〈33〉優しい人
けれど、問題はルテアだった。
シーゼに付着していた血は、ほとんどルテアのものだった。右脇腹に剣で切ったと思われる鋭い傷がある。その他にも数々の擦り傷と、痛々しい内出血の痕が破れた服の隙間から見えた。そして、すでに膨れ上がった左腕は、素人目にも尋常ではなかった。
フィベルは慎重にルテアの背に手を滑り込ませ、その体を持ち上げる。少しずつ、フィベルの服も血で染まって行った。レヴィシアはとっさに自分の服の袖をちぎり、ダガーで裂いて比較的きれいな面を傷口に押し当てる。
「どこ行く?」
フィベルがぽつりと言った。一番安全なのはリレスティだ。けれど、そこまでは遠すぎる。
「王都。……駄目、式典のせいで人が多い……」
医師であるアーリヒは王都だ。アーリヒではない、違う医者を探すべきかも知れない。
「じゃ、エトルナ?」
「いや、エイルルーに……」
ユイが言う。エイルルーは距離的に言うなら三番目だ。ただ、あそこも歓迎式典の影響で浮き足立っている。上手く見てもらえるだろうか。
心配ばかりしていても仕方がない。とにかく、動かなければ。
「とりあえず、行こう」
歩きながら、レヴィシアは考えた。早く医者に診せるためにはどうすればいいのか。
誰かが先行して医者を連れて来てくれるのが一番だが、上手く連れて来られるとは限らない。
そんな時、救いがあった。
「おい! お前ら!」
シェインだった。顔を上げると、そこには数人のメンバーがいる。ティーベットも一緒だった。ティーベットは一頭の軍馬を従えていた。フィベルに敗北した騎兵の軍馬だ。
「どうしたんだ!? なんで……ルテアとシーゼ、けがしてるのか?」
一瞬、レヴィシアは言葉に詰まった。自分の愚かさをごまかすつもりはないけれど、とっさに言葉が出なかった。
「詳しい話は落ち着いてからにしよう。早く医者に診せたい。このままエイルルーに向かうつもりだ」
ユイが静かに言った。シェインは動揺した様子で、ああ、とかすれた声でつぶやく。けれど、すぐにかぶりを振った。
「それより、この馬に乗って医者呼んで来た方が早い。オレ、行って来るよ」
ティーベットは、切れている手綱を結んで応急処置を施した。その軍馬に軽やかにまたがり、駆け去るシェインを見送る。ルテアとシーゼは比較的風当たりの弱い岩の陰に寝かせ、レヴィシアは他の面々に言った。
「リレスティが安全だって思ったけど、ハルトがあっちにいるんじゃ、あたしたちとクランクバルドの繋がりも筒抜けだよね」
「当主がいるならまだしも、式典で王都に滞在中だ。この状況ではどうだろう……」
レヴィシアはユイにうなずく。
「大人数を匿ってもらうのは危険だと思う」
「王都にいる連中にも連絡しねぇと」
考えるのが得意なザルツもユミラもいない。それでも、レヴィシアなりに必死で考えた。ルテアの青ざめた顔を見遣りながら、ぽつりと言う。
「トイナックに行こうか」
ルテアの故郷だ。あの閑散とした場所なら、傷を癒すことができると思った。
ユイもうなずく。
「そうだな。あまりけが人を動かしたくはないが、近い場所も危険だ」
話がまとまると、レヴィシアはティーベットと一緒にいた数人のメンバーに、王都班と落ち合う場所まで伝達に走ってもらった。
それから、シェインと医師を待つ間、誰も口を利かなかった。
けれど、寝かせていたシーゼが、眉根を寄せて小さくうめいた。レヴィシアは敏感にそれに反応する。
「う……」
気が付いた。気が付いてくれた。
うっすらと目を開けた彼女に、レヴィシアは駆け寄った。全員が、レヴィシアの後ろに続く。
シーゼは虚ろな瞳で、レヴィシアとその背後を見ていた。それから、しっかりと焦点の合った目をレヴィシアに向ける。
恐ろしかった。
彼女が今、何を思っているのか、考えるだけで震えが止まらない。
それでも、彼女がこうして再び目を開けてくれたことが嬉しいのも本当だ。
