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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅴ

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〈32〉その裏で

 就寝前、レヴィシアは時間帯も忘れ、思わず大声で叫んでしまった。けれど、プレナはにこにこと微笑んでいる。


「うわぁ、あのザルツがそこまで決断するなんて。それに、サマルがあっさり許可するなんて……」

「うん、びっくりした」


 でも、嬉しかったと言いたいのだろう。

 どんな時よりも幸せそうに笑うプレナを見ていたら、レヴィシアの方が泣きそうになった。そんな顔が見たかったからかも知れない。多分、サマルも同じ気持ちだったのだろう。


「おめでと、プレナ」

「ありがとう」


 こんな状況なのに、レヴィシアも幸せな気持ちをお裾分けしてもらった気分だった。二人のためにしてあげられることを考えながら、眠りにつく。



        ※※※   ※※※   ※※※



 その日、レーデはアランに責付かれるまま、クランクバルド邸へやって来た。

 とにかく、レーデがレヴィシアの信頼を勝ち取れば、アランの心証をよくすることができる。あの素直な娘に、レーデがアランがよい人だとささやき続ければ、彼女はアランを信用するかも知れない。


 なんとかしろ、とアランは言う。

 けれど、まるで気乗りはしなかった。なのに、動いている。

 自分は結局どうしたいのだと、自問しながら中庭を歩いた。

 すると、いつの間にかレヴィシアがレーデに駆け寄って来ていた。


「レーデさん!」


 会いに来たというのに、会いたくなかったのかも知れない。


「おはよう」


 他愛ない挨拶をすると、レヴィシアは弾んだ息を整えながら挨拶を返す。


「おはよ。あのね、みんなに聞いて回ってるんだけどね」


 紅潮する頬と輝く瞳が何か眩しい。


「ザルツとプレナがね、結婚するの。だから、みんなでお祝いしたいから、出席してくれる?」


 改革を目指している中でも、そんな普通の幸せがある。

 自分には縁のないことだけれど、人の幸せを妬むほど浅ましくはないつもりだ。


「そう。よかったわね。出席させてもらうわ」

「ほんと? ありがと!」


 信頼を勝ち得ろと言うけれど、気付けば、自分の方がこの曇りのない笑顔に惹き付けられている。

 あたたかい手が、ギュッと自分の冷え切った手を握って大きく振った。

 そんな様子に、思わず笑ってしまう。


「じゃあね、詳しく決まったらまた言うから! アランにも伝えておいてね!」


 大きく手を振り、溌剌とした空気を振り撒いて去った。手を振り返しながら、あの眩しい女の子が、いつまでもあのままでいてくれることを願わずにいられなかった。

 あの娘なら、不可能だと思われるような道のりも、笑って歩んで行けるのではないかと。



        ※※※   ※※※   ※※※



 そうして、レーデは収穫もないまま、夕方になってアランのもとへ戻る。

 浴びせられる罵声を、ぼうっと聞き流していると、また髪を強く引っ張られた。その痛みさえ、次第に慣れてしまう。


 そんな時、扉をノックする音がした。アランは手を離すと、顎をしゃくってレーデに出るよう促す。

 レーデが乱れた髪を手ですきながら扉を開くと、そこには意外な人物がいた。


「ザルツ、さん」

「こんな時間に申し訳ないが、アランと少し話がしたい」


 その声が聞こえたのだろう、アランは姿を見せた。


「話? いいけど、ここで?」


 どうすれば自分の得になるのか、考えている。アランはそんなこずるい顔をしていた。


「……そうだな、外の方がいい。少し歩こう」


 ザルツはちらりとレーデを見遣る。ついて来ないでほしい、と目が語っていた。

 そうして、二人は連れ立って出て行ったけれど、レーデはなんのためらいもなくその後を追った。



 二人は、人気のないところを探していたのだろうか。ただ並んで歩き、坂を上って行く。最初は、クランクバルド邸に向かっているのかと思ったが、そうではなかった。屋敷の裏手、リレスティの南に広がる森を一望できる高みの一角で、二人は立ち止まった。断崖のように切り立った場所は、確かに誰もいない。

