〈31〉幸せはささやかに
リレスティに帰還した日、結局プレナはザルツと落ち着いて話すことができなかった。
再び会えたら、少しくらいのわがままを言っても許されるだろうかと、それを励みにしていた。なんてことを言ったら、困った顔をするかも知れないけれど。
仲間たちは、あたたかく迎えて労ってくれた。だから、その輪の中から上手く抜け出せなかった。兄は要領よく抜け出し、ザルツと話していたから、ずるい。
その夜、ベッドの中から隣のレヴィシアに尋ねる。
「……ねえ、ザルツ、どうしてた? うん……心配してくれてたのはわかるんだけど」
少し、やつれた印象だった。けれど、取り乱すような人ではないから、多分傍目には淡々としていたのだろう。わかってはいるけれど、やはり尋ねてしまった。それは、今日のうちにちゃんとザルツと話せなかったせいだ。
すると、レヴィシアは隣のベッドで寝返りを打つように転がると、何か急に大人びたような笑みを浮かべていた。
「内緒」
「え?」
「あたしからはなんにも言わない」
プレナは思わず起き上がっていた。
「なんで?」
意味がわからず、目を白黒させたプレナに、レヴィシアはようやく悪戯っぽいいつもの笑顔になった。
「今回はザルツの味方してあげるの」
「何それ」
と、プレナも苦笑する。余計なことは言うなと口止めでもされたのだろうか。
「おやすみ」
言ったそばからもう寝息が聞こえる。プレナは仕方なく眠るのだった。
※※※ ※※※ ※※※
その翌朝、ザルツを探すけれど、見付からなかった。
「プレナ、ザルツだったら町に行くって言って出て行ったけど?」
廊下ですれ違ったシェインがそんなことを言った。何も言っていないのに、先に言われてしまった。
「あ、そうなの? うん、ありがとう」
なんでもないことのように返したけれど、心底落胆していた。また、捕まらない。
仕方がないので、部屋に戻ると、レヴィシアはいなかった。一人、窓際でぼうっと考え事をする。
そうしていると、時間なんてあっという間だった。なのに結局、頭の中はなんの整理もできないままだった。
――以前と同じだ。
考えて、口にしようとした気持ちも拒まれた。
もしかすると、避けられているのかも知れない。
諦め切れていない気持ちを見透かされているのだろう。
惨めだと思うのに、どうしたらいいのかわからなかった。
思考は、悪い方にしか向かわない。なんとなく、涙がにじんでしまう。
そんな時、ドアが叩かれた。
「プレナ、いるか?」
その声に、心臓が鷲づかみにされた。慌てて扉を開く。
「少し、いいか?」
いつになく穏やかに微笑むザルツに、プレナは言いようのない違和感を感じた。何か、胸騒ぎがするというべきか。
「え、あ、うん」
そう答えたものの、これは以前と逆のパターンだ。状況が似ている。
プレナは嫌な予感を感じつつも、部屋の奥へ戻った。ザルツも、中へ踏み込み、扉を締めた。
やはり、あの時と同じだ。
この、縮まらない距離がある。
それでも、労いの言葉のひとつくらいはかけてくれるつもりで来たのだろう。
がんばったな、とその一言でいい。ささやかな幸せで満足するから。
大丈夫。大丈夫。
プレナはなんとかして自分を落ち着ける。
そこで、ザルツが口を開いた。
「あの――」
「な、何?」
落ち着けたつもりが、やはりびくびくしてしまった。そんな様子に、ザルツは苦笑する。
「すごく、虫のいいことを言うと、怒るかも知れないけれど――」
意味がわからず、プレナが小首を傾げると、ザルツは一度深呼吸し、それからはっきりとした声で言った。
「俺と結婚してくれないか?」
呆然とするしかなかった。頭の中からすべてのことが抜け落ちて、真っ白になる。
今、なんと言ったのか。
錯覚のような気がして来た。
なんのリアクションもないプレナに、ザルツは言い訳をするような口調でつぶやく。
「サマルには許可を貰ったんだ。後は――」
それを、プレナが遮る。
「ねえ」
彼にしては珍しく動揺した。顔を上げ、その目を見る。
「改革はいいの? 他のことは考えられないんじゃないの?」
そこで、小さく嘆息する音がした。
「お前がいないと、改革のことも、何も、考えられない。それがわかった。あんな馬鹿みたいなこと、二度と言わない」
一歩ずつ、距離が近付く。
「多分、苦労はかけることになるけれど」
こんな時まで正直だ。だから、笑ってしまった。
「いいわよ、かけても。一緒にがんばってくれるなら」
プレナも一歩ずつ、歩み寄る。その手を取り、ザルツは握り締めていた指輪をはめた。シンプルなデザインの、翡翠の輝く指輪。サイズは少し大きく、その不手際さに笑ってしまったけれど、多分、今までの人生の中で一番幸せな瞬間だった。
その顔を見上げると、ザルツはしばらく黙り、それからプレナの手を離した。
「……じゃ、そういうことで」
と、きびすを返す。プレナは思わずその服をつかんだ。
「何、それ」
「何って……」
わかっている。
多分、相当に恥ずかしかったのだと。
けれど、勘弁してあげるつもりはなかった。
こんな結末があるのだと知らなかったから、たくさん泣いて損をした。その分だけ償ってもらおうかと。
すでに尻に敷かれてる!?
それくらいが平和でいいですよね。




