〈20〉束の間の休息
プレナは、レヴィシアとユイと一緒に、屋敷から町に下りていた。今くらいは休息も必要だ。
ルテアが未だ戻らないことで、レヴィシアが思い詰めないように、ザルツはプレナに気晴らしを頼んだのだった。
そして、心配事はもうひとつ。
アランが、やたらとレヴィシアに構うのだ。レジスタンスの仲間として、節度を弁えて接してくれるのなら、なんの文句もない。ただ、少々行きすぎた言動に思える時がある。
レヴィシアに気を持たせ、彼女がアランになびけば、組織を好きなように掌握できる。そんな考えを持っている気がすると思うのは、疑いすぎだろうか。
組織にとっても彼がレヴィシアを籠絡するのは好ましくない。ただ、それ以上に、皆、彼女自身を案じている。
せめて、ルテアがそばにいれば心配なかった。けれど、今のレヴィシアは少し不安定だ。弱った心に付け入られたら、絶対に跳ねつけられるとは言い切れないのかも知れない。
「お、レヴィシアちゃんだ。がんばれよ!」
リレスティの町では、大立ち回りを演じてから、レヴィシアにそうした声がかかる。レヴィシアは明るい笑顔を振り撒き、手を振った。
「ありがと! おじさんも、お仕事がんばってね!」
すっかり、町の中では人気者である。
そんな光景を、プレナは微笑み、眺めながら歩いた。
そうして、レヴィシアは香ばしく甘い匂いに釣られ、通りの先を指さした。
「あ! ねえ、あれ食べたいな」
それは、手の平サイズのワッフルだった。女の子が好きそうな、カラフルでかわいらしいテントが軒にある。ケースの中には、色とりどりのクリームとフルーツのサンドされたワッフルが並んでいた。
その微笑ましさに、プレナは笑ってうなずく。
レヴィシアは木苺、プレナはブルーベリー、ユイは、一番甘くないのはどれかと尋ね、オレンジの皮の苦味がアクセントのチーズクリームにしていた。本当は要らないのに、明らかに無理をしている。
ユイは立ったままで、女性二人は店先のベンチに座ってワッフルにかぶり付く。レヴィシアには至福の時だった。
「美味しい! 生地ふわふわ」
「うん。甘さも丁度いいね」
レヴィシアとプレナは微笑み合う。ユイは無言だった。多分、あまり好きな味ではなかったのだろう。
「クオルとリュリュちゃんにも食べさせてあげたいなぁ」
はむはむ、とワッフルを頬張り、幸せそうなレヴィシアを見ているだけで、ユイは安心しただろう。例え、嫌いなものを食べなければならないとしても。プレナにはそんなユイの姿も微笑ましかった。
「うん、でも、リュリュちゃんは忙しそうよね。ユミラ様に会えて嬉しそうだったけど、あんまり一緒にいられないみたいだし」
「ね。あんなにちっちゃいのに、英才教育だもん。かわいそうだよ」
はあ、とレヴィシアはため息をつく。
「でも、すごくがんばってたわ。私たちが口を挟む問題じゃないし、陰ながら応援してあげなきゃね」
食べ終えたが、何かユイが気の毒になり、プレナは思わず水を買って手渡した。
「お土産、買って帰りたいけど、みんないないかも知れないし、また今度来ようね」
基本的に食の細いザルツは多分、要らないと言う。ユミラに間食させて、彼が屋敷の料理人のディナーを残したら申し訳がない。
サマル、エディア、シーゼ、マクローバ一家は、出かける時にはいなかった。多分、買って帰ったところで無駄になる。
「うん、そうね」
そんな、和やかな時間が三人には流れていた。
けれど、その一方では――。
※※※ ※※※ ※※※
エディアは、布で包んだ弓を持って、屋敷の外へ出た。そうして、町人に武器屋の場所を尋ね、征矢をひと束購入する。エディアのような娘がそれを買い求めることに、店員は少し訝しげだったが、売ってくれないことはなかった。
ただ、エディアの方がほんの少し、やましい気持ちになる。
スレディは、まだ矢を番えるのは早いと言った。けれど、毎日弓を引き絞るだけでは、上達している気になれなかった。実際に、矢を放ってみないと、まるでわからない。
危ないかも知れない。だから、人に当てたりしないよう、近くの森に向かう。
遅くまでかかると皆に不審がられる。だから、すぐ戻れるよう、森の深くまで潜るつもりはない。手ごろな木のある場所だったら、それでいい。
ガサガサと草を踏み締め、森に踏み入る。
