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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅴ´

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〈4〉父の行い

 頭が重い。体が熱い。

 まだ大丈夫だと自分を騙したところで、体は悲鳴を上げていた。それでも、ここに来なければならなかった。交渉が成立した後で倒れたのが、せめてもの救いだ。

 ルテアは朦朧とする意識の中でそう思った。


 すると、ぺち、と小さな音がして、額に冷たい水気のあるものが乗せられた。ひんやりとして、気持ちがよかった。そこに、手の平が重ねられる。ふわりと甘い香りがした。

 なんとか、重たいまぶたを開くと、栗色の長い髪が見えた。


 そんなものは錯覚だ。幻覚だ。

 触れてみたら消える。

 だから、触れなかった。再び目を閉じて、乾いた唇でその名を呼ぶ。

 その途端、


「はぁ?」


 と、不快そうな、耳に痛い声が返った。

 やっぱり、別人だ。

 ルテアは再び眠りに付く――。



 そうして、どれくらいか経った時、うっすらと目を開けた。そしてまた、栗色の髪が視界にある。今度ははっきりと、自分を覗き込む少女の、その輪郭までもが知覚できた。触れたら消える。そう思うよりも先に、ルテアは手を伸ばしていた。ただ、頬に触れると、鼻をつままれた。


「寝ぼけすぎ。いい加減にしてよ」


 尖ったその声は、明らかに別人の声。

 ルテアは呼吸が苦しくなって、はっきりと意識を取り戻した。


「――っは!」


 仰向けのままむせると、肋骨に響いて涙が出た。むせ続けるルテアに、その少女はあきれたようだった。


「誰と間違えてるんだか知らないけど、止めてよね」


 顔を向けると、そこにいたのは、自分と同じ年頃の少女だった。見覚えも何もない。初対面だ。

 栗色の長いツインテール。鳶色の眼は少しつり目がちで、気の強そうな表情だった。やや小柄だが、腕、足、腹と、露出の高い服に装飾類。少し、目のやり場に困るけれど、きれいな娘だった。

