〈17〉空元気
王都に到着していたザルツたちは、レヴィシアたちと共に過ごしていた三番街の家ではなく、ユミラの邸宅に向かう。あちらの家は、プレナたちが使うことになっていた。さすがにこの人数が寝泊りするには手狭すぎるのである。
王都にあるクランクバルド公爵家の館は、もちろん一等地にあった。一番街の、それもより城に近い敷地だ。
ただ、そちらへ向かう途中、ザルツにとっては見たくないものもあった。
一番街の入り口に、慎ましやかな、それでいて人目を引く屋敷がある。ユミラはそっとザルツを見た。
「確か、ここはフェンゼース家の……」
ザルツは苦笑気味にうなずく。
「はい。けれど、手放して随分経ちます。今はどういった方が住んでいるのかも知りません」
そこで、シーゼも思い出したかのようにつぶやいていた。
「ユイトルの屋敷も、確かこの――」
ユイの父親、フォード将軍。
思えば、ここから見上げれば、視線の先にある王城か、その邸宅のどちらかにいるのかも知れない。
そうそう会えるような人物ではないが、会えないことが幸いとも言える。いつかはぶつかる時が来るのだろうが、今はまだ――。
「なんて――もう関係ないか」
シーゼは少し悲しげに笑った。そして、一度振り返ると、彼女はその場で立ち止まる。
「ねえ、ちょっといい?」
「どうかされました?」
エディアが小首をかしげる。
「うん。ちょっと寄り道してから行くね」
「どこへ?」
と、ザルツが問う。
「二番街まで。わたし、傭兵だから、同業者が集まる斡旋所に行ってみようかなって。だって、これから式典の準備が始まるのなら、警備の兵は民間からも募るんじゃないかな? そしたら、その警備に潜入するって手も有効なんじゃない?」
シーゼの提案に、ザルツはうなずけた。反対する理由もない。
「確かにそうだな。でも、一人では危険だ。傭兵登録している人間はシェインくらいだから、潜入する時には彼と一緒に行ってくれ」
「了解。まあ、今日は様子を見てくるだけだから。じゃあ、行って来るね」
「無理はしないように」
そう釘を刺すと、シーゼはひらひらと手を振って、魅力的な笑顔を振り撒いた。
「大丈夫。わたしは今までこうやって生きて来たんだから、無理をしないなんて当たり前よ」
その黒髪がひるがえる背を眺めながら、ザルツは嘆息した。
彼女の元気が、空元気に思えてならないのは、勘ぐり過ぎだろうか、と。
※※※ ※※※ ※※※
三人と別れてから、シーゼは斡旋所にまっすぐに向かった。式典の警備の仕事があるとするなら、もたもたしていては定員割れになってしまう。
食堂も兼ねているせいで、常に騒がしい王都の斡旋所。ここに来るのは二年振りくらいだろうか。
足を向けなくなったのは、ここはユイトルと出会った場所であり、共に過ごした思い出が多いせいだ。
ここにいると、隣にユイトルがいないことがつらくて、足が震えてしまった。だから、なるべく避けて来た。
ベルの付いた扉を勢いよく開く。その途端、カウンターに座っていた青年と目が合った。それから、ひげ面のマスターにも目を向ける。
「ご無沙汰。元気だった?」
笑ってみせると、カウンターにいた青年は椅子から飛び下りた。シーゼよりも年上なのだが、やや小柄なせいか、そんな仕草が子供っぽい。
「シーゼ! 驚いたな。どういう風の吹き回しだ?」
青年はトアといい、ユイトルと共通の友人で傭兵仲間である。シーゼはカウンターまで進むと、彼が座っていた席の隣へ腰かけた。
「だって、王都ではもうすぐレイヤーナ大使の歓迎式典があるんでしょ? 警備の仕事があるんじゃないかと思って来たの」
マスターはにやりと笑う。
「さすがにいい嗅覚だな。警備の定員はあと三人。お前がやるなら、後二人か」
「わたしの連れもいるから、後一人。明日には連れて来るから」
それを聞くと、マスターもトアも目を丸くした。
「連れ?」
「男か?」
二人が何を言いたいのかわかるから、シーゼは答えたくなかった。それ以上言われてしまわないうちに先回りする。
「もう、ユイトルのことは言わないで。わかった?」
二人が強張った顔でうなずくと、シーゼは短く、よし、と言う。
「じゃあね。明日また来るから。よろしく」
席を立とうとしたシーゼの背後から、今度は長身の男性が割って入った。ユイトルよりもまだ高いくらいだ。
彼は椅子に座るのではなく、カウンターにもたれかかるような姿勢になった。
「今の話、俺も噛んでいいか? 空きは後一人なんだろ?」
短く刈った黒髪の、長い手足の男性だ。三十歳くらいだろうか。むき出しの腕には筋肉がしっかりと付き、それを誇示しているように思えた。
傭兵連中の中では見ない顔だ。けれど、多分、強い。それだけは誰にでもわかった。
彼は、腰に二本の剣を佩いている。一方は赤、もう一方は紫の房が付いた細身のもの。布を巻き付けてある柄の形からして珍しい。
マスターは興味津々な口調だった。
「あんた、強そうだな。強いのを斡旋できたら、うちの評価も上がるし、ぜひ参加してほしいもんだが、傭兵登録は済んでるのか?」
それを言われた途端、男は精悍な顔に見合わない、きょとんとした表情になった。
「えっと……傭兵登録ってのは、すぐにできるのか?」
「いや、適性検査とか受けるのにしばらくかかるな。推薦状とかがあれば話は別だが」
男が未登録と知り、マスターは残念そうだった。
「うーん、今回は仕方がない。次の機会に登録を済ませて来てくれ」
すると、男は何故か不適に笑った。
「いや、明日にはなんとかして来るから、最後のひと枠は空けておいてくれ」
「明日? どうするつもりだ?」
「ま、その推薦状を書いてくれそうな心当たりがあるってことだ」
シーゼはそんなやり取りをなんとなく見ていたが、とりあえずザルツたちのところに戻ろうと思った。
「じゃあ、わたしはこれで」
長い髪を揺らし、シーゼは店を出る。すると男も、また明日、と言ってそれに続いた。
シーゼは彼に構わずに歩く。けれど、彼はシーゼの前に回り込んだ。
「何?」
見上げると、彼はにやりと笑った。
「せっかくの美人だし、名前でも聞いておこうかと思って」
「先に名乗って。じゃないと教えない」
傭兵稼業はまだまだ男社会だ。女性を認めないだけでなく、下卑た視線を向けられることも少なくなかった。ユイトルの存在に守られていた時期もあったが、今は違う。それらをすり抜けることには慣れていた。
男は、ああ、と納得した。
「そうだな。俺はヤールだ」
「わたしはシーゼ」
「じゃあ、シーゼ。明日、もう一度会えるかな?」
軽い口調に対し、シーゼはにらみを利かせる。
「あなた、本当に推薦状のあてなんてあるの?」
すると、ヤールはにやりと笑った。そして、自然な仕草でシーゼの肩を抱く。
「それが知りたきゃ、今から一緒に――」
頭にきたので、シーゼは叫んでやった。
「この人、痴漢です! 誰か助けて下さい!」
「うわ……」
周囲の人々の軽蔑の眼差しに弁解を試みるヤールを振り返りもせず、シーゼは駆け出した。
よくあることである。




