〈28〉絆
二人がいない。帰って来ないかも知れない。
打ち捨てられた場所で、折り重なるように倒れる姿を夢に見て、毎日、眠るのが恐ろしくなった。
そばにいないと、何もできない。
こんなに脆弱な自分だと知っていたなら、二人は行かないでいてくれただろうか。
そんな馬鹿なことを取り留めもなく考えてしまう。
早く、改革を軌道に乗せ、形にしなければならない。
空の王座の王国。こんな状態がこれ以上続いてはいけない。
早く。早く。
なのに、体は。
眠れないし、食べられない。
家族を失った時だって、こんなことにはならなかった。もっと冷静だった。
けれど、今は、守りたい人たちがいなくなった国に、以前のような気持ちを抱ける気がしなかった。
何か、心のどこかで、もうどうでもいいと思ってしまっている自分も、確かにいた。
そんな時、扉が叩かれた。
「ザルツ、いる?」
レヴィシアだった。
ザルツは重い腰を上げ、ゆっくりとした足取りで扉に近付く。それだけのことに、妙に疲れた。
「どうした?」
戸口に立っていたレヴィシアは、困ったように微笑んだ。
「うん、ちょっと来て」
「今、か?」
そんな声を無視し、レヴィシアはザルツの左手を取った。あたたかな体温が伝わる。
「いいから、来てよ」
グイ、と引っ張られた。彼女の力にさえ、抗う気力がない。ひどく億劫で、引かれるままに歩く。
こんな風にレヴィシアと手を繋ぐのは、いつ振りのことかと、ぼんやりと思った。
レヴィシアが向かったのは、使用人たちの食堂だった。使用人たちが食事済ませた後、レジスタンスの面々もここで食事を摂らせてもらっている。気のいい仲間たちはすでに、厨房の人々とも仲良くなっていた。ゼゼフなどは調理を手伝っているらしい。
そのゼゼフが、腰にエプロンを巻き、盆に乗せた食事をたどたどしく運んで来た。
「あ、あの、これ」
どろりとしたスープ状のものだ。旨味を引き出すため、野菜を形が崩れるまで煮込んである。野菜の他に、香り付けの香草の匂いがした。多分、手がかかっただろう。
そうは思うのに、その匂いを嗅いだだけで気分が悪くなった。けれど、それを表には出せず、平静を装う。
「座って」
レヴィシアはそう促す。仕方なくその木製テーブルの一角に座ると、レヴィシアはその正面に座った。ゼゼフは二人の前にそれぞれ、スープを並べる。
「うわぁ、おいしそう」
にこにこと、レヴィシアは言う。ゼゼフは照れていた。
「く、口に合うといいんだけど」
ザルツの耳には、食堂にいる他のレジスタンスメンバーたちの立てる音が、どこか遠く、耳鳴りのように感じられた。レヴィシアの大きく青い瞳が、じっとザルツに向けれられている。
「お昼、まだでしょ? 一緒に食べようよ」
「ん、ああ……」
時間を稼ぐよう、緩慢な動作で木のスプーンに手を伸ばす。そんな動きを、皆が目で追っているような気がした。
何か、嫌な汗が噴き出すのがわかった。レヴィシアは先に口を付けず、その動きを待っている。
手が、震えた。
作ったゼゼフには申し訳ないが、後で吐くことになったとしても、この場はなんとか食べてやり過ごそうと思った。なのに、それさえできなかった。
スプーンをカタリと置く。
「……やっぱり、後で食べる」
程度の悪い言い訳だ。こんな時だけ笑っている自分に嫌悪感が湧く。
レヴィシアは一瞬瞠目した。落胆しているのだろう。
わかっている。心配してくれている。
「後って、いつ?」
ぽつり、と声がもれる。
「それは――」
その次の瞬間、レヴィシアは、手に握っていたスプーンを叩き付けるようにしてテーブルに両手をついた。周囲がシン、と静まり返る。
うつむいて、それからザルツをにらみ返したレヴィシアの瞳には、うっすらと涙があった。
「じゃあ、ザルツが食べるまで、あたしも何も食べない」
――どうしてこう、いつも体当たりするように接して来るのか。
けれど、レヴィシアがこうした時、どこまでも本気であることを、ザルツはわかっている。
本気で、ザルツが食物を口に入れない限り、レヴィシアも絶食するつもりだ。
それがわかるから、付き合わせたくないから、強がることはできなくなった。
「……すまない。今は本気で食べられない」
眼鏡を外し、目頭を押さえた。感じたことのないような疲労感が体中を巡る。
そうしてまぶたを持ち上げると、レヴィシアは今にも泣き出しそうな表情のまま、声を絞り出した。
「二人がいないんだもん。あたしがザルツのこと支えなきゃ」
レヴィシアだって、ルテアがいなくて、プレナとサマルがいなくて、苦しさは同じはずなのに。
それを、自分の心配までさせて、何をやっているのだろう、と呆然とした。
子供だったあの日、孤独から救ってくれた友人たち。
もし仮に、二人が戻らないのだとしたら、二人の分まで、レヴィシアを守っていかなければならないのに。
ザルツは、ぬるくなったスープをひと匙すくい上げ、躊躇するよりも先に口へ放り込んだ。やはり、このところ、ろくに食物を通して来なかったのどは拒絶するように動いたけれど、口もとを押さえて無理やりに嚥下する。
たった、それだけのことだった。
なのに、レヴィシアは椅子を倒してザルツに駆け寄り、横からその首にしがみ付いて、大声を出して泣いていた。
あの昔日と何も変わらない彼女。
ザルツはその頭を、子供の頃のように撫で、小さくささやく。
「悪かった――」
そんな光景を、仲間たちは眺め、ほっと息をもらしていた。
手のかかるお兄ちゃんです。




