集中している。


「他に、こんな場所に一人でいる理由が思い付かないけどな」

「この娘がクラウズだとして、人質にすれば無事にこのタルタゴ山の間道を抜けられる。……いや、それよりも、クラウズを一網打尽にできるかも知れない」


 不穏な流れに、ルテアは棍を握り締めたが、ジビエはそれでも動かなかった。

 傭兵らしき野太い男の声がひと際大きく響いた。


「そうだな。そうすりゃ、きっと褒美が出るぞ。レジスタンスなんてケチな連中を突き出すより、ずっといい」


 あははは、と哄笑が響き渡る。


「最近、レイヤーナ軍によるレジスタンス狩りが活発だしな。今更レジスタンスなんて捕らえても、褒美なんて微々たるもんだ。それより、軍も手を焼くクラウズの方が高額だろう」


 レイヤーナ軍によるレジスタンス狩り。

 その内容に、ルテアはドクリと心臓が強く脈打つのを感じた。そんな彼の心情など知らず、隊商の面々は続けた。


「そうだよな。レジスタンスでも、よっぽど有名なやつなら別だけどな。例えば、脱獄したロイズ=パスティークとか、もういないけど、レブレム=カーマイン級なやつ」

「あ、でも、娘がいるんだろ? その娘もレジスタンス活動をしてて、そこは今ではかなり大きな組織になってるって聞いたぞ」

「へぇ。でも、レイヤーナ軍があの調子なら、狩られるのは時間の問題だろ?」

「でも、そうしたらここはレイヤーナの属国になるのか? それくらいなら、レジスタンスにがんばってもらった方がいいか?」

「さあ。どう足掻いたって、なるようにしかならないさ。俺たち傭兵は、流れに合わせて気楽に生きて行けばいい」


 棍を持つ手が、どうしようもなく震えた。

 今すぐにでもこの山を降りて、レヴィシアのもとに駆け付けるべきなのではないか。

 そうしなければ、あの悪夢が現実となってしまうのではないか。

 そんなことあり得ない、なんて、絶対に言えない。どんなに大事に想っても、あっさりと奪われてしまう。それが現実だと、何度思い知らされたことか――。


「……ルテア」


 ジビエの静かな声で我に返った。

 そうだ、今はアイシェを助けなければならない。

 嫌な汗が噴き出した額を拭い、ルテアはうなずく。ニールも同様にうなずいた。



 三人は足音を極力落とす。ジビエもニールも、襲撃前に旅人に気付かれないために、そういった動きを身に付けている。一番音を立てていたのはルテアだった。


 隊商のすぐそばの木の裏に身を潜め、そこから先を見遣ると、両手を木にくくり付けられ、猿ぐつわを噛まされているアイシェがいた。散々もがいた後なのか、少しぐったりしていた。

 ジビエはするりと彼らの前にまるで陰から湧き出たかのように姿を現した。ルテアとニールも慌ててその後ろに付く。

 談笑していた彼らは、三人に気付いて慌てふためいた。


「な、なんだお前ら!?」

「……そこの娘を返してもらう」


 ジビエは静かに言った。すると、傭兵の一人が立ち上がり、声を荒げる。


「クラウズか!」


 それに対し、ジビエは答えなかった。ルテアから彼の表情を伺うことはできなかったけれど、傭兵たちの表情を見る限りでは冷淡なものだったのだろう。

 それでも、傭兵たちは腕に覚えがあるのか、それぞれに剣を手にし、三人ににじり寄った。アイシェの瞳が、生気を取り戻して輝く。怖い思いをさせてしまった罪悪感から、ルテアは力強くうなずいた。

 ヒュン、とジビエの棍が鳴った。


「俺たちは、奪われることに慣れていない。加減ができないかも知れないな」


 静かな言葉の裏に、色濃い憤りが窺える。その背から、ルテアはクラウズたちの情の深さを改めて知った気がした。集落のすべてが家族であり、仲間なのだ。

 自分たちが組織に感じるようなもの。もしくは、それ以上の。

 ニールも、いつもの笑みを消し、手にはナイフが数本握られていた。それは、練習用などではない、本物の凶器である。ルテアも覚悟を決めた。


「ふざけんなっ!!」


 傭兵の一人がジビエに斬りかかるも、男の背よりも丈の長い棍により、近寄ることすらままならず、その先で顔面を強打された。鼻から鮮血がほとばしり、折れたと思われる角度に曲がっていた。絶叫しながら鼻を押さえてうずくまる男の頭上を棍が大きく旋回する。

 そのまま、ジビエの棍が立て続けにうなりを上げ、気付けば四人の傭兵がもんどりを打って地面に倒れた。


 毎日打ち込みに付き合ってもらい、その実力は知っているつもりだった。けれど、それでも手加減されていたのだと思い知る。今の自分では、本気を出されたら、ものの数秒で地面に転がされるだろう。

