〈16〉レブレムの残光
ルイレイルに到着してから三日が過ぎた。
レヴィシアたちはリッジが用意してくれてあった家に滞在している。領主館からふたつ通りを挟んだところにある、メンバーの家らしい。レヴィシアたちの滞在中、家の主は他へ泊まってくれているようだ。
トイナックに使いを出し、主力のメンバーをこちらに呼び寄せる。他のメンバーは、指示があるまで待機してもらうことにした。
こちら側にやって来たうちの一人が、サマルである。
あれだけうるさかったサマルだが、残された後は真面目に働いていた。置いて来た武器の分配と保管も手配してくれてある。労おうと思ったレヴィシアだが、顔を見たらそんな気が吹き飛んだ。やっぱり、うるさかった。
その上、気付けばふらりといなくなることが多く、放っておくことにした。
そして、二度目の会議に出席する。
ロイズ=パスティーク。
レジスタンス活動をし、監獄に捕らえられた彼がまだ生かされている理由は、ふたつだけしかない。
ひとつは、仲間の居場所を吐かせるため。
もうひとつは、その同志をおびき寄せる餌とするため。
それくらいのことは、誰もがわかっている。
けれど、彼は仲間を売るようなことはしない。だからこそ、心配なのだ。ひどい拷問を受け、それに耐えているのではないかと。
ロイズが、自分たちをおびき寄せるための餌だとしても、彼がそこにいる以上、リッジたちは向かって行く。その時は、いかに冷静なリッジであろうとも、判断を誤るのではないかと、レヴィシアはそんな気がしてしまった。
ザルツも同じことを考えていたのだろうか。作戦会議が始まる直前、ドアノブに触れるか触れないかのところで、彼はつぶやいた。
「レヴィシア、今後の作戦の失敗は破滅だ。何があっても冷静さを欠くな」
「……うん、わかってるよ」
そうして、領主館の地下、『ゼピュロス』のアジトで、『フルムーン』の主要メンバーたちは席に着いた。
「そろいましたね」
リッジが前と同じ位置に座り、手を組んで待っていた。
その左手側に、ルテアに絡んでいた老人、フーディーと、その背後には四十路前後の筋骨逞しい大男がいた。その顔に、レヴィシアたちは目を見張った。
「ティーベット?!」
半信半疑でその名を呼ぶと、彼はにやりと笑った。その懐かしさに、思わず涙がこぼれてしまいそうになるのを、レヴィシアは必死に押し留める。
「よぅ、レヴィ。なかなか戻れなくて、悪かったな。しっかし、ちびっ子のままだろうとは思ってたけど、やっぱり変わってねぇな。そっちの眼鏡がザルツで……プレナもいるな。もしかして、サマルもいるのか? お前ら、ガキの頃からつるんでたもんな。……それに、そっちのやつはなんでだかホルクさんそっくりだ。懐かしいなぁ」
ザルツは丁寧に、お久し振りです、と頭を下げた。多分、五年振りくらいなのではないかと思う。レヴィシアでさえ、三年くらい会っていない。
嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。レヴィシアは、声が震えないように笑ったつもりだった。
「もう! 三年も経ったんだから、変わったに決まってるでしょ!」
「嘘つけ。お前の特徴を伝えておいたら、役に立ったって言われたぞ」
「えぇ……」
クオルが迎えに来た時のことだろう。
レヴィシアはむっとして頬を膨らませたけれど、それからすぐに笑った。
「でも、ティーベットは物好きだね。お父さんとレジスタンス活動をして、無事だった人たちは、もうほとんど集まってないのに」
「そりゃあ、お前が立ち上がったことをまだ知らねぇからだろ。……まあ、レブレムさんがいないのに、何をやっても駄目だって言うやつもいる。けどな、俺はレブレムさんがいないからこそ、あの人に土産話のひとつも持って行けずに死にたくねぇんだよ。それじゃあ、顔向けできそうにねぇから」
ティーベットはもともと、大工をしていたレブレムの後輩である。幼くして母を亡くしたレヴィシアは、父が仕事をしている間によく遊んでもらっていた。ティーベットはそのまま、父に付き合ってレジスタンス活動に身を投じ、父の死後は行方がわからなくなっていた。