 風が、肌寒いほどに感じられるその場所で、アランはひとつ伸びをした。ゆとりを見せようとしているのか、断崖の先から森を見渡すような仕草をし、それからザルツを振り返る。


「結婚するんだってな?」

「……よく知ってるな」


 アランの皮肉っぽい声に、ザルツは抑揚のない声でそう返した。


「で、話って?」


 一瞬、沈黙があった。それから、ザルツはつぶやく。


「俺たちと合流する前に、ファルスっていうメンバーがいたと言っていたが、もしかして、黒髪に黒い瞳をした小柄な青年じゃなかったか?」


 何故突然ファルスの名前があがったのか、アランには理解できなかったようだ。不思議そうに首をかしげながら答える。


「ん? まあ、そうだったな」


 それを聞く前から、ザルツはすでに答えが予測できていたようだった。

 そうか、と小さく言う。


「……それで、ここからが本題だ。アラン、レヴィシアを利用しようとするのは止めてくれないか?」


 すると、アランは一度、表情をなくした。それから、緩やかに口の端を持ち上げ、声を立てて笑う。その耳障りな声に、ザルツがどういう表情になったのか、背後に隠れるレーデにはわからなかった。


「利用? 心外だな。僕は彼女を支えてあげたいだけなのに」


 抜け抜けと、そんなことを口にする。そんな言葉、誰も信じない。


「それが本心で、レヴィシアの理想に感銘を受けての言葉なら、俺は何も言わない。けれど、違うだろう? あんたは、自分のためになんでも犠牲にする人間だ。レヴィシアまで、犠牲にされたくない」


 組織の旗印シンボルである以上に、彼にとってレヴィシアは家族のようなもの。組織のためではなく、彼女個人のためにそう言うのだろう。

 その言葉に、アランがかろうじて保っていた見せかけのゆとりが、パラパラと剥がれ落ちる。


「お前、何様だ!? 偉そうに、僕に意見するな!!」


 そんなわめきに対して、ザルツの声はひどく落ち着いていた。


「……ファルスっていうのは偽名で、そいつは俺たちと因縁のあるやつだ。だから、あいつはあんたが組織入りするように仕向けたんだろう」

「なん、だと?」

「あいつは、俺たちを潰したいんだ。だから、あんたを使った」


 レーデは、ファルスの時折見せる冷えた目を思い出した。

 有能であったけれど、それ故にどこか油断のならない青年。

 彼の目的は、内側からこの組織を壊すこと。そのために、アランに白羽の矢を立てた。

 そういうことだった。アランが、この組織をめちゃくちゃにする。


「わかるか? あんたが組織を掌握しようとして、思い通りに行かずに荒れることも、あいつの思惑通りだ。あいつは、俺たちの不利益になる結果を願っているんだ」


 アランは最初、愕然として聴いていた。

 けれど、彼は結局のところ、どこまでも愚かだ。

 甲高い笑い声が薄暗い中に響いた。


「あいつが、そんなことを考えていたとはな。まあいい、許してやるよ。こんなにもおもしろいところを紹介してくれたんだから」

「何……」

「ほら、今更僕を組織から追い出そうったって、もう駄目だ。お前たちのことは色々知ってしまったからな。密告されたくなかったら、僕に従えよ。僕に。なあ、今すぐにかしずけよ!」


 風の音が、耳に響く。ザルツの肩が揺れた。ため息をもらしたのだろう。


「……残念だ」


 そう、つぶやく。

 アランの顔が、見るに耐えないほど醜悪に思えた。


「残念? ――見下しやがって。まだ、立場がわかってないようだな」


 ただ、その次の瞬間には冷え冷えとしたザルツの声がした。


「わかっていないのは、そっちだ」


 ピン、とザルツの手もとで硬質な音がした。その途端、アランの表情が一変する。


「な、ん……」


 アランの上ずった声が、怯えた顔が、突き付けられたナイフに向けられた。


「組織を立ち上げた時から、血に塗れる覚悟はできている。すでに、策によってたくさんの命を奪った。仲間たちも、手を汚さずにここまで来られたわけじゃない。――組織の障害は、排除する。汚すのがレヴィシアの手ではなく、俺の手で済むのなら、むしろ幸いだ」


