〈17〉お断り
サマルは急いで収納庫に戻った。見張りのつもりか、外にはフィベルがぼうっと立っている。フィベルをすり抜け、サマルはティーベットと『ポルカ』のメンバーを急かす。
「急げ!」
一同は、狭くしか開かれない入り口で、混雑しないよう意識してそこをすり抜けて行く。サマルは逸る気持ちでそれを見守っていたが、突然その背に声がかかった。
「へぇ。こんなところにいたんだ?」
びくりと体を強張らせ、とっさに振り返ったサマルは、腕を組んでこちらを眺める男と目が合ってしまった。飄々としたその表情は、こんな時に見るとぞっとする。
「あ、あんた……」
思わず声がかれた。けれど、フィベルは空気を読まず、普通に言った。
「誰?」
指までさしている。そんなフィベルに、彼は笑った。
「もうちょっと動じろよ。お前ら、レジスタンスだろ?」
その一言で、サマルはようやく自分の浅はかさを知った。この男は、最初から騙されてなんてくれなかった。こちらが泳がされただけなのだ。
青ざめたサマルの隣で、フィベルは平然と言い放つ。
「違うし」
こんな状況なのに、面の皮が厚い。頼もしいのか、よくわからないが。
向こうは呆れたようだった。
「違うって、あのなぁ……」
そこで彼は、ふとフィベルに目を留める。
「その糸目……もしかして、リンの言ってた……」
「リン?」
フィベルは首をかしげた。
「そう。お前、ちょっと前に、ハルト様と身の軽い女と戦っただろ?」
「覚えてない」
まるで読めないフィベルの顔付きに、彼は困ったように笑った。
「まあいい。俺はヤンフェン=ヤール。お前は?」
「教えない」
「うわぁ」
淡々とかわすフィベルに、ヤールの方が振り回されていた。なんなんだ、この状況、とサマルは呆然としてしまったが、背後の『ポルカ』のメンバーたちは不安げな表情を見せていた。
サマルはこそっとフィベルにささやく。
「足止め、できるか?」
「さあ?」
「さあって……少しでいいから」
「わかった」
渋々返事をする。
サマルはほっとして振り返ると、背後のティーベットに顎で合図した。ティーベットもうなずき、『ポルカ』のメンバーを誘導して駆け出す。
ヤールが踏み出すと、フィベルはその正面に向かって、鞘ごと剣を突き付けた。サマルは残ってその光景を見守ろうとしたが、フィベルに突き飛ばされる。
「邪魔」
「邪魔って……」
さすがに分が悪いかと思って心配しているというのに、ひどい。
ただ、フィベルにしてみたら、足手まといなのかも知れない。そう気付き、サマルは言った。
「無理するなよ。すぐ追いかけて来いよ」
「うん」
そうして、サマルもティーベットたちの後を追った。
気にならないわけではないが、ここは任せるしかないのだろう。
ヤールのまとう空気が、ふと変わった。それを、フィベルは肌で感じる。
「俺に剣を向けるなら、覚悟するんだな。俺は、武器を向けて来る人間は、必ず殺す。俺かお前、どちらかが死ぬまで戦い続けるんだ」
赤と紫の房の付いた二本の剣。その柄に、ヤールの手が伸びる。
獰猛な獣のような眼と声に、フィベルはそこに嘘がないことを悟った。だからこそ――。
「じゃあ、止めた」
フィベルはあっさりと剣を下ろす。
「コラ! この状況で、抜かずに済むと思うか?」
「うん」
「うん、じゃねぇって。構えろ」
苛立ち始めたヤールに、フィベルははっきりと言った。
「お断り」
と。
そうして、フィベルも一目散に逃げるのだった。
※※※ ※※※ ※※※
そんなやり取りが西側で行われていた少し前、東側ではフーディーが走り去るレヴィシアとユイを眺めながら佇んでいた。
そんな彼のもとに、ようやくニカルドが追い付いて来る。
「後生ですから、戻りましょう」
「んー、まあいいがのぅ」
この人を食ったような態度に、ニカルドはどっと疲れた。
フーディーを促すと、騒ぎが続いている往来を、兵士が駆け抜けて行く。騒ぎのもとを追いかけているのだろう。その兵士たちは、見知った顔ばかりだった。ほんの少し前までは部下だったのだ。それも当たり前だった。
気付かず、通り抜けてほしいと思ってしまった。けれど、人一倍図体のでかいニカルドは、すぐに彼らに発見されてしまう。騒ぎのもとを追いかけなければならないので、戸惑いはしたものの、その中の一人だけが足を止めた。
それは、ジャックという部下の一人だった。まだ二十代で、血気盛んだが、正義感が強く、ニカルドも期待していた青年だ。
「隊長!」
まだ、そう呼ぶ。
ニカルドはかぶりを振った。
「違う。もう、隊長じゃない。隊長は他にいるはずだ」
それを言った時、何か胸の奥がズキリとした。ジャックの表情が歪んだせいかも知れない。
「そうですね。じゃあ、早く戻って下さい。もう一度、隊長と僕たちに呼ばせて下さい」
そんな風に慕ってくれるのはありがたかった。けれど、もう以前のように迷いのない自分ではない。彼らが望む、導き手にはなれない。
「私はもう、軍人には戻らないつもりだ」
「っ……」
なじられるのも仕方がないと思った。けれど、ジャックの二の句は、フーディーのしわがれた声と微笑みに遮られた。
「青年、歳はいくつだ?」
唐突な問いに、ジャックは戸惑ったものの、相手が老人であったため、うるさいと突っぱねることもできなかった。声を落ち着け、答える。
「二十八です」
すると、フーディーは更ににこにこと笑った。
「そうかそうか」
そして、ニカルドが聞いたこともないような、優しい声音で言った。
「命を大切にな」
「は、はぁ……」
ジャックは困惑しながらうなずいた。そして、フーディーはニカルドを見上げた。後でまた、首が痛くなったと言われそうだが。
「さて、行くかの」
「はい……」
年齢よりはしっかりした足取りで歩くフーディーに従うように、ニカルドはジャックに背を向ける。その背に視線が突き刺さっているが、振り返れなかった。
フーディーは、ぽつりとこぼす。
「若いもんが、あたら命を散らすことのない世の中に、早くなるといいのぅ」
「そう、ですね……」
つぶやき返す。
「だったら、早くしてみせろ。待っとるだけでは、なんにも変わらん」
ぐ、とニカルドは言葉に詰まる。
「のぅ、お前さんは元軍人で、体格にも恵まれておる。あの幼い娘たちが命がけで戦っておるのだから、お前さんが迷うておると言ってできることをせぬのは、ただの怠慢だ。しっかりせい」
そう、この老人でさえ、戦い続けている。
怠慢、そう言われてしまえば反論などできない。
迷いの答えを、この老人の中に見た気がした。




