〈16〉繋いだ手
レヴィシアとルテアは、宿に戻るという判断をしなかった。ただじっとユイを待つのも得策ではないと考え、二人は町を抜け出すことにした。
最後に野宿をした場所。そこならユイとサマルは見付けてくれると信じる。
町の中も、ある程度走り抜けたら、後はグレホスのように躍起になって追いかけて来る人間もいなかった。だんだんと落ち着いた町並みに戻っている。それでも、一応警戒は怠らずに動いた。
ネストリュート王子に会うことはできなかったが、今はそれどころではない。
町の外へ出るまでは早足だったけれど、外に出てからは全速力で走った。逃げ出す最中、ルテアはずっとレヴィシアの手を引いていた。何度か息が上がって立ち止まった時も、ずっとそのままだった。
手を繋いでいるからといって、足が速まるわけではない。それでも、恐怖心が和らぐ。気遣ってくれているルテアの気持ちが伝わった。
今はただ、走るしかない。
走って、逃げて、無事に帰ることだけを考える。
ユイのことも、シーゼのことも、個人的な問題はなりを潜めた。今は何も考えられなかった。
「ごめ、ん……少し……」
レヴィシアは震えるひざを押さえ、切れ切れにつぶやいた。
ルテアは息は上がっているものの、まだ余力を残しているような気がした。それでも、レヴィシアに合わせて歩調を緩める。体力にこんなにも差が開いているなんて、とレヴィシアはひどく情けない気持ちになった。
「負ぶってやろうか?」
気遣って言ってくれたのだとわかっても、レヴィシアは思わずにらみ付けてしまった。お荷物だと言われたようで。
ルテアは、失言だったと困惑しているのか、おずおずとつぶやく。
「このくらいの速度なら歩けるか?」
「うん、ありがと……」
追っ手が迫っているような気配は、今のところない。平坦な道が続くこの先に待ち伏せている様子もなかった。これくらいなら、大丈夫だろう。
二人はゆっくりと歩む。繋いだ手はそのままに。
ルテアは、傍らのレヴィシアにそっと声をかける。
「なあ、もし、ネストリュート王子が、この国の行く末を託すに値するような人物だったらどうする? 自国の民と分け隔てなくこの国の民も光で照らしてくれるような存在だったら――」
何故、ルテアがそんなことを口にするのか、レヴィシアには理解できなかった。
どんなに優れた人物だろうと、一人に責任のすべてを押し付ける仕組みが間違っているという考えに賛同してくれたのではなかったのか。
そう考えて、少し悲しくなった。
こんなにも逃げて、危険な目に遭ってばかりの日々だ。弱気になるなという方が無理なのかも知れない。王制の仕組みもレイヤーナの干渉も、否定せずに上手く付き合って行ける道を選んでもいいのではないかと、誰が考え始めても責められない。
ただ、それは目先の平和であって、いつ崩れるとも知れないものだと思う。
だから、今がつらくてもがんばらなければ、ずっと遠くの未来までは照らせない。
誰が諦めても、進まなくてはいけない。
「……あたしは、それでも『王様のいない国』を目指すよ。ごめんね、ルテア。つらくなったら無理しないで」
誰もが最後まで付き合ってくれるとは限らない。急にやって来る別れもある。
ルテアにだって、考えや思いがあり、自分の考えを押し付けてはいけない。
けれど、ルテアの言葉に込められた意味を理解していなかったのは、レヴィシアの方だった。
「そういうことじゃない! 俺は――っ」
声を荒らげ、それでもその先を言わなかった。苦しげに顔を背けたルテアに、レヴィシアは当惑するだけだった。
それからしばらく、会話はなかった。
ただ、黙々と歩く。それでも、手は繋いでいた。
繋ぐ理由もすでになく、離す理由もない。惰性としか言えない理由で繋がっていた。
最後に野宿した場所。その焚き火の跡を踏み越え、二人は木の根元に腰を下ろす。
口も利かないまま、ぐったりと座り込んでいた。体も心も、疲れていた。
そうして、辺りが薄暗くなりかけた頃、ようやくユイがやって来た。ひと通り町を探し、それからここへやって来たのだろう。
「レヴィシア! ルテア!」
心底ほっとしたような声で名を呼ばれ、レヴィシアは花が開くような笑みをこぼした。ユイに向かって駆け寄ろうと、木の根元から立ち上がる。
そうした時、繋いだままの手が、解かれる前に一度だけ強く握られた。軽く引き戻されるような感覚の後、離れたルテアの手は、力なく地面に落ちた。レヴィシアが驚いて振り返ると、ルテアはまっすぐな瞳をレヴィシアに向けていた。レヴィシアがたじろいでしまうほどに、その瞳はまるで語るようだった。
「無事みたいだな。よかった……ルテアのお陰だな」
ユイの言葉が、何故か砂のようにサラサラと耳からこぼれて行く。あんなにも聞きたかった声なのに。
会ったらまず、飛び込んで行きたかった。なのに、自分のものではないような声でうつむいて答えるのが精一杯だった。
「うん……大丈夫、だよ」
ルテアがいつもそばにいて、守ってくれる理由を、深く知ろうとしなかった。
もしかして、と――まさかと思う。
馬鹿な勘違いだと笑ってくれたらいい。
でも、もし勘違いではないとしたら――。
あの真剣な眼差しに応えることはできない。
大切だから、傷付けたくないから、どうか違うと言ってくれることを願ってしまった。




