〈12〉小さな迎え
そうして、レヴィシアとルテアがルイレイルの手前に到着したのは、今朝出立した宿の人が持たせてくれた昼食のサンドイッチを食べてから、半時くらい歩いてからだった。
多少の疲れはあるものの、若い二人に目に見えた疲労の色はない。
レヴィシアは前方に見える、町を囲む石造りの黒い外壁を眺めた。
ユイとプレナはすでに中にいるはずだ。彼らはそつなく潜入できたことだろう。
このルイレイルはトイナックとは違って、自警の兵士も多い。
レブレムの死後、三年が経過しているため、母親似のレヴィシアやルテアを見て、すぐに過去のレジスタンス活動家の子供たちだと見抜けるような兵士はいないだろうけれど、気を付けるに越したことはない。
「外壁は……登れそうにもないな。やっぱり、正面からしかないか」
「なるようになるよね?」
そうするしかない。
「そう、だな」
ため息混じりにルテアも答える。
二人は意を決し、ゆっくりと正門へと向かって行った。緊張がないわけではない。けれど、それを表に出してはいけなかった。
せめて、他の人々に紛れるようにして行く。
ゆるゆると進んで行く二人を、四人いた番兵は見やったけれど、あっさりと通過を許した。華奢な二人は、ただの子供にしか見えないのだろう。まったく疑われないのも複雑な二人だったが、今は気にしないことにした。
外壁の中は、短いトンネルになっていた。厳重であるけれど、今は大きく開かれたふたつの扉を潜る。下手に入れば、挟み撃ちにされるような構造だった。怖いと言ってしまいそうになる自分を、レヴィシアはぐっとこらえた。
トンネルを抜けた時のまばゆさに目が眩む。その明るい光に慣れた時、落ち着いた色合いの石畳の上に、二人そろって足を踏み出す。
こうして中に入り込んでしまうと、ごく普通の平和な町並みだ。行き交う人々も自然に笑い、話し、歩いている。剣呑な空気など微塵もない。本当にここに『ゼピュロス』のアジトがあるのかと疑わしくなるほどだ。
想像していたのは、残党狩りによって、外出さえもままならず家の中で怯えているしかない人々と、ふんぞり返って闊歩する兵士の姿だったので、少し拍子抜けしてしまった。
「よし、指定の中央広場に行くか。ユイたちもいるはずだし」
ごく小さな声でルテアが言う。レヴィシアがそれに答えようとした時、前方から杖をついた老人が声をかけて来た。
「もし、そこのお若い方。少々道を教えてほしいのだが、よろしいか?」
腰は曲がっているけれど、しゃんとして立ち上がると、意外と背が高いと思われる。髪は見事な白髪でひげまで白い。くぐもってしゃがれた声は聞き取りにくかったけれど、わからないほどではなかった。
「俺たちも今ここに着いたばっかりなんだ。だから、道とかわからないんだ。悪いけど、他を当たってくれないか?」
ルテアは困惑しながらも、やんわりと断った。すると、老人はよよよ、とうつむいてもそもそ喋った。
「最近の若いもんは冷たいのぅ」
「いや、冷たいとか言われても、俺たちもわかんないんだって」
「わからんなりになんとかしてやろうという心意気はないのかの?」
「……わかった。じゃあ、誰かに訊いて来る。どこまで行き――」
「他力本願な。その若さで人を頼るとは、嘆かわしい」
「だって、知らないもんは訊くしかないだろ」
妙な老人に絡まれ、それでも律儀に相手をするルテアは、根が真面目なようだ。レヴィシアは助けるでもなく、それを眺めている。なんとなく、微笑ましかった。
そんなのん気なことを思っていたレヴィシアの薄手の上着の袖口を、不意に誰かが軽く引く。
びく、と驚いて顔を向けたレヴィシアに、その赤毛の子供はにっこりと笑った。人懐っこい笑顔がかわいらしい。レヴィシアもつられて笑った。
七歳くらいだろうか。身長はレヴィシアの三分の二くらいしかない。
その男の子は、灰色がかった瞳を輝かせ、嬉しそうに言った。
「ボクはね、クオルっていうんだ。お姉ちゃんはレヴィシアちゃんでしょ?」
「え?」
「頼まれて迎えに来たんだ」
誰に。
レヴィシアは戸惑ったけれど、クオルはそれを言わなかった。そのまま、レヴィシアの手を引いて駆け出す。
「こっちだよ」
「あ、でも……」
ルテアはまだ、老人とやり取りをしていて気付いていない。
「大丈夫。ボクたちは敵じゃないから」
