〈7〉不安の蕾
レーデは、すでに薄暗くなった路地を歩いていた。
女性の一人歩きは危険だから早く帰りなさい――そう注意されることはあっても、レジスタンスだと疑われることはなかった。そのまま、しばらくふらりと町を歩く。
どうやら、この町の駐屯兵は隊長であった人物がすげ代わったところらしく、統率が取れていない。そのため、後から合流したはずのレイヤーナ軍に主導権を握られているようだ。
そのレイヤーナ軍の一隊は、変わった名前の男が率いていると聞く。
軍部とは別の、レイヤーナ大使である王子が側近として重用する男だという。腕は立つらしいが、武人としての礼節を欠き、下から厄介者扱いされている。そんな男があの傑物と噂される王子のお気に入りとは不思議なものだ。
兵士たちに隙があるとすれば、その結束の弱さだろうか。
そう考えて、レーデは苦笑する。
一枚岩ではないのは、自分たちも同じだと。
ファルスの行方は、心当たりを探してみても知れなかった。
思えば、彼はふらりと現れた。
けれど、アランの信頼を勝ち得るまでにほとんど時間を要しなかったように思う。組織が大きくなったのは、確かに彼のお陰だった。
けれど、どうしても、不意に見せる虚無の瞳に、言いようのない不穏なものを感じた。
彼は何を思い、レジスタンス活動を始めたのだろうか。
本気で、アランを王座に祭り上げるつもりだったのだろうか。
正直に言って、レーデにはアランが王の器だとは到底思えなかった。
ただ、レーデには逆らえないものがある。
だから、レーデは彼を支える。けれど、ファルスはどうだ。
彼ほどの能力があって、アランにこだわった理由は何か。
そう考えると、急に薄ら寒いものを感じてしまう。
これ以上、悪いことにならなければいいのだが。
※※※ ※※※ ※※※
サマルは『ポルカ』のメンバーたちに状況を聞いた後、スレディの工房を訪れた。
そこにいたのは、予想外の人物だった。
「エディア、フーディー、なんで残ってる?」
思わず、サマルは顔を引きつらせた。
すると、エディアは苦笑する。
「フーディーさんが嫌だと仰いまして」
本当は、ザルツたちと一緒に帰る予定だった。フーディーが、アランをひと目見る瞬間までは。
「ハッ、なんだ、あの若造。ワシらを虫けらでも見るような目で見おったぞ」
「あんなもん助けにわざわざ来たんだってな。馬鹿じゃねぇのか、お前ら」
スレディもこの調子だ。散々である。
サマルは深々と嘆息した。
「でも、だからって放っておいたら、組織ひとつ潰れるんだ。命だって落とすかも知れない。リーダーがどうだって、そこは捨てておけないよ」
老人二人は、そろってケッと吐き捨てる。
そんな様子に、最も困惑しているのがスレディの新たな弟子、ニカルドである。どうやら、すでにレジスタンスと彼らの繋がりを知ってしまったようだ。
元軍人で、ティーベット並の巨漢である。中年で厳ついけれど、いかにも清廉潔白、見ているこちらが引き締まるような人物だった。最初に見た時は。
ただ、今ではすっかり、牙を抜かれ、爪を切られたような気がする。
軍服を脱ぎ、簡素なシャツを着ているせいか、まるで印象が違った。
サマルはちらりと彼を見遣る。
「そんな顔をしなくても、私は何も言わない。協力もしないが」
協力。
元部下たちを相手に戦えとは言えない。
「はい……」
そう、言うしかなかった。
それから、エディアに向き直る。
「エディアは向こうに帰った方がいい。フーディーが帰らないって言ったのはわかったけど、なんでエディアは帰らなかったんだ?」
「それは……フーディーさんのことが気がかりだったからです」
そう、エディアは返した。けれど、普段はもっと明確に自分の意見を主張する彼女の瞳が一瞬だけ揺らいだ。だから、嘘をついたのだと思う。
問い質すべきか、気付かない振りをするべきか、迷った挙句に何も言わなかった。彼女なりに悩みがあり、そこへ踏み込んでほしくないのだと感じた。
もし、もっと頼りになる自分だったら、話してくれただろうけれど。情けない姿しか見せてこなかったから、話してみてとは言えない。
「そうか。でも、これからこの辺りは物騒なことになるかも知れないし、早く戻った方がいい。……無理はしないようにな」
そんな一言で、いつかの礼になるとは思わないけれど、ほんの少しでもいいから気が楽になればと願う。
「ええ、ありがとうございます」
そんな微笑みは、建前だったけれど。




