〈39〉ふたつの不安
その報告を聞き、ザルツとサマルは絶句した。
「放っておけないよね」
レヴィシアの言葉に、彼らはうなずけない。一見冷淡なようでいて、正義感の強いザルツらの態度に、今度はレヴィシアが驚いた。
「どうしたの、二人とも?」
すると、話を聞いていたシェインが口を挟む。
「放っておけないけど、手を出すには戦力が足りない」
「戦力……」
「アスフォテも放っておけない。でも、戦力を分散したら、多分どちらも助けられない。救えるのは片方だけだ」
「そんな……!」
その現実に、レヴィシアは愕然とした。ため息と共に、ザルツは口を開く。
「クラウズは確かに危険だ。けれど、ここまで下りて来るかは正直わからない。なるべく警戒して近付かないように忠告する。今、危機が差し迫っているのは、アスフォテで追い立てられているレジスタンス組織の方だ」
けれど、そう言いながらも、ザルツは自らが割り切れていない。そんな親友の様子に、サマルはあえて言った。
「ただ、俺達がアスフォテに向かって、もし万が一クラウズが下りて来た場合、引き返しても間に合わない。最悪の状況になる。その心配をしながら、アスフォテで戦わなきゃならないんだよな」
後方に憂いを抱えて戦場に立つ。こんなに危険なことはない。
「そうは言っても、戦力は割けねぇ。ここは賭けるしかねぇだろ?」
ティーベットの意見はもっともだった。けれど、人の命を左右するような賭けが出来るだろうか。
すると、今度はクオルが勢いよく手を上げた。
「はい! そのクラウズっての、下りて来る前にこっちからやっつけて、片付いてからアスフォテに行くのはどう?」
クオル、頭いい! と前回の作戦の発案者ゼゼフは賞賛の目を向けたが、ユイはかぶりを振った。
「向こうの領域に入れば、高所から狙い打たれる。まず、勝ち目はないだろう。対等に戦えるとしたら、平地に持ち込めた時だけだ」
目に見えてがっかりし、うな垂れたクオルを、ゼゼフが慰める。意外といい組み合わせだ。
こんな大事な時に、何も思い付つかない自分が情けなかったが、レヴィシアはどうしていいのかわからなかった。ただ、どうにかしたい気持ちだけが空回る。
そんな時、ずっと黙って話を聞いていたルテアが、ぽつりと言った。
「とりあえず、このままアスフォテ行きの準備を進めるってことでいいんじゃないか? 俺に少し、当てがある」
「え!」
クラウズを止められる手立てがあると言う。トイナックが故郷のルテアが言うのであれば、間違いはないのだろう。
「当て? クラウズと繋がってる人物を知っていると、そういう事ですか?」
ユミラが問うと、ルテアは頷いた。
「そういうことだ」
皆が揃って息をついた。一縷の希望が見え、やっと肩の力が抜ける。
「わかった。じゃあ、みんなアスフォテ行きのつもりでいてくれ」
そうして、解散となった。
レヴィシアはルテアに詳しい話が聞きたかった。そっと見上げたけれど、ルテアはその視線に気付かず、正面を見据えたままでいる。
すると、ザルツがルテアの前に歩み寄り、不意に微笑んだ。
「ルテア、風呂に行かないか? 今日は俺が手伝うから」
ルテアは片手が不自由な上、肋骨に響くような体勢も出来ない。誰かに手伝って貰わないと、入浴が困難だった。
それはわかるのだが、何故今だとレヴィシアは思う。あっさりとルテアを横から攫われ、釈然としないままレヴィシアは部屋に戻った。
※※※ ※※※ ※※※
風呂は口実である。それくらい、ルテアにもわかっていた。彼にごまかしは利かない。
やはりザルツは、廊下を歩きながらぽつりと言った。
「クラウズと繋がりのある人というのは、ホルクさんのことだろう?」
「……当り」
「行商人だったんだ。遭遇したことがあっても不思議じゃない。まあ、わかるのはそこまでだ」
実際、自分も聞かされた話でしかない。本当のことだという確証はないままだが、今はそれを信じるしかない。
「俺がまだ小さかった頃の話らしいんだけど、親父、クラウズに襲われたんだ。周囲を囲まれて、結構善戦したって言ってたけど、実際はどうだかな」
小さく笑う。父が、特別強かったとは思わない。
この立ち回りのくだりには多少の誇張があったはずだが、子供の頃は素直にすごいと感動していた。
「で、挙句に友情が生まれたとか、適当なことを言ってた。けど、親父がクラウズの領域をいつも無事に通ってたのは事実なんだ」
ザルツはその続きを待つか、口を開くか迷っている風だった。そして、口を開く。
「……だから、お前が行くって言うのか?」
一瞬、ルテアは返答に困った。けれど、素直にうなずく。
「親父は、困った時はクラウズを頼ってもいいって言ってた。お前のことも話してあるって。けど、親父はレジスタンスの仲間――レブレムさんにさえ、クラウズのことは話してなかった。当たり前だよな。山賊だ。そうそう関わるべきじゃない。俺も、関わるつもりなんかなかったし、こういう事がなきゃ、忘れてた」
普段なら、ザルツはもう少し楽に決断出来たかも知れない。けれど、腕を吊り、痛々しい傷がまだ癒えていないルテアの姿を見ると、この双肩には重過ぎる頼みだと思えた。多分、誰もが止めるだろう。
「そのけがで山に入ること事態が、すでに無謀だが、それでも行くのか?」
「ああ」
短い返事に迷いはなかった。
「このけがだから行くんだ。今の俺がアスフォテに行ったところで、戦力外だ。その戦力外一人でクラウズが止められるなら、こんなに合理的な策もないだろ?」
自虐的なもの言いのようで、そうではない。真剣に結果を見据え、口にしている。
随分強くなったな、と思う。
「お前の言い分はわかった。ただ、必ず帰ると約束出来るか?」
ザルツの言葉に、ルテアは笑った。当たり前のことを言われたかのように。
「帰るよ。……心配だから」
彼にとって、最重要事項はレヴィシアのことだ。それがある限り、間違いないとザルツも笑った。
「わかった、頼む」
レジスタンスのメンバーは、仲間であり、家族だ。一人でも欠ける苦痛は二度と味わいたくない。それでも、今は決断の時だった。
「了解」
それから、ぽつりとザルツは言う。
「最近、レヴィシアはお前にくっついてるからな。上手く撒かないと出かけられないぞ」
「そうだな……。風呂から上がったら、そのまま行くよ」
「外は暗い。さすがに危なくないか?」
「明るくなってから山に入る。それまではどこかで休んでるから」
すると、ザルツは懐から小さな、握り締めると手の平に収まってしまうような巾着を取り出した。そして、それをルテアに手渡す。
「困ったらこれを使え。効果があるかはわからないが」
「なんだこれ?」
「用がなければ開けずにいろ。あんまり見ない方がいい」
どんな物騒なものを貸してくれたのかと、ルテアは少し不安そうだったが、ザルツなりの配慮だった。