 この組織は、彼女を守る人々の集まりだ。誰もが彼女を支え、守ろうとする。

 危険の芽は速やかに摘まなければならない。それを理解しなかったアランに、牙が向く。


 アランは、強張った顔で一歩後ろに下がった。けれど、後ろが切り立った崖であることを思い出し、踏みとどまる。けれど、ザルツは前に進んだ。


「や、止めてくれ。悪かった、は、反省した。もう、何もしないし、組織も抜けるから、た、たす、けて――」


 矜持など、すでにない。いつも誰かに庇われて来たアランは、自らの力で身を守ることすらできないのだ。


「悪いな。その言葉を信じられるほど、俺は楽天家じゃない。恨めばいいとしか言えないが、最後に言い残すことがあるなら――」


 レーデはこの時、アランを救いに走ることができた。けれど、それをしなかった。

 足がすくんで動けなかったわけではない。はっきりと、明確な意思を持って動かなかったのだ。

 恩すらも嫌悪が凌駕してしまった。逆らえないなんて、錯覚だ。

 最初で最後の反抗が、今――。


 そんな彼女の横を、なんの音もなくすり抜けた人物がいた。極度の緊張で心臓が疼いていたレーデは、とっさに声も出ない。


 『彼』は、白手袋の手の平を口もとに添える動きをした。ただそれだけに見えた。なのに、ザルツが彼に気付く前に、アランは恐怖の表情のまま、体を後ろに傾けて崖を転落した。殺害する意志があったにも関わらず、ザルツはナイフを放り、反射的に手を伸ばすような動きを見せる。

 けれど、すぐに踏みとどまった。そして、背後に強張った顔を向ける。



「あなたは……」


 彼はザルツに向け、礼儀正しく一礼すると、にこりと微笑んだ。笑うと目じりに皺ができる。


「はい、クランクバルド家執事でレーマニーと申します。フェンゼース様には何度かお目通りいたしておりますが、覚えておいででしょうか?」


 温厚そうな、それでいて油断のならない雰囲気を持つ執事だ。

 あのクランクバルド公爵に使える身なのだから、一筋縄では行かない人物だろうとは思っていたが、想像以上だった。


「はい。……あなたは、クランクバルド卿の命で動いたのでしょうか?」


 すると、レーマニーはゆったりとうなずいた。


「もちろんでございます」

「卿が、アランを始末しろ、と?」

「ええ。あなた様が動かれるのも時間の問題である故、先に始末せよ、と。危ういところでしたが」

「何故……」

「ご結婚祝いだそうです。それに、主にとりましても、彼の存在は、改革やその後に差し障りますので、不都合だったということです」


 ――守るものを見付け、そばにいる決断をしたからこそ、アランを排除しなければならないと思った。

 何故この時に、ではない。今だからこそ、手を汚そうとしたのだ。

 守るために。


 自分がこの決断することを、公爵は見越していた。

 ただ、この結果も、罪の意識がないわけではない。けれど、平然としたレーマニーの瞳には、深い闇がある。自ら手を汚すことが怖いという気持ちもあった。だから、安堵する自分が、いないわけではなかった。


 あんなに覚悟して決めたことなのに、ずるくて弱い自分だ。

 この執事や、リッジは何を思い、平静を保ちながら暗殺術を身に付けたのだろう。

 そんなことを考えているザルツの心が読めるかのように、レーマニーは笑った。


「人には向き、不向きがあるのですよ。それでは、どうか主のご期待に沿って下さいますように。遅ればせながら、お祝い申し上げます。それでは」


 きびすを返した彼は、去り際に、一部始終を見ていたレーデにも声をかけた。


「あなたも、これからはご自分の道を歩まれますように」


 ぺたりとその場に崩れたレーデに、ザルツはかける言葉を探した。

 この晩の出来事は、二人が墓まで持って行くべきこと――。


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