〈15〉ちょっとそこまで
レヴィシアとユイは、水路をまたぐ橋の上から、往来を歩くシェーブル軍の深緑の制服を来た青年を眺めていた。
「うん、確かあの人、ニカルドの部下だったよ」
「そうか。……始めるぞ?」
「了解」
ユイは手に持っていた小石を、青年に目がけて投げ付ける。当てるつもりはなく、目の前をかすめるようにして。
「!」
彼はとっさに立ち止まり、勢いよく振り向く。レヴィシアはそんな彼の顔を見据えた。
その兵士の眼が、驚愕のために見開かれる。それを確認し、駆け出した。
「お前!!」
そんな声が背中にかかる。ユイもレヴィシアの背を守るようにして駆け出した。
※※※ ※※※ ※※※
スレディの工房に、叫びと慌しい足音が響いた。エディアは思わず肩をすくめる。
サマルが説明してくれた作戦が始まったのだ。エディアは皆の無事を祈るように手を組んだ。
ただ、フーディーは、そんな緊迫した空気の中、どっこらしょ、とかけ声を上げて腰を浮かせた。
「フーディーさん?」
不安げに見つめるエディアに、フーディーはそっと微笑んだ。
「ちょっとそこまで、様子を見てこようかのぅ」
「だ、駄目ですよ! 危ないですから!」
慌てたエディアとは裏腹に、フーディーは笑い声を立てた。
「騒ぎのもとはワシらの仲間だ。危ないことなどありゃせんよ」
ニカルドはとっさに、ドアに向かったフーディーの前に、その巨躯を持って立ち塞がった。
「兵たちも殺気立っています。巻き添えを食わないとは限りません。どうか、おとなしくここにいて下さい」
そんな成り行きを、スレディの淡い瞳は黙って見守っていた。
「巻き添えか? なんだ、兵士はそんなに簡単に、こんな老人を傷付けるのか?」
「そ、そうではありませんが、万が一ということも――」
「もし、ワシが死んだら、兵士はか弱い年寄りを死に追い遣ったことになるな。民衆は、どう思うかの?」
しわに埋もれた白濁した眼が、ぞっとするような光を向ける。
「ワシにはワシの信念がある。何とも知れず、漂うばかりのお前に、ワシの信念を曲げられるか?」
「っ――」
言葉もなく、立ち尽くすニカルドの脇を、フーディーはすり抜けて外へ出た。とっさにそれを追おうとしたエディアの肩を、スレディがつかんでかぶりを振る。そうして、スレディはニカルドに向かって鋭く声を張った。
「お前、あれだけのものを見せられて、黙ってられんのか? 軍人なんて馬鹿らしいやつだったお前だけどな、あの時のお前には、信念があったはずだ。それはなんだ? 軍人を辞めたら失くしちまうようなもんだったか?」
「それは――」
市民を守る。自分は、弱い者の味方であろうと、そのために軍人になった。
だからこそ、レジスタンスたちと向き合った時、絶対悪などではない相手に戸惑いを感じ、迷った。
「信念のない男なんて、カスだ。失くす前に、さっさと追いかけて教わって来い」
歳がいくつでも、どんな立場でも、関係ない。
失くしてはいけないものがある。それさえ忘れなければ、自分はいつだって自分でいられる。
「……わかった」
※※※ ※※※ ※※※
サマルは一人、するりと収納庫から抜け出した。
通りまで抜けると、バタバタと走るレイヤーナ兵の姿が見えた。いっせいに、一方へ向かっている。レヴィシアが動いたのは間違いない。レヴィシアは東口から逃げる手はずであるから、こちらは西口から抜ければいい。
ただ、この時、サマルは持ち前の用心深さを発揮し、いきなり全員を動かすのではなく、西口付近へと単独で走った。
そんな時、シェインとレーデが数人の青年を連れ、こちらに移動して来る。
「サマル!」
呼び止められたが、サマルは立ち止まらずに言う。
「念のために西口の確認して来る。ちょっとだけ待ってくれ」
息を切らしてやって来てみると、そこにはやはり、ひねくれた人間がいた。
騒動のあった方ではなく、なかった方へ駆け付けたひねくれ者が、番兵と立ち話していた。
「なんだ、特に変わったことはないのか?」
それは、ハルトと共にいた、剣を二本佩いた男だった。
「げ」
サマルは思わず固まってしまったけれど、あの男をなんとかしなければ、ここを通ることができない。番兵くらいであれば、フィベルに任せるが、あの男はどうだろう。
戦って勝てるのか。不安があるのなら、戦うべきではない。なら、どうするべきか。
サマルは、震えるこぶしを握り締め、足を前に踏み出した。
「――なあ、俺、ここを通りたいんだけど」
すると、男と番兵はサマルを同時に見遣った。
「うん? 悪いが、今は騒動が起こってな。それが落ち着くまでは待ってくれないか?」
番兵がそう言った。予測通りの反応だった。
「困るよ、こっちは急いでるんだ」
「そう言われてもなぁ」
男はのん気に頭を掻いた。
「あんた、武装してるところをみると、傭兵か軍人?」
サマルが問うと、彼は首を傾ける。
「まあ、そんなもんだ」
「だったら、騒動を早く収めてくれよ。強そうなくせに、こんなところで油売ってないでさ」
すると、番兵は男を見て小さく笑った。
「確かに。レジスタンス、捕まえて来て下さいよ。こっちにはちゃんと応援寄越してくれたら大丈夫ですから」
男は、心底面倒くさそうに嘆息した。
「お前……余計なことを」
サマルは精一杯自然に聞こえるように笑ってみせた。
「はは、悪かった。じゃあ、せめて、俺が詰め所に走って応援呼んで来るから、あんたはさっさとそのレジスタンスを捕まえに走ってくれよ」
「仕方ねぇなぁ。じゃあ、ちゃんと呼んで来いよ。じゃあな」
そう言って、男は後ろを向いて手を振る。番兵の目があるので、サマルはあからさまに気を抜くことはできなかったけれど、気分的には安堵で崩れ落ちそうだった。
「……じゃ、そういうことだから、行って来るよ」
「ああ、頼むよ」
にこやかに番兵と別れたサマルは、近くに潜んでいたシェインの元へ駆け寄り、それから収納庫へ急いだ。入れ違いに西口へ向かったシェインは、番兵をのして、レーデたちとそこを抜けたのだった。




