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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅴ

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〈25〉昔日 後編

 そうして、遊び疲れるという、初めての体験をした。

 くたくたになったけれど、ザルツは三人と別れてから、毎日の日課を果たしに、屋敷の中のある部屋へと足を向ける。

 ドアをノックした。


「入るよ」


 返事を待たず、中へ入る。それも、いつものことだった。

 大きな天蓋の付いたベッドがあり、その横には椅子に腰かける母親の姿があった。


「あ、お兄ちゃん」


 ベッドから、声がする。母親は部屋に入って来たザルツに微笑んだ。


「ザルツ、リィルは疲れているから、手短にね」

「はい」


 痩せ細った四肢、血色の悪い肌。ぱさついた短い髪。

 弱々しさしか感じ取れない、小さな少年。二つ下の弟。

 生まれ付き体が丈夫ではなく、ほとんど部屋から出ることができない。自力で歩くことさえ、彼には困難だった。


 だから、常に誰かがそばにいた。主に母親、それから使用人たちもリィルに気を配っている。父親も、忙しい仕事の合間に欠かさずリィルの様子を伺いに来る。

 彼は、この屋敷の中心だった。


「お兄ちゃん、僕、今日は――」


 そう言いかけ、リィルはごほごほと咳をした。最初は小さかった咳が、徐々に大きくなり、次第に体をよじって咳き込み出す。ザルツはこうしたたび、ここへ来たことを後悔してしまった。

 咳が収まり、涙を流しているリィルは、いつも決まって同じことを言った。


「僕も、お兄ちゃんみたいに元気になれたら、いいのに……」


 ごめんなと言ってしまうのはおかしい。自分が健康で、リィルが病弱であるのは、誰のせいでもない。

 かと言って、そのうち元気になれると気休めを口にすることもできなかった。日に日に、リィルは痩せていたのだ。


 だからいつも、何も言えなかった。曖昧に、うんとうなずくだけだった。

 そうして、部屋を去る。

 去った後、部屋の中から母親の甘く優しい声がして、自分の存在はなかったこととなる。


 いつも、自分をうらやむリィルの言葉が堪らなく嫌だった。あんなにも、たくさんの人に囲まれ、母も父も独占する弟がうらやましかったなんて、口が裂けても言えなかった。

 多分、自分は贅沢で冷たい人間なのだと、ザルツは思った。だから、そばには誰もいないのだと。

 健康だからじゃない。嫌な人間だから、誰にも見向きもされないのだ。


 けれど、今日だけは違う。

 友達ができた。三人も。

 たくさん走って、笑った。楽しかった。

 だから、今日だけはうらやましいと言うリィルの言葉を素直に受け入れられた。



        ※※※   ※※※   ※※※



 そんな風に、彼らは何度も遊びに来たけれど、誰も咎める大人はいなかった。

 プレナは行儀がよかったし、サマルやレヴィシアは大人にもよくかわいがられた。

 ただ、自分のことで精一杯だったザルツは、何故サマルが時折痣を作っているのか、その理由をあまりよくわかっていなかった。


 そうしてある日、長かったプレナの髪がばっさりと短くなっていたことと、サマルの悔しそうな表情で、彼らの事情を知るのだった。


 流行り病で親を亡くした二人は、親戚の家に引き取られた。けれど、好んで引き取ったわけではないと、親戚は二人をなじるのだという。サマルは、腹立ち紛れに殴りかかる手から、何度も妹を庇って殴られていた。けれど、今日は殴られた時、すぐに起き上がれず、その隙にプレナの髪が切られてしまったのだ。