 背筋が寒くなるほどに強い。ユイとどちらが強いだろうか。


 ジビエはそのうちの一人を、棍で後ろに放り投げるような動きをした。倒せるのに、わざとだ。

 ルテアに相手をしろというのだ。

 気を取り直し、ルテアは棍を構え、男の攻撃に備える。呼吸をひとつ。


 男が踏み込むと同時に、ルテアも棍を旋回させ、男の足元を払った。男はそれに素早く対応し、後ろに跳ぶ。けれど、ルテアはすかさず更に踏み込み、棍の軌道を上に跳ね上げた。回転を利かせた棍で、体の数箇所、人体の急所を正確に打ち据える。ジビエほど鮮やかにはできないけれど、それでも男は崩れ落ちた。


 ふぅ、とひと息ついたのも束の間、アイシェに向かって商人らしき男が手を伸ばしていた。戦うことはできないようだが、アイシェを人質にして乗り切ろうとしているのだ。

 ただ、そんな商人は、手の甲に投擲用のナイフを受けて泣き叫んでいた。それでも、ニールは容赦なく二本目を放った。そのナイフは二の腕に刺さり、男はヒィヒィとうめいて転がっている。その隙にニールはアイシェに駆け寄り、体を拘束する縄を切り、猿ぐつわを外した。


 すでに戦闘力のない、もう一人の商人しか立っていない。けれど、ジビエは容赦しなかった。

 更に踏み込むと、怯えた目をした商人を棍で打ち据える。その姿に、ルテアは驚くしかなかった。

 これでは、まるで弱い者いじめだ。

 向かって来た傭兵連中ならわかる。けれど、商人たちに戦う術はない。

 ジビエほどの達人が、弱者をいたぶる姿など、見たくなかった。普段はあんなにも優しく、自分を導いてくれる師なのに。


 故郷トイナックで遭遇した、旅の途中でずたぼろになった男性、トイルの姿を思い出した。あの惨状は、誰のせいであったのか。それは、間違いなく彼らで――。


「ジビエ! もう――」


 ルテアが思わず止めに入ると、それをニールが遮った。いつものように笑わない。それは、真剣な眼差しだった。


「口を挟んじゃ駄目だ」


 彼らは、非道ではない。ルテアをあたたかく受け入れてくれた。

 なのに。

 ルテアはただ、押し黙ってその時間を耐えた。

 全員が意識を失ったことを確認すると、ジビエは振り返る。


「アイシェ、無事だな?」


 その言葉に、アイシェは気丈にうなずいてみせる。


「よし。今回は狙ってのことじゃないからな。積荷は俺たちで運べる分だけでいい。さっさと帰るぞ」


 唖然としてしまった。

 略奪が目的ではなかったはずだ。納得できずにいるルテアに、ジビエは厳しい表情で言った。


「俺たちは、旅人に情けをかけてはいけないんだ。俺たちは、この場所で、人々に恐れられる存在であり続けなくちゃいけない。そうでなくなった時、どうなるかわからないか?」


 山に巣食う悪魔。軍も手を焼く、山賊――クラウズ。

 弱みを見せたなら、駆逐される。兵士が押し寄せ、あの集落を蹂躙する。


「あ……」


 あの、トイルの傷を見て、心を痛めた。

 けれど、今は、クラウズの心に寄り添ってしまった。見方を変えただけで、物事はこんなにも性質を変えてしまう。

 そんなことは、当たり前のようにわかっていると思っていたのに。

 ただ、ジビエは不意にいつもの慈愛を込めた瞳に戻る。


「お前は預かりもの――客分だ。俺たちの事情にそこまで付き合えとは言わない。俺とニールが運ぶ分で十分だ。お前は、そうだな、アイシェを頼む」


 預かりもの。

 突き放されたわけではない。逃げ場を作ってくれた。

 ジビエのその気持ちに、素直に甘えるべきだと、この時は思えた。

 それから――。


「……アイシェ」


 名を呼び、顔を向ければ、彼女は堪えていたものを吐き出すようにしてルテアにすがり付いた。首筋から、小さく嗚咽がもれ聞こえる。震える肩を、そっと抱いた。そうしなければいけないと思えた。


 こうしていると、自分の気持ちは曖昧に、混ざり合ってしまうような気がした。

 アイシェは、自分と同じだ。

 別の誰か(ユイ)を好きなレヴィシアにとっての、自分と同じ。

 レヴィシアの気持ちを知りつつも、忘れることができずにいる。アイシェの感情が理解できてしまう。


 似ている。

 そんな同情、嬉しくないはずだけれど。

 

 いっそ、このまま流されてしまえば、いつか、レヴィシアのことを想う気持ちがすり替わって行けるだろうか。返らない想いに、終止符を打って、違う方に目を向けるべきなのだろうか。

 

 いつまでも変わらない自信があった、たったひとつの想い。

 けれど、そんなものは錯覚ではないだろうか――。


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