生死さえもわからなかった懐かしい顔に、レヴィシアは本題を忘れて浮かれていた。
そんな空気に、フーディーがひとつ咳払いをする。
「あ、ごめんなさい」
気を取り直すと、ザルツがまず口を開いた。
「救出を予定している時期を教えて頂きたい」
リッジはうなずく。
「早急にと言いたいところですが、闇雲に向かって玉砕するわけには行きません。下調べをまず行い、それから決めるべきかと思っています。猶予はあまりない……それは事実ですが」
焦りがないわけがない。
いつ、正式に処刑が決まるのか、誰もが怯えている。
そして、捕らえられた人を救い出すことがどれだけ困難なことかを、レヴィシアも知らないわけではなかった。ルテアの父、ホルクを救えなかった父の姿を見ていたから。
「その下調べには、俺に向かわせてもらえるだろうか」
そう言い出したのは、ザルツだった。それは、レヴィシアとしては意外なことのように思えた。
けれど、リッジは微笑む。
「そう言って頂けると助かります。僕が行きたいところですが、離れられそうもなかったので。こちらから、護衛としてシェインを付けましょう」
急に名指しされたシェインは、急な出張に顔をしかめたが、仕方なく諦めた。
「他にも必要な人材、用意するものがあれば仰って下さい」
ザルツは静かにうなずく。
レヴィシアは、期待の眼差しをザルツに向けるリッジに対し、そっと言った。
「きっと、すぐに会えるよ。そう信じよう?」
「ありがとう。ロイズさんは君にも会えたら喜ぶよ。君のお父上のことをとても尊敬していたようだから」
その一言を、レヴィシアは誇らしく、そして重く受け止めた。そんな彼女に、リッジは続ける。
「レブレムさんも抵抗さえしなければ、その場で討たれることはなかったのにね。捕らえられたのなら、助け出せる可能性もあった。それでも、誇り高く最後まで戦ったレブレムさんには、本当に頭が下がるよ」
誰もが避けてきた話題に、リッジは笑顔で踏み込む。『フルムーン』のメンバーたちは、誰しも、唯一の肉親である父親が討たれてしまったレヴィシアの心情を慮り、それを口にすることはなかった。
誰もがハラハラとして見守る中、レヴィシアはぽつりと、彼女にしては弱く儚い声音で言った。
「今、こんな話をするのはどうなのかわからないけど、お父さんは、自分が捕まってしまうと、みんなが危険を犯してでも助けに来てしまうから、捕まりたくないって言ってた。ホルクおじさんのことがあってから、特に……」
ぴく、とルテアが身じろぎしたのがわかった。
リッジは小さく息を吐く。
「噂じゃ、レブレムさんを討ったのは、あの『フォード』だって話だよね。いくらレブレムさんでも、王国最高の騎士……最強と謳われた人物には太刀打ちできなかったんだね。……本当に残念だ」
かろうじて体制を保っている騎士団の統率者、フォード将軍。今ではレイヤーナ軍の干渉もあり、以前のような力を発揮できないでいるようだが、その名を聞けば、大抵のレジスタンス活動家は震え上がるだろう。
ただ、仕えるべき主君を失った今では、彼の名誉も惨めなものだ。
それでも、いつかはその、旧体制の亡霊のような人物と対峙することになる。それは避けられないことなのだ。
レヴィシアは普段意識しないで来たことを目の前に突き付けられ、視界がぐらりと歪むような感覚を覚えた。
不安、悲哀、そして憎悪。
青ざめて行くその顔に、ようやくリッジはつらいことを思い出させてしまったのだと気付く。困惑した面持ちで前髪を少し乱した。
「ああ、ごめん。嫌なことを思い出させたみたいだ」
大丈夫と答えようとしたけれど、うまく声にならなかったので、かぶりを振った。
「本当に、ごめん。僕は多分、人の気持ちを思いやることが、人一倍できない人間なんだ」
本当にそうなら、そんなことは口にしないし、気付きもしないはずだ。
だから、それは違うと思う。
「そんなことないよ。リッジはちゃんと優しい人だよ」
リッジは一瞬、とても驚いた顔をした。それから、戸惑ったようにして、そっと笑った。
「ありがとう、レヴィシア……」




