〈22〉本当は
別室でプレナとサマルが、アーリヒに伝染病の治療法を聞きかじっている頃、レヴィシアは泣いて赤くなった目をきつくザルツに向けた。
「ちょっと、こっち来て」
レヴィシアは、しわになるのも構わず、ザルツの服を引っ張った。彼は何も言わず、引かれるがままにレヴィシアに従う。誰も、後を追わなかった。
二人はそのまま歩き、屋敷の外へ出る。そうして、屋敷の陰でレヴィシアはザルツの服を放し、振り返った。
「ザルツは、いいの?」
その一言に、ザルツは平静を装う。
「よくないと言ったら、病に苦しむ人たちを見捨てることになる」
すると、レヴィシアはくしゃりと顔を歪めた。多分、そんな当たり前の言葉は聞きたくなかったのだろう。
「わかってるよ!」
そう、声を荒らげた。
「わかってるけど、こんな時にまで落ち着かないでよ! 嫌だって……誰かを見捨てることになっても二人を行かせたくないって言ってよ!!」
そんなこと、どの口が言えるというのか。
無言で見つめ返すザルツに、レヴィシアは傷付いたような顔を向け、彼を残して走り去った。ザルツはしばらくそうして立ち尽くし、その場で気持ちを整理する。
※※※ ※※※ ※※※
そして、その夜。ザルツは二人を探した。
止めるつもりはなかった。止められるとは思えなかった。
ならば、せめて、励ますくらいしかできないけれど、力になれるなら、と。
廊下で最初に出会ったのは、プレナだった。プレナはザルツに向かってにこりと微笑む。
「少し、いい?」
プレナの方からそう言った。
「ああ」
ザルツもうなずく。
二人は薄闇の中を並んで歩く。美しく整えられた敷地は、このまま黙って歩き続けるには広すぎた。
「……本当にいいのか?」
気の利いたことは言えない。本当に、それだけだった。
プレナは立ち止まると、柔らかく微笑んだ。どうしてこんな時に笑うのかが理解できない。
「もちろん。自分で選んだことだから」
不安がないはずがない。
それでも、笑っている。少しでも震えていたなら、行かなくていいと言えた。
ただ、とプレナは言う。
「レヴィシアのこと、よろしくね。ちゃんと見守っていて」
その一言に、ザルツは心臓がギリ、と痛んだ。
まるで、今生の別れだ。
プレナは、そういうつもりなのだろうか。
「俺は、言い方が悪いから、多分また泣かせる。お前がいないと、レヴィシアは……」
人のせいにしようとしている。そんな自分に気付かなかったわけではない。
だから、そんなずるい言葉はなんの力も持てなかった。
「ごめんね。それから、ありがとう――」
ありがとうの意味が、どうしてもわからなかった。
プレナは去り、ザルツはぼんやりと月を眺める。
敷地の中途半端な位置で立ち止まると、そこからもう動けなかった。
そうしていると、プレナと入れ違いになるようにやって来た彼の声がかかった。
「ザルツ」
サマルの声に、ザルツは振り返る。すると、サマルは腰に手を当てて苦笑していた。
「なんて顔してるんだよ」
けれど、とっさに何も返せなかった。そんな様子に、サマルは困ったように言った。
「そりゃあそうか。悪いな」
ザルツはゆっくりとかぶりを振る。
「ほんとはさ、プレナには残ってほしいんだ。でも、言っても利かなくて。……たまには、兄さんの言うこと利いてくれてもいいのにな」
プレナを心配する気持ちは、サマルも同じだ。サマルの心中も、自分と同じように苦しいはずだ。
「正直、お前なら引き止められるんじゃないかと思ったんだけどな」
その一言に、ザルツは心をえぐられる。
「それが言える立場じゃない。今更何も――」
あの時、気持ちは受け入れないと言い切った。そんな自分が、行くなと言うのは勝手だ。
それでも、言えばよかったのか。
「お前って、ほんとに不器用だな」
嘆息と共に、サマルがつぶやく。きっと呆れたのだろう。
そうして、僅かな月明かりの下、サマルはしっかりとザルツを見据える。
「プレナだって、怖くないわけない」
「そう、だな……」
それを必死で隠そうとする彼女と、不甲斐ない自分。
大事な人さえ守れない、十分な言葉もかけられない自分が、この先、国という大きなものに関わっていけるのだろうか。
迷いを抱えるザルツは、ようやく正面に立つサマルの、握り締めていたこぶしが震えていたことに気付いた。それを見た瞬間に、愕然とする。
「俺だって、ほんとは怖いんだ。行かなくて済むなら、行きたくない」
当たり前だ。死ぬかも知れないと思えば、怖くないはずがない。
戦場で死ぬよりも、病で悶え苦しんで死を待つことの方が恐ろしい。それがわかるから、余計に逃げることもできなくなる。苦しむ人のため、恐怖心を隠すしかない。
二人のために、自分はどうしたらいいのか。
「じゃあ、行かなくていい」
そう、こぼす。
けれど、そんな言葉は虚しく散った。
サマルは苦笑する。
「下手な慰めだ」
そして、サマルは精一杯微笑んだ。それは、泣き出しそうにも見える、笑顔とは呼べないものだったかも知れない。
「俺、がんばるから。ちゃんと帰って来れたら、褒美をくれよ?」
「ああ、なんだって用意してやる。だから、必ず帰って来い」
その答えに満足したのか、サマルは口の端を持ち上げて、大きく手を振るときびすを返した。
国とは、目指したかった未来とはなんなのか、この時になってようやく気付けた。
大切な人のいる場所――。
そんな当たり前の答えを出すのに、今までかかったなんて、どこまで愚かなんだろう。




