〈29〉焦燥
憔悴していたザルツも、レヴィシアがまめまめしくお節介を焼き、ようやく持ち直していた。もともと不健康な顔色をしていたけれど、それでも生きていると思えるだけの顔に戻る。
一時はひどいものだった。
その原因である二人が、今、どのような状態であるのか、確かめることもできないけれど、ザルツは立ち直りつつある。覚悟を決めたのか、信じることにしたのか、それはわからないけれど。
レーデは、仲間たちと食堂にて繰り広げられていたやり取りを目にしていた。
全力で彼を心配し、ぶつかっていた、あの時のレヴィシアには、なんの打算もなかった。
ただ、救いたい一身だったのだと思う。
そんな光景を目の当たりにした『ポルカ』の仲間たちが、アランの言い付けに従わなくなって来たのも、彼女が計算してのことではない。彼らが、あの少女を苦しめたくないと思い始めたのは、彼女自身の力だ。
その求心力に、ファルスの援護もないアランが太刀打ちできるものではない。
そうして、このところのレヴィシアのそばには常に誰かがいて、アランに近付く隙はなかった。仲間たちの助力のないアランには、レヴィシアが独りになりたがるよう、不安を煽る手立てもない。
気付けば、自分を囲んでいた『ポルカ』のメンバーたちはレヴィシアのそばで共に笑っている。
ただ焦燥が募り、アランはよく荒れた。
一人、また一人、と去り続け、アランのそばには誰も寄り付かない。それが自身のせいだと気付けない彼は、八つ当たりを繰り返す。
そして、そばには誰もいなくなった。
それでも、レーデは見捨てなかった。
もちろん、大嫌いだ。嫌悪すらしている。それでも――。
町の一角、仲間たちが借りている民家にアランはいた。その家に戻ろうとした仲間から、アランが荒れて家を陣取っているから、説得してほしいと頼まれた。レーデの言うことなら聞いてくれるから、と。
そんなはずはない。誰の言い分も同じだ。
わかっているけれど、放っておけばろくなことにならないから、行くしかなかった。
扉を開けると、民家の中はぐちゃぐちゃだった。裂けたカーテン、ひっくり返った椅子、机、割れた食器。立ち尽くすアランは、やって来たレーデを、肩で息をしながらにらみ付けた。
「レーデ、お前、ちゃんと働けよ」
「…………」
「なあ、返事しろよ」
「はい」
淀んだ目だ。何もかもが気に入らないのだろう。
アランはレーデのそばに近付き、その髪を抜けるほど強くつかんだ。顔を僅かに歪めた彼女の頭を壁に押し付ける。
「お前、誰のお陰で生きて来れた? 僕の家のお陰だろ?」
「……はい」
「屋敷を出て行く時、お父様に僕のことを頼まれたんだろ?」
――知っていたのか。
レーデは、彼に更なる落胆をした自分を感じた。
この駄目な息子にも甘かった当主は、家出をする彼を心配し、レーデに頼んだのだ。共に行き、息子を助けてくれと。
そんなこと、アランは知らないと思っていた。知っていたなら、さすがに自分をついて来させなかったと。彼にも、それくらいの矜持はあるはずだと。
けれど、そんな考えは甘かった。
自分が共に行くことで、父親からの援助を受ける繋ぎとなる。それを承知で連れて来ていた。独立など、表向きだけ。その、どこまでも腐った性根に、レーデは心で唾棄するばかりだった。
それでも、彼は自分こそが正しいと、特別だと言えるのだ。
「早く、あいつらを僕の前に這いつくばらせろよ。それができなきゃ、お前に価値なんてない。使用人――いや、罪人の子であるお前にはな」
罪人の子。
それは紛れもない事実である。
ただ、その事実のどこにも悪意はなかった。事故なのだ。
あの時、馬を御し切れなかった父が、貴族の娘を撥ねてしまった。そうして、父は罪人となり、家族も皆同じ運命をたどるかと思われた。
貴族を死なせてしまったのだ。平民の命など、それに比べたら吹けば飛ぶほどに軽い。
それを、子供に罪はないと救い上げてくれたのが、アランの父親だった。だから、恩人の頼みを断ることはできない。
アランをどんなに嫌悪しようと、あの主人に頼まれた以上、逆らえない。
ほとんど刷り込みのようなものかも知れないと思うのに、逆らえない。
ただ、これは、本当に恩だけのことなのだろうかと、ふと思う瞬間がある。
使用人の子である自分は、生まれながらにして貴族に傅くようにできているのだ。
身分とは、逆らえない血の中にある。断ち切ることなどできるのだろうか。
こんな屑のような男にさえ、逆らえずにいるのに。
レヴィシアたちが目指す未来は、それを取り払ったものだという。
王様も貴族もいない、そんな国が存在できるのだろうか。
わからない。
けれど、もし、それが可能なのだとしたら、そこに自分は何を望むだろうか。




