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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅳ

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〈36〉平和の象徴

 ザルツとユミラは、貴賓席にて、迫り来るその時を沈黙して待った。

 区切られた式場の外周の外側で、サマルたちもまた、緊張の面持ちでいる。

 そして、ついに奏楽のファンファーレが高らかに響き渡った。その音が少し止み、開式を告げる文句が仰々しく読み上げられる。


「――では、こちらにおいで頂きましょう。レイヤーナ大使、レイヤーナ王国第五王子、ネストリュート=イル=レイヤーナ殿下のご入場です!」


 再び大げさに吹き鳴らされるトランペットの音。長く続く緋毛氈の上を、流れるような足取りで歩むその姿が、誰の目にも見えた。

 淡い色の頭髪と、彫刻のように整った体躯。白い詰襟に、豪奢な蒼い外衣マント、勲章、宝石の装飾が散りばめられてはいるけれど、そんなものがなくとも、彼は間違いなく特別な人間だった。自らが輝きを放つ、稀有な存在。あれこそが、王者の風格であると認めてしまいたくなるような――。


 彼が進むにつれ、次々と平和の象徴である白鳩が放たれる。その数は、おびただしいまでだった。

 そして、花が撒かれ、通路に連なって吊るされていたくす玉の紐が引かた。中から飛び出した、色とりどりの紙吹雪が風に舞う。


 けれど、その中のいくつかには、明らかにおかしなものが混ざっていた。紐を引いた途端、ザザッと、まるで豪雨のような音がして、中のものが一気に地面に落ちた。

 ただ、遠目にそれが何か、判別することはできない。群衆は特別な違和感など感じていないようだった。けれど、その場にいた兵士たちは違う。呆然と、くす玉から飛び出して来たものを見遣った。


 それは、豆だった。

 長期保存ができるように乾燥した豆。それが、一面に広がった。

 それらは、危険なものではないが、くす玉から出て来るには不思議なものだ。くす玉の紐を引いた兵士たちは、一様に首をかしげている。

 そんな時、目にも留まらぬ速さで飛来した白いものが、彼らの視界を埋め尽くした。

 その白いものはネストリュート王子の進路もすべて埋め尽くし、ただ散らばった豆を食い漁る。


「うわっ! おい、コラ!! 誰か!!」


 兵士たちは慌ててその白いもの――鳩を追い払おうとした。けれど、翼のある彼らは一度引くと、すぐにまた降下し、必死で豆をついばむのだった。



 そして、群衆の中から声が上がる。


「なんだ、何があった? もしかして、襲撃の前触れか!?」


 群集は、後列になればなるほど、式場の様子が見えない。ただ、騒ぎの音と不安を煽る声だけを聞き付け、それはざわざわと大きくなる。


「冗談じゃない!」

「逃げるぞ!」

「こんなところで死にたくない!!」


 我先にと逃げ出そうとする者が後を絶たなくなった。わあわあと悲鳴が轟き、彼らの関心はネストリュート王子から離れた。自らの命のため、ただ逃げ惑う。


「落ち着いて下さい! 襲撃などありません!」


 そう叫ぶ小柄な青年がいた。格好からして、正規兵ではなく傭兵だろう。シーゼたちが予定していた警備の仕事だ。

 サマルは素早く周囲を見渡し、それから、自分たちもその場を逃れるように走り出した。混乱に乗じてしまった方が賢明だ。

 プレナやエディア、アーリヒ、クオル、ゼゼフも同じように動いている。


 砂が手の平からこぼれるように、群集もそこから散って行く。そんな動きの中、一人動かない男がいた。鍛えられた体に、腰に佩いた二本の剣。あれがヤールという男かと、サマルは鋭く観察した。

 彼は、この騒ぎを治めるつもりがないのかと思うほど、落ち着いていた。けれど、そうではないのだとすぐに思い直す。どう動くのか効果的か、見極めているのだ。この混乱の中にあっても、彼だけは冷静だった。

 そして、その騒動の中で流れを無視し、逆走して来る二人の姿があった。若い男女である。



 それも、そのうちの一人に、サマルは見覚えがあった。貴人の装いをしているけれど、間違いなく、見知った顔だった。

 サマルは驚愕を覚えつつも、とっさに路地の隙間に隠れた。


「ヤン、何があったんだ!?」


 男女の片割れ――ハルトはヤールに向かって声をかける。ヤールは、息せき切ったハルトに向かって不適に笑った。


「ハルト様、いいタイミングで」

「え?」

「何企んでるのよ?」


 傍らの小柄な女性はヤールをにらむが、ヤールはフフン、と鼻を鳴らした。それから、大声を張り上げる。


「おーい! もう大丈夫だ! ネストリュート様の弟君、ハルトビュート様が、兵士を連れて俺たち庶民を守るために駆け付けて下さったぞ!」


 ハルトは小さく、え、ともらした。サマルのところにまでそのつぶやきは届かないが、口もとがそう動いた。

 傍らの女性は大げさにため息をつく。

 群集は、その意外な人物に目を向け、恐慌から醒めたかのようだった。その視線の多さに、王族であるという割にはハルトはたじろいで見えた。けれど、心を決めたのか、以前と同じように温和な笑みを浮かべた。


