〈5〉新たな師
それから、一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎようとしていた。
腕もすっかり元通りである。一度不自由してみると、体が自由に動かせることほどすばらしいことはないと実感できた。
そして、今ではあのニールとも友達になった。
面と向かって言われたのだ。友達になろう、と。
目をキラキラと輝かせ、手を差し出し、
「おれ、ホルクさんの息子に会うことがあったら、絶対に友達になろうって決めてたんだ」
そんなことを言われた。
正直、やたらと父親の名前を出して来るので、辟易することもある。けれど、ニールは根っから素直な人間なのだ。それを感じたから、その手を突っぱねることはなかった。
「了解」
握り返した手は、ところどころが硬く、彼なりに日々精進しているのだろうと思った。
そうして、もう一人。
「アイシェ」
草むらで、ニールの鷹――アーロを眺めていたルテアは、逆光の中、自分を覗き込むようにしている少女の名前を呼んだ。
「こんなところにいた。あっちで、ジビエが呼んでるよ」
そう言うと、アイシェはルテアに背を向ける。ツインテールの栗色の髪がふわりと揺れた。
その活動的な服装は、うなじから背中の半分ほどが開いている。
ただ、ルテアは、その後姿が別の人間に見えて仕方がなかった。背格好、髪の色がよく似ている。顔を見てまで間違えたりはしないが、こうして背を向けられると、どうしても苦しくなる。
二ヶ月。
その間に、何が起こっていても不思議はない。
この集落の人間はあまり町には下りなかった。保存の利く食料を最初に買い溜め、後はなんとか採れた作物などで食い繋いでいる。基本的に、三ヶ月に一度、下りればいいのだという。
情報は何もなかった。
不安な日々を毎日、ただ傷を癒すことだけを優先するかのように過ごした。
そして、治ってみれば、自分は何故、ここにいるのか。何をしているのか。
約束を違えるわけにはいかないとわかっている。それでも。
体が疼くほどに、気持ちが急いた。それを、鷹が空を飛ぶ姿を見て落ち着ける。
※※※ ※※※ ※※※
――ジビエというのは、二十代半ばの、クラウズの青年である。
ぱさ付いた髪を後ろで縛り、その縛った先がタワシのようだ。一見、平凡な顔をしている青年だが、注意して見ると、鍛えられてよく締まった体付きだった。フィベルのように、見かけ通りではない人間も知っているから、彼が手練だと聞いても、今更驚かなかった。
彼は、棒術――棍の使い手なのだという。
ルテアが集落の広場にいた彼を見付けると、彼はにこりと笑った。
「来たな」
「うん、どうした?」
首を傾げたルテアに、彼は楽しそうに言った。
「稽古付けてやるよ」
「えっ」
それは、願ってもないことだった。ただ、よそ者で一時滞在の自分に、そこまでのことをしてくれるなんて、思わなかった。いや、正直に言うなら、どう頼めば稽古を付けてくれるか考えていたところだ。
ユイにも稽古を付けてもらっていたが、ユイは剣、弓術が専門で、槍術までは手を出していない。正直に言うと、槍を選んで使って来たのは、背がなかなか伸びなかったからだ。腕が短いという欠点を補うのは、剣よりも槍だった。そんな理由である。
ラナンも剣を使っていたので、教えられたわけでもなく、ほぼ独学と言っていい。
ジビエは棒術だが、それは一番近いものだ。きっと、今後の役に立つ。
「ほら、用意しろ」
「はい!」
声を弾ませたルテアは、瞬時に服の下から携帯槍を組み立てる。そんな動きを興味深そうに見遣っていたジビエは、自分の身長よりも少し長い棍を立てて言った。
「よし。じゃあ、打って来い」
ルテアはヒュン、と槍を旋回させると、棍を地面に付いたままのジビエに向かい、凪ぐように横から打って出た。それは、軽く、カンと甲高い音を立てて止められた。手に、衝撃が残る。
けれど、ルテアはすぐに切り替え、槍を滑らせるように足元から攻めた。それも、簡単に払われてしまう。何度も打ち込むが、一度もジビエの体をかすることはなかった。
最初は、本気で当てるつもりなどなかったのだが、後半はそんなゆとりもなく、一度くらいは当てるつもりで挑んでいた。それでも、当たらなかった。
そして、彼は棍を捌くだけで、足場はほとんど動かなかった。動くのはルテアばかりで、気付けば滝のような汗と、荒い呼吸、心臓が悲鳴を上げていた。
「そろそろ、だな」
ジビエは棍を背中を渡して回し、そうして、ルテアの背後を突く。鋭い衝撃に、ルテアは息が詰まり、意識を置き去りにその場に倒れた。
そんなルテアの体を、ジビエは腕一本で支えた。
その様子を見守っていたニールとアイシェが駆け寄って来る。
「このタワシ頭! 加減しろよ!!」
ニールがぷりぷりと怒りながらルテアを奪い返す。ジビエは顔をしかめながら言った。
「酋長が稽古付けてやれって頼むから、面倒見てるんだ。俺のやり方に口出すな」
「自分だってホルクさんに世話になって来たくせに!」
「なって来たから、こうして――」
言い争う二人を、アイシェは拳骨で殴った。
「うるさい! ほら、ニール、早く運んで!」
なんで自分まで怒られたんだ、とニールは恨みがましい目をしたけれど、アイシェは取り合わなかった。
ただ、ルテアが必死で打ち込む姿が、何故かアイシェの目の奥に残っている。