 いつも陽気なサマルが、声を殺して泣いた。当のプレナは、そんな兄に困惑する。

 声がかけられなかった。

 気付けば、ザルツも泣いていた。二人の痛みが、伝わる。


 友達は、一緒にいて楽しい存在。

 それから、気持ちを共有する存在。

 一緒に笑い、泣いて、怒る。

 彼らは間違いなく、そうした存在だった。



 そんな彼らのもとに、遅れて来たレヴィシアがころころと走って来る。

 そうして、泣いているサマルとザルツを無視し、プレナだけを見て呆然とした。かと思うと、レヴィシアは太陽のように明るく笑った。


「プレナ、かわいい! みじかいの、にあってるよ!」


 と、プレナに飛び付く。プレナはその反応に驚いたけれど、すぐにつられて笑った。


「ほんと? よかった」


 サマルとザルツは顔を見合わせた。

 ああ、そう言えばよかったのか、と。



 結局、二人は見かねたレヴィシアの父親により、有無を言わせず他の里親のもとで暮らすこととなった。すぐそばであったから、変わらず遊べた上、親戚の方が周囲の冷ややかな視線に耐え切れずに引っ越したらしいので、その後は平和なものだった。

 それから、数年間は本当に平和だった。


 けれど、それはこの小さく狭い輪の中が平和であっただけで、屋敷の中もリィルの体調も、決して好ましいものではなかった。


 リィルの体が少しでもよくなるのなら、と両親は金を惜しまず、名医だ妙薬だと噂があればすべて試した。そのうちのいくつかは詐欺であったりもした。それでも、諦めることなどできないのは、当然のことだったのかも知れない。


 このままではどうすることもできないと、父は一縷の望みにすがり、ある決断をした。

 それは、国外の医師を頼るという決断だった。

 国内にリィルを救える手立てがないのなら、国の外にあると信じたかったのだ。

 ないとは思いたくなかったのだろう。


 けれど、このフェンゼース家は、国内有数の資産を誇る。だからこそ、リィルに膨大な治療費をかけることができたのは事実だ。

 ただ、この時ばかりはそれが仇となった。

 国外へ移住する許可が下りなかったのだ。

 資産家フェンゼースが他国に移ることを危惧した王は、問題を先送りにした。

 そして、時間だけが過ぎて行く。


 リィルのために他国の名医を招集するという結論が言い渡された。けれど、名医はたくさんの患者を抱え、他国のたった一人の子供のために海を渡ってやって来てくれることはなかった。

 儚く、弱かった弟は、十まで生きられなかった。


 木の葉舞い散る、身も心も寒々しいばかりの秋に、息を引き取った。

 母の慟哭と、父の恨みの声。屋敷は、暗い空気に覆われる。

 弟の死は、ザルツにとっても大きな衝撃だった。もういないのだと、数日が経っても信じられなかった。ただ、ぼんやりと空を見て、心に穿たれた穴を感じていた。



 葬儀を終え、それでも毎日喪服姿で過ごす母は、リィルの部屋から出て来なくなった。食事もろくにせず、ただベッドに体を預けるようにしているばかりだった。父は、そんな母の痛ましい姿を見ては、あの時、助かるかも知れない可能性を潰した王の独断に対する恨み言をつらつらと並べた。


 もしかすると、国外に出たところで、リィルは生きられなかったかも知れない。船旅に耐えられたかどうか、名医に救えたのかどうか。

 けれど、やり場のない感情はそこへ向かうしかなかったのだろう。


 わかってはいる。それでも、もしあの時、王が違う選択を選んでいてくれたなら、リィルは生きていて、父も母も笑っていてくれたのではないかとも思ってしまう。ひとつの可能性を潰されたのもまた事実だった。

 虚しくて、悲しかった。


 けれど、最悪の形は、ここから始まるのだった。



        ※※※   ※※※   ※※※



 ザルツは、いつもリィルにしていたように、一日に一度は必ず母に顔を見せるため、リィルの部屋を訪れた。その日は、晩になってから訪れた。父が帰って来ていたから、一緒に会えればいいと思い、その扉を開いた。

 その途端、何故か肌寒さを感じ始めた季節のはずが、むっとするようなあたたかさを感じた。それと共に、むせ返るような生臭さがある。血潮の臭いなど、嗅いだことのない子供が、それを知った瞬間に絶叫したのは当然だった。