シーゼはゆっくりと上半身を起こす。彼女のけがは、ルテアに比べると軽い。ルテアが庇ってくれたお陰だろう。
レヴィシアは、どんな言葉にも耐える覚悟をして頭を下げた。
「ごめんなさい! シーゼは何も悪くなかったのに……あたしのせいで!」
まだぼんやりとしていたシーゼは、ようやくレヴィシアに微笑んだ。
「わたし、大丈夫みたいだし、謝られても困っちゃうわ。誰のせいでもないから、泣かないで」
ほら、と無邪気に両手を振ってみせる。その笑顔のせいで、レヴィシアは余計に涙が止まらなかった。
「なんで? なんでそんなに優しいの? あたし、シーゼに嫌な態度しか取って来なかったのに」
けれど、シーゼはそっとレヴィシアの涙を拭った。
「そんなことないよ。あの時、地下室で会ったあなたが、本当のあなただもん。初めて会った時から大好きだった」
レヴィシアは、シーゼにすがって大声を張り上げて泣いていた。しゃくり上げる彼女の背中を、シーゼは優しくさする。その動きで、レヴィシアはようやく素直になれた。
「あたしも、本当はシーゼのこと大好きだった。でも、優しくてきれいで、少しも敵わないって思ったら苦しくて、嫌いだって思い込もうとした。ごめんなさい……」
ひっく、ひっく、と息を詰まらせながらも、レヴィシアはシーゼの耳もとで小さくささやいた。
「ユイのことも嫌いにならないで。すごく苦しそうだったから……」
シーゼは穏やかに、うん、とうなずいた。
※※※ ※※※ ※※※
そして、二台の馬車がその場へ到達する。
「連れて来たぞ!」
先頭の馬車から飛び降りたシェインは、シーゼの意識が回復していることにほっとしたようだった。続いて降りて来た医師は、頭の両側に髪がかろうじて残っている老人だったが、この際文句は言えない。
「けが人はどこだ?」
「ここ」
フィベルがルテアの隣で挙手する。
「おお、そうかそうか」
おじいちゃん先生はルテアに近付くと、血まみれの服を裂き、腹に手を押し当て、丹念に調べる。それから、一見してわかる左腕に触れ、そして淡々とした口調で言った。
「うん。折れとるね」
「え!」
レヴィシアは思わず口もとを押さえる。
あの高さから落ちたのだから、不思議はない。むしろ、命があるだけすごい。けれど、やっぱりショックだった。
カバンから道具を取り出し、医師はルテアの腕に添え木をし、しっかりと固定する。それから、傷口を洗い、消毒し、包帯を巻いた。
「肋骨もイッとるよ。まあ、内臓は無事だ。若いからすぐ治るだろ」
軽い口調で言う。すぐ治ると聞き、レヴィシアはようやく生きた心地がした。シーゼは大丈夫だと言い張り、診察は受けない。大丈夫という言葉を信じてもいいだろうか。
余計な詮索もなしに手当てを施してくれた先生に、レヴィシアたちは礼を言った。
片方の馬車に医師を乗せる。
傷口は清潔に保つこと、安静にしていること、そう注意して、医師は去った。
ティーベットが未だ意識のないルテアを抱えて馬車に乗せ、その後にレヴィシアが続く。シェインはシーゼに乗るように目で促した。シーゼは、違和感を感じていた足首に鞭打って立ち上がる。我慢したつもりが、ほんの少しふら付いた。それをとっさにユイが支える。
そんな光景を目にしたシェインが嘆息した。
「やせ我慢しないで、診てもらえばよかったのに」
「レヴィシアが気にするでしょ。大したことないから」
と、シーゼはユイの手を押しのける。その途端、シェインは目を細めると、大声で言った。
「シーゼ、足が痛むらしいよ!」
馬車から顔を覗かせたレヴィシアは、しょんぼりと眉尻を下げた。シーゼはシェインをにらんだが、シェインはそっぽを向いた。
「ユイ、馬車に乗せてあげて。それから、ちゃんと面倒見てね」
「ああ」
うなずいたユイトルがシーゼを抱え上げる。
そんな横顔に、昔の面影を見た。
たったそれだけのことに、シーゼは涙が出そうだった。
というわけで、完敗です(笑)




