〈9〉何よりも、誰よりも
翌朝、ルテアはジビエのところで稽古を続けていた。今日はニールに手伝ってもらっている。
ニールは刃のない練習用の投擲用ナイフを指の間に器用に挟み込み、間髪入れずにそれをルテア目がけて放って来る。細身のナイフは、驚くほどの速度で連射される。それも、ニールは自由に動くので、どの方向から放たれるかわからない。
ニールは両利きのようだ。右を放てば、次は左から。左を放つ間に腰から新たなナイフを右手で抜き取っている。普段は馬鹿なことばかり言っている彼だが、ただの馬鹿ではなかった。
ルテアはそれを棍で叩き落とし、落とし切れなかった部分はなんとかかわすけれど、次第に疲れて来ると、それも危うくなった。
「っ……!」
いくら刃がないとはいえ、当たりどころが悪ければけがをする。
ルテアは気を抜かず、大きく棍を旋回させていたけれど、ニールのナイフが尽きる前にルテアの体力の方が先に底を付きそうだった。
足元がおろそかになり、かかとが地面の出っ張りに取られる。そのまま転倒するかと思われたけれど、傍で見ていたジビエの腕がルテアの胸倉をつかんで止めた。そして、もう片方の腕に握られていた棍でナイフを弾く。
「よし、そこまで」
ルテアは荒く呼吸すると、その場にへたり込んだ。汗が地面にぽたぽたと落ちて染みを作る。
「大丈夫か?」
ニールは涼しい顔で駆け寄って来た。動きはルテアの方が大きいので仕方がないのはわかるのだが、それでも敗北感でいっぱいだった。ニールはこの上、鷹のアーロを従えている。これは鍛錬に過ぎないが、本気の戦闘となったら、やはり勝てないだろう。
毎日、がんばって鍛えているつもりでも、全然駄目だ。まだまだ、こんなにも弱い。
地面から顔を上げないルテアを気遣うように、ジビエがその頭を軽く叩いた。
「少し休憩だ。川で顔でも洗って来いよ」
のどが張り付くようで上手く返事ができなかった。だから、代わりに大きくうなずく。
立ち上がると、フラフラと集落を抜けた。集落から川は近い。――逆だろうか。川の近くに集落を作ったのだろう。
川は岩ばかりのゴツゴツとした足場を抜けた先にある。川のせせらぎが聞こえて来る岩場を、ルテアは歩んだ。木々の間から木漏れ日が差し、すべてを忘れて見とれるほどにきれいに輝いている。
眩しくそれを眺めながら、ルテアは靴を脱ぎ去り、パンツの裾をたくし上げると川に足を浸した。川底の石はぬるりと滑るけれど、疲れた体に冷たい水は心地よかった。
身を屈め、顔を洗うと、更にすっきりした。顔を乱暴に肩口で拭くと、ひとつ息をつく。そうして、ぼんやりと考えた。ニールのナイフをもっと効果的に打ち落とすにはどうすべきか。
いっそ、接近して懐に潜り込むべきなのだろうか。
それを考え続け、ルテアは注意力が散漫だった。
「っ!」
背後から急に突き飛ばされた瞬間、踏みとどまれずに川の中に倒れ込んでしまった。
ルテアは頭まで水を滴らせ、どうせこんな悪戯をするのはニールだろう、と背後をにらみ付けた。けれど、そこにいたのはアイシェだった。あまりに呆気なくルテアが倒れたので、少々びっくりしている風だった。ルテアはもう、立ち上がるのも億劫になり、水の中に座り込んでいた。一度濡れてしまえば、もうどうでもいい。
そんなルテアに、アイシェは笑った。それは、以前のような刺々しさのない、柔らかな笑顔だった。
そういえば、昨晩のことがあった。気まずさを感じているのはルテアの方だけなのか、アイシェは目をそらさなかった。
「ごめん、怒った?」
かぶりを振ると、髪から水滴が飛び散った。アイシェはもう一度、クスクスと声を立てて笑う。
「じゃあ、これでいい?」
ザブン、と大きく水が揺れた。その次の瞬間には、首にほっそりとした腕が絡む。水の音、冷たさを掻き消すように、アイシェの心音とあたたかさを感じ、ルテアの手は焦って水をぱしゃぱしゃと掻いていた。
「お、おい!」
慌てているルテアの耳もとで、アイシェはそっとささやく。
「強くなりたいって、必死でがんばる姿から、気が付いたら目が離せなくなって――今ははっきりと好きって感じてる。だから、どこにも行かないで」
――自分がそうだったから、よくわかる。
好きだと伝えることがどれだけ勇気の要ることか。
だからこそ、ちゃんと答えなければならない。
強くなりたいのは、レヴィシアのため。
いつだってちゃんと帰って来てというレヴィシアとの約束は、何にも勝るから、帰らないという選択はできない。
「ごめん」
そうつぶやくと、ルテアはアイシェの腕を首から引き剥がす。悲しそうな瞳が向けられたけれど、仕方がない。ただ、こんな時でも思ったのは別のことだ。本当に、最低かも知れない。
「俺、好きな娘がいるんだ。だから、その娘のために強くなりたいし、帰るって約束してる」
うつむいたアイシェは、表情が見えない。そうしていると、やはり似ていた。髪の色、背格好、似ているのはそれだけで、別人だ。わかっている。それでも、心が疼いた。
「……アイシェと少し似てるよ。あいつは俺のこと、好きでいてくれるわけじゃないけど、それでも俺は――」
報われない想いなら、別のところに目を向けた方がずっと楽だ。
そんな考えが頭を過ぎらなかったわけではない。
自分を好きだと言ってくれるアイシェと一緒にいたら、いつか自分もレヴィシアを忘れるだろうか。
そう考えて、心が冷えた。
違う。
アイシェを代わりにしてしまう。
似ているから、まるで代用品のように。
うつむいていたアイシェは、それでも顔を上げた。そうして、口を開く。
「諦めてほしい?」
「……うん」
傷付いただろうか。傷付けたとしても、ごまかすよりはいいと思うのは、自分の勝手な思い込みだろうか。
アイシェはこんな時でも泣かなかった。もっと、逞しかった。
「じゃあ、キスしてくれたら諦めてあげる」
「え゛」
思わず固まってしまった後、明らかに拒否する姿勢のルテアに、アイシェは同い年とは思えないような妖艶な表情を見せた。動揺するなという方が無理だ。
「好きな娘としかできない?」
濡れているのでわからないが、顔に嫌な汗をじっとりとかく。アイシェは立ち上がると、ルテアに背を向けてバシャバシャと水を撥ねながら川から上がった。そして、振り返ると一言。
「じゃあ、諦めないからね」
不敵な笑みと共にそう告げられた。
あの強さは、素直に賞賛に値する。けれど、同時に困惑するばかりだった。不甲斐ないと、自分でも思うけれど――。