「お、お母さん……」


 絨毯の上に横たわっていたのは父だった。うつ伏せになり、絨毯に染みを作る。もう、ぴくりとも動くことはなかった。

 飛沫した血を浴びて微笑む母は、すでに壊れていた。


「みんなでリィルのところへ行きましょう?」


 リィルのために果物を剥いて来たはずのナイフを握り、母は両手を広げた。飛び込めば、抱擁してもらえただろう。何年も昔に忘れてしまった母のぬくもりを、もう一度感じられたかも知れない。すでに母が、狂っていたとしても。


 けれど、ザルツは踏み出さなかった。ゆるゆるとかぶりを振る。

 声は出なかった。

 そんなザルツに、母は落胆したようだった。


「そう。あなたはそういう子よね」


 たった一言、そう言った。

 冷たい子供だと言いたかったのだろうか。

 そう判断されるほど、あなたは僕を見ていたのかと、ザルツは声の限りで叫びたくなった。

 ただ、リィルのそばにいて、僕が代わってあげたいと言い続ければ、あなたは僕の価値を認めてくれたのかと。


 自らの首をナイフで突いた母と、それを呆然と眺めていた息子。

 使用人がその惨劇に駆け付けた頃には、すべてが終わっていた。



 しばらく、ザルツは寝込んだ。うなされて、うずくまって泣いていた。

 一緒に逝けばよかったのか。

 何か、もうすべてがどうでもよくなっていた――。


 事情を訊かれ、ありのままに話した。それ以外は、もう何も喋りたくなかった。

 そうして、そんな日が続いていた。


 今まで、会ったこともないような大人たちが押し寄せ、後見人になると言い出した。何が目当てかはすぐにわかる。だから、欲にまみれた大人たちなど、一人も信用できなかった。


 そんな時、部屋の中へ押し入って来たのは、サマルたちだった。

 堂々と屋敷の中へまで入って来た。ザルツが長く外へ出なかったせいだ。もしかすると、外でずっと待っていてくれたのかも知れない。

 正直なところ、それどころではなかった。だから、三人の存在など忘れていた。


 けれど、三人は必死の形相でザルツのベッドに駆け寄り、ザルツの青白い顔を目にした途端、声を上げて泣き出した。三人の声がザルツの耳に響く。

 レヴィシアの腕に首を締め付けられ、あたたかな涙が肩に落ちた。

 ザルツも一緒になって、声を上げて泣いた。


 友達は、心を共有してくれる存在。

 悲しい心を埋めてくれる。

 一人ぼっちの自分に、寄り添ってくれる。



 この先、大人になっても、この三人のことだけは信じて、大切にして行きたいと思った。

 嘘も何もない、この心と共に在りたい。

 三人のことを見守って行きたい。


 幸せに、笑っていてほしい。

 がんばるなら、支えるから。

 苦しむなら、一緒に悩むから。


 けれど、大人になると、この頃の純粋な気持ちのままではいられないのも事実だった。

 よかれと思って下した決断は、なんだったのだろう。

 プレナを選ばず、サマルと対立しないことを優先した。

 ただ見守ることに逃げた、あの愚かしさが、結局のところ二人を失う原因となるのだろうか。

 

 そうだとするのなら、その愚かな自分を責め、残された時間を過ごすしかないのだろうか。


 アナザーエピソードの方に入れたいような内容でしたが、本編に必要なのでこちらに入れました。


 母親や家族に対しての描写は、あくまでザルツ目線ですから、本当に母親が彼を冷たい人間だと思って落胆したわけではないのかも知れません。

 欠片だけ残っている正気の部分で、一人でも生きて行ける強い子だと思って安堵したのかも知れませんし、真実は謎です。子供だった彼に、そこまで深読みできませんから。

 二人の子供に対し、平等に接することができなかったこと。

 もしかして、両親もつらかったのかなと、いつか思うのかも知れません。

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