「今日は双方にとって輝かしい日です。警備は万全ですから、どうか心を落ち着けて見守って下さい。大使である兄の誠意が、きっと伝わるはずです」


 王族にしては平凡だが、彼は誠実だった。それは、民にとっては親しみとして映る。

 彼が与えるのは、不思議な安心感だった。混乱はたちどころに収束し、群集は式場へと引き返して行く。

 胸を撫で下ろすハルトの隣で、ヤールはぼそりと言った。


「ハルト様がとちったらどうしようか、真剣に心配してたんですけど、大丈夫でしたね。しばらく見ないうちに大人になって」

「じゃあ、振るなっての」

「でも、剣を抜くよりはいいやり方だったでしょうが」


 確かにそうだ。ハルトが納得したように、サマルも認めざるを得なかった。


「それで、兄上はご無事なのか?」

「さあ。そんな簡単にくたばるお方でしたっけ?」

「そんなわけないでしょ! あたしのネスト様におかしなこと言わないでよ!」


 女性の言葉を最後まで聞かず、ハルトとヤールは駆け出していた。



         ※※※   ※※※   ※※※



 真っ白な鳩の群れが、緋色の道を白く塗り潰す。個々の鳴き声は小さくとも、数が数だ。何百羽とそろえば、けたたましいものとなる。

 突然のできごとに、貴賓席も騒然となった。声を上げて逃げ出し、醜態をさらす者もある。

 もちろん、事前に話してあったとはいえ、クランクバルド当主は微動だにしていない。そんな姿に、周囲の貴族たちも、自らの器を大きく見せようと平気な振りをする。


 歓迎式典の開催に当たり、雑務担当を募った中に、レジスタンスの構成員たちが紛れ込んだ。くす玉に豆を仕込むという、ゼゼフの発案は、荒事とは無縁の彼らしい発想だ。


 その結末を、ザルツとユミラは見守る。ただ、ザルツにはすでに先が見えた気がした。

 ネストリュート王子が踏み出すと、鳩はさっと道を開けるように飛び立った。豆を食らい尽くしただけのことだったのかも知れないが、それはまるで演出されたかのように美しい光景だった。

 白い羽根が舞う、幻想的な風景の中を優雅に歩み、そして壇上に立つ。

 改めて彼を見ると、年齢以上の風格さえ備えていた。その整いすぎた容姿に、誰もが気圧される。近くの誰かが息を飲む音が聞こえた。


 ネストリュート王子は、無言で空に手を伸ばす。すると、一羽の鳩が彼に惹かれたようにその腕に降りた。鳩を自らの顔に寄せ、彼は嫣然と微笑む。


「平和の象徴である白鳩は、私の最も好む鳥です。盛大な歓迎を、感謝いたします」


 何事もなかったかのような、穏やかで張りのある声。

 この失態を、ないものとして扱ってくれた隣国の王子の器に、ため息がもれ聞こえる。彼に、悪い印象など受けるはずがなかった。


「私はこのたび、父王の代理として貴国に大使としてやってまいりました。貴国シェーブル王がお隠れになったこの現状で、私は、隣国として我々に何が成せるのかと思案し続ける日々を過ごしておりました。ですから、今、この節目の時に貴国に使わされた意味を、私は形にするつもりです。私に限らず、我が国は皆様の未来にお力添えができることを願っております。そのために、まず皆様の声を、どうかお聞かせ下さい。共に、手を携え、未来を歩むために――」


 その音楽のように艶やかな声は、強い意志を持って抗わなければ虜になってしまうような力を持つ。

 言葉そのものよりも、彼の存在に、すでに引き寄せられている者もいたように思う。一瞬の間があり、その後には歓声と拍手が沸き起こる。

 ザルツが貴賓席の高みから群集を見渡すと、喜びを表すように高く放り投げられた帽子の数々が見えた。



 ザルツとユミラは無言で佇んでいた。さっと吹いた風が二人の間をすり抜ける。

 彼の言葉の裏を探ろうとした。微笑みながら、裏で舌を出すような手合いはたくさん見て来た。

 けれど、だからこそ、彼は民衆を導くほどの存在であると、やはり否定はできなかった。

 だからといって、譲れる信念ではないけれど。

 衝突は必至で、それを残念に思った。


 ささやかな嫌がらせですね(笑)

 ただ、ハトの集団を甘く見てはいけません。

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