 ――ただ、やっぱり別人だ。


「悪い……」


 苦しい息の中、ルテアがそれだけをひねり出すと、戸板の奥からあのニールと呼ばれた少年がやって来た。


「お、気が付いたんだ?」


 彼は、気遣うようにルテアを覗き込む。


「大丈夫か?」


 ルテアはうなずいた。


「そっか。おれはニール=シアン、こっちはアイシェ=フォンリィだ。よろしくな、ルテア」


 最初に会った時とはまた違った親しみがある。ルテアが名乗った時から、ニールは誰よりも反応を示していた。山道を行く際も、一番気遣って振り返ってくれていた。


「よろしく」


 色々話したいけれど、今はまだ無理だ。それだけ言うのがやっとだった。

 もうしばらく休んで、回復したら、色々と訊いてみたいことがある。

 多分、ニールもそうなのだろう。訊きたいことがたくさんあるという表情に見えた。



        ※※※   ※※※   ※※※



 それから二日が経ち、ルテアはようやく体を起こせるまでに回復した。

 ニールはルテアの寝かされている寝台の隣に座り込み、目をキラキラと輝かせて口を開く。


「なあ、ホルクさんって、家ではどんなだったんだ?」


 その瞳には、わかりやすいほどの尊敬があった。その勢いに、ルテアは少し顔を引きつらせながら答える。


「どんなって、特に変わったところはないと思うけど。優しかったけど、あんまり家にはいなかったし」


 行商人だった父は、何ヶ月も家を空けることもざらだった。その上、レジスタンス活動を始めてからというもの、会えることの方が稀になった。

 正直にそう言うと、彼は少しだけ悲しそうにうなずいた。


「そっか。ホルクさん、もっと家族と過ごしたかっただろうなぁ。かわいそうに」


 何か、ニールの方が詳しいのではないかと思ってしまう。王都でも父の話を人から聞いて、知らないことの多さに驚いたほどだ。

 今更のようだけれど、少しでも父を知ることが、息子としてできることのような気もした。

 だから、なんとなく尋ねる。


「……なあ、親父がどうしてクラウズと親しく付き合うようになったのか、知ってるか? 知ってたら、教えてほしい」


 すると、ニールは満面の笑みを浮かべていた。


「うん。もちろん。ええと、八年くらい前かな? まあ、きっかけは、おれたち(クラウズ)がホルクさんを襲ったこと――」




 ホルクは領域に入り込んではいなかった。けれど、この時は実入りが少なく、ひもじかった。

 だから、随分と下まで下りて獲物を探していた。

 そうして、行商人という上等の獲物を見付けた。

 大きな荷物を背負い、山道を登るために杖を手にした、まだ若い男だった。背が高くて、彫りの深い精悍な顔立ち、明るい緑色の瞳をした彼は、周囲を取り囲まれても落ち着いていた。


「その荷物、置いて行くなら逃がしてやるが、どうする?」


 仲間の声が山に響き渡った。


 その時、ニールは九歳だった。鷹を従わせる技を習い、ナイフだって上手く投げられるようになっていた。十本投げれば七本は的の中心部に刺さった。もう、一人前だと思っていた。


 だから、見学のつもりで連れて来られただけで、何もせずに木の上で『狩り』を学べと言われたにも関わらず、ニールは勇んで獲物の頭上の枝の上でナイフを構えていた。

 あの、怯えもしない生意気な獲物を怖がらせてやろう、とほんの軽い気持ちだった。

 そんなニールは、木の上でバランスを崩し、あっさりと落下してしまった。


「!!」


 ホルクは、ためらうことなくニールを受け止めた。

 けれど、クラウズの面々はニールが地面に叩き付けられずに済んだことに安堵しなかった。その子供は、敵の手の中だ。ニールを盾に取り、あの行商人は逃げおおせる。

 誰もがそう思った。ニール自身、そう思って、さっきまでの勢いが嘘のように震えていた。

 そんなニールを安心させるためか、ホルクはそっと微笑んだ。


「大丈夫か? どこか痛いところは?」


 ニールは涙をいっぱいに浮かべて、やっとの思いでかぶりを振る。それを確認すると、ホルクはニールを地面に降ろした。


「そうか、よかったな。気を付けろよ」


 それだけだった。思わず、ニールはぽかんと口を開け、チャンスだというのに逃げることを忘れてしまった。小さく手を振っているのん気なホルクに、ニールは思わず尋ねた。


「あのさ、おれのこと人質にしようと思わないの? そしたら逃げられたのに」


 すると、ホルクは笑った。


「俺には君と同じくらいの息子がいるんだ。だから、そんなことしたくないよ」


 人がよすぎる。

 けれど、クラウズは最古の民。恩を仇で返すような真似は、酋長が許さない。

 クラウズの面々は、仕方がなくこの獲物を逃がすことにした。


「今度だけだ。次はないからな」


 そう言われたホルクは、苦笑するとリュックから干し芋と干し肉、小麦粉、豆、オイル漬けの小魚の入ったビンを取り出した。


「帰り道だから、食料もあんまり持ってないな」

「……なんのつもりだ?」

「その子、軽すぎるよ。もう少し食べさせてあげないと」


 そうして、彼は荷物を再び背負うと、じゃあ、と言ってあっさりと去った。不思議な人だった。



 そんな出来事から二日の後、あっさりとまた再会することになるのだが。



 今度は食料をどっさりと持ち、商売に来たと言う。

 酋長の許可を得て、彼は集落にて、物々交換を始めた。繊維で織った織物や、木彫りの動物、羽細工、楽器、面白いものがたくさんある、と嬉しそうに交換してくれたけれど、それで採算が合うのか、こちらにはわからなかった。


 たびたびそうして集落を訪れるようになり、気付けば、集落の誰もが彼の来訪を待っていた。

 商品などなくとも、彼が来てくれたら集落は華やいだ。一緒に歌い、踊り、笑い、仲間であった。



 ある時からぱたりと来なくなった彼を心配し、仲間の一人が町へ下りた。そして、彼の悲惨な結末を知ったのだった。

 優しすぎる人は、早世する。神がその心を愛しみ、引き寄せてしまう。

 別れは唐突で、恩返しも何もないままに、彼は二度とここへは来なくなった。


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