エディアはこれと決めた木を探すと、草の上に腰を据えた。布を外し、弓を取り出す。そうして、震える手で矢を一本抜き取り、見よう見まねで番えてみた。
木の中心に焦点を合わせ、キリキリと音を立てながら弓弦を引き絞る。両腕が、以前よりは少し震えなくなった。誰もいないここなら、外しても害はない。気持ちを落ち着け、試しに一度射ってみればいい。
エディアは緊張を保っていた右手の指先から力を抜き、白羽の矢羽を放つ。征矢はヒュウッと空気を裂く音を立て、エディアのもとを飛び去った。その音が、エディアの耳の奥にこだまする。
そして、その矢は大きく外れ、茂みのどこかに潜り、ドッと地面に突き刺さるような音を残した。
その途端、エディアは強張った手から弓を取り落としてうずくまっていた。急に吐き気が込み上げて来る。
口もとを押さえ、戻してしまいそうになるのを必死でこらえると、変にむせて涙があふれた。ゲホゲホ、とむせながら、エディアは脳裏に蘇った光景に戸惑う。冷水を浴びせられたかのように、体の震えが止まらなくなった。
あの日、無数に降り注いだ矢の雨。空気を切る音。突き刺さる振動。絶命した人々。
人殺しとなじったあの行為を、今、自分は覚えようとしている。
自分の放った矢が、誰かの命を奪う。
あの時のような、傍観者ではない。殺戮を、自らの手で行うつもりで弓を引いた。
あの惨状の中、弓引く彼らは、こんな思いをしながらあの場にいたのだ。
否定は簡単。本当に、そうだ。ただの傍観者であった自分は、心を痛めているつもりでも、所詮は人事だった。
汚れる覚悟が足りない。守りたいという意志が弱い。
こんな自分では駄目だ。
エディアはぼろぼろと涙をこぼしながら、もう一度弓に手を伸ばした。
その途端、その弓を強引に奪い取る腕があった。エディアは驚いて、涙を拭くことも忘れて上を見上げた。
「あ……」
「何してる?」
呆れたような声だった。サマルは、手にした弓の弦を指先で撫でて、それから軽く爪弾く。
「……サマルさんはどうしてここに?」
通りかかる人などいない場所だ。偶然ではない。
エディアは涙を拭いて立ち上がった。
「うん、エディアの様子がおかしかったから、つけて来た」
一瞬、何も言葉を返せなかった。そんな彼女に、サマルはため息をつく。
「そしたら、何してるんだか。こんな似合わないことしないでいいよ」
ひどく簡単に言う。この覚悟もつらさも知らない彼に、似合わないことと一蹴されたことが、エディアは悔しかった。気付けば、サマルをにらみ付けていた。
「似合わなくても、私だって戦う決意をしたんです!」
けれど、サマルはそんな視線を受け流すように、少し悲しく笑った。そして、エディアの横にあった矢を一本拾うと、それを番え、木に向かって放った。また、ヒュウ、とエディアの体を震わせる音がする。その矢は、木の根元に突き刺さった。
すると、サマルはエディアを振り返る。
「もっと上を狙ったんだけどな、難しい」
戸惑うエディアに、サマルは言った。
「俺だって、戦う力はほしいよ。ユイたちみたいに、守りたい人を守れる力がほしい。……でも、それは俺の願望であって、現実はそう簡単じゃない」
「え?」
「エディアは誰を守りたいの? ロイズさん? ザルツ? レヴィシア? 誰が、エディアが泣きながら人を殺して喜ぶ?」
これ以上、泣いたら負けだ。何故かそう思ってしまった。
けれど、サマルははっきりと言う。いつかの仕返しだろうか。
「だから、いい加減にしろよ。もっと、違う方法でがんばれ」
腹が立つので、背を向けた。その隙に、サマルは茂みの中へ弓矢を隠すように沈めた。ガサガサ、と音がして、サマルは立ち上がる。
「じゃあ、これはここに、勘違いと一緒に置いて行こう」
あはは、と軽く笑う。エディアは思わず振り返った。
「勘違いってなんですか! 私は――」
「ほら、帰ろう。遅いとみんなが心配するから」
今、ここで押し問答していても、解決はできない。けれど、大事な人たちが喜ばないという、その言葉だけは事実だったのかも知れない。それだけは、素直に認めた。
「わかりました。じゃあ、このことは内緒にしていて下さい」
「了解」
気付けば、お互いに弱みを握り合う、おかしな関係だった。
前半に比べて後半がやたらと重たい内容に……。




