〈8〉宴の舞姫
舞を終え、しなやかに礼をしたアイシェと、演奏をしたニールたちに拍手が巻き起こる。ルテアも、彼らの意外な一面を目にし、素直に感心して手を叩く。
そんなルテアのもとに、先に駆け寄って来たのはニールだった。手にはあの撥弦楽器を手にしている。
「ルテア、ルテア、ちゃんと聴いてたか? 観てたか?」
無邪気にまとわり付かれ、ルテアは苦笑する。さっきまでの堂々たる演奏とは別人のようだ。
「観てた。聴いてた。そんな特技があったなんてな」
「ウードは五歳の時から弾いてるからな」
と、照れたように笑う。ウードというのはこの楽器のことだろう。
「それと、アイシェも、こう言っちゃなんだけど、意外だった」
普段の彼女は気が強く、刺々しい部分もある。けれど、踊っている時の彼女はとても柔らかく、女性的だった。本当に踊ることが好きなのだろう。
今もまだ、たくさんの人に囲まれて賞賛を浴びている。その人垣の隙間から彼女を眺めていると、ニールはルテアの背後からのしかかるようにして、その耳もとでつぶやいた。
「意外。うん、意外。結構いい体してるだろ?」
今度は噴き出すような飲み物もなかったので、ただニールの側頭部にこぶしを叩き付けただけだった。
「そんなこと言ってない!」
殴った、殴られた、と一人わめくニールだったが、ルテアは取り合わなかった。そんな彼らを、ジビエは笑って見ていた。
「お前、鈍いなぁ」
「は?」
「アイシェ、ちらちらこっちばっかり見てたぞ」
「だから?」
眉根を寄せたルテアに、ニールとジビエは噴き出した。
「お前が誘えば、あいつは満更でもないってこと」
「宴の夜はなんでもありだからな」
ルテアはぽかん、と口を開け、それから背後のニールを押しのけた。
機嫌が悪くなったルテアの頬に、ニールは指をめり込ませる。
「いや、別にからかってるわけじゃないんだから、怒るなよ」
「怒ってない」
と、その指を叩き落とした。そんなルテアの頭に、ポン、とジビエのごつごつした手が乗る。背が縮みそうで嫌だったけれど、師匠であるジビエなので我慢した。
「わかったわかった。他に好きな子がいるんだな」
「…………」
急に黙ったルテアに、ニールは興味深々だった。
「へぇ。どんな娘?」
「どんなって……」
言葉にすると色あせるような、そんな気がしたけれど、気付けば言葉がもれた。
「無鉄砲で、危なっかしくて、いつも全力疾走してるようなやつ」
もうちょっとましな表現はないのかと自分でも思ったけれど、事実ではある。
「せめて、笑顔がかわいいとか癒されるとか言えないのか」
そう、ジビエに笑われてしまったけれど。
ニールはやたらとニヤニヤしているから、ルテアはもう一度小突きたくなった。
「いつか会ってみたいなぁ。そん時は紹介してくれよ?」
「ん……」
曖昧に返事をする。
「ちなみに、おれの好みは、おしとやかな娘! それでいて芯が強いと言うことないな。後は、声がきれいで、おれの伴奏で歌ってくれたりしたら――」
もう、ルテアもジビエも聴いていなかったけれど。
宴の夜はなんでもあり。
そんなの、他人事だ。自分には関係ない。眠い。
ルテアは体を動かさずにじっとしていることに限界を感じた。疲れが溜まっているのだろう。
とにかく、眠たくなった。だから、立ち上がった。
「俺、そろそろ帰るよ」
「お子ちゃまだなぁ」
ニールのそんな一言をにらんで黙らせた。ジビエはひらひらと手を振る。
「じゃあ、また明日な」
「うん、お休み」
大きく伸びをするように両手を上に突き上げる。背中の筋肉に鈍い痛みを感じた。それでも、また明日から修行の毎日だ。強くなれるというのなら、なんの苦にもならない。
そうして、ルテアは借りている家の付近までやって来た。辺りはすっかり薄暗く、クラウズの皆はまだ宴の真っ只中のため、周囲に人気はない。ただし、家の前にだけ、座り込んでいる人物がいた。
「アイシェ?」
宴の主役が、こんなところでぽつりと座っている。踊り子の衣装の上に一枚上着を羽織っていた。
アイシェはルテアを認めると、そこから立ち上がる。
「どうした?」
ニールやジビエの言葉を鵜呑みにしたわけではない。だから、変に意識したつもりはなかった。
アイシェはいつになく柔らかく微笑む。
「感想聞きたかったから」
「ああ、踊りの?」
すると、アイシェはこくりとうなずいた。
「うん、すごかった。俺、詳しくないけど、きれいだったと思う」
正直な意見だった。素直に、音と一体になって踊るアイシェをすごいと思った。
アイシェはそんなルテアの言葉に満足したようだった。歳相応の女の子らしく、かわいく笑っている。
「そう。よかった……」
すでに家の前だ。とにかく眠かった。
「じゃ、またな」
目を擦り、眠たいことをアピールしながらアイシェの横をすり抜ける。ただし、その途端、背中にもたれかかるようにして、アイシェがぴたりと張り付き、体重を預けて来た。
「お、おい」
思わず振り返ると、アイシェは腕を回し、ルテアの背中に顔を埋める。
「……半年が過ぎても、ここにいてよ」
柔らかな体が触れていることが、とても疚しく感じられた。レヴィシアの顔がちらついて、ルテアは思わずその腕から逃れる。
「それは……できないから。ごめんな、お休み!」
逃げるようにして家に飛び込む。アイシェのことを傷付けたかも知れない。
それでも、嘘なんてつけなかった。
髪をかき乱しながら、ほてった頬を何度か両手でバシバシと打つ。そして、ため息をついた。
どうして、こうした時、どう対応すればよかったのか、誰も教えておいてくれなかったのだろう。