この子、クオルは一体なんなのか、レヴィシアは急な出来事に困惑しながらも、ようやく尋ねる。
「ねえ、クオルは誰に頼まれてあたしを迎えに来たの?」
すると、クオルは足を止めずに振り返った。子供ながらに、不安げなレヴィシアを安心させようとするのか、終始笑っている。
「リッジだよ」
「え? ……もしかして、リッジ=ノートン?」
『ゼピュロス』のリーダー補佐。レヴィシアたちを呼び出した張本人。
彼なのだろうか。
クオルはうなずく。
「そう。ボクのお父さんとお母さんもメンバーだから、ボクも時々手伝うんだ。子供の方が動きやすいこともあるからね」
年齢や外見よりも、この子はしっかりしているようだ。
「そっか。でも、あたしのこと、よくわかったね」
まあね、とクオルは意味深長に笑った。
けれど、どうして待ち合わせとは別に単独で呼ばれたのだろうか。クオルの言葉に嘘はないと思うけれど、不思議だ。
それに、子供一人が平気でお使いをできるほどにこの町は落ち着いていて、レジスタンスが隠れている風には見えない。謎だらけだった。
そんなことを延々と考えていると、クオルは不意に、その幼い声に悲哀をにじませた。
「あのね、今は落ち着いているけど、少し前までは怖い兵士さんがいっぱいいたんだよ。お父さんとお母さんはレジスタンス狩りだって言ってた。ロイズさんを捕まえて、ザントウを探してたんだって」
どきりと胸が鳴る。それから、体が冷えて行くような感覚を覚えたのは、昔の記憶のせいだ。
「ボクたちはなんとか隠れてやり過ごしたけど、すごく怖かったよ。家も荒らされて、ひどかった。ボクたちはこの国が好きで、守りたいだけなのに……」
レジスタンス狩りの悲惨さを、レヴィシアは身を持って知っている。
父がレジスタンス活動を始め、レヴィシアがその渦中にあったのは、クオルよりは大きかったけれど、まだまだ子供の時だった。荒々しく徘徊を続ける兵士から隠れるため、物陰で息を殺して震えるしかなかったあの頃を思い出す。
逃げ隠れる日々にたえられなくなった仲間が、半狂乱になってわめき、それを子供ながらに諌めようとした時、お前に何がわかる、と殴られた。
レジスタンス活動を始めた時に掲げた志も、恐怖の前では歪んでしまう。
そんな現実を垣間見て、それが直接的な身の危険よりもずっと恐ろしかった。
組織を立ち上げた時に最も危惧したことでもある。
あのえぐられるような痛みを、この子も味わったのかと思うと、無性に苦しくなった。昔の自分を重ねてしまう。ただ、あの時の自分よりも、クオルはまだ幼い。もっともっとつらかったはずだ。
レヴィシアはその赤い髪をそっと撫で、労わりを込めてささやいた。
「がんばったね。クオルは偉いよ」
その一言に、クオルは輝くように笑うと、歩きながらレヴィシアに抱き付いた。
「レヴィシアちゃんって、優しいね。ボク、そういう人、大好きだよ」
無邪気なその様子に、レヴィシアはかわいい弟ができたようで嬉しかった。
そんなやり取りをしながら路地を折れる。
すると、そこは一転して薄暗かった。それでも、その路地に立つ人物がまっすぐにこっちを見据えていることに気付いた。
路地を塞ぐようにして仁王立ちしている青年は、二十代後半くらいだろう。クオルよりも更に鮮やかな赤毛をしていた。中肉中背で、全体的に厳ついわけではないけれど、腕だけが太くがっしりとしていた。
それもそのはずで、軽装ではあるものの腰に帯剣していた。つばの部分に透かしの施された、やや幅広の立派な剣だった。ただ、彼は一見したところ、兵士ではない。民間の自警団でもなく、もっと型に囚われないもの。
「傭兵……」
思わず、その言葉がこぼれる。
金銭で雇われ、働く戦士。
レヴィシアは、志を持たない彼らに偏見があった。嫌うだけの理由がある。
金で雇われた彼らが、どれだけ父の邪魔をしたことか。
レヴィシアはクオルを庇うようにして立つ。けれど、傭兵らしきの男の視線はクオルに向かっていた。怒気すら感じられる。
「やっと見付けた。観念しろ」
クオルは小さくうめいて後ずさった。
「た、助けて」
レジスタンス狩り。
さっきまで話していた内容が頭をよぎった。
レジスタンス活動家は賞金首で、突き出せば報酬が得られるからこそ、兵士はもとより、傭兵連中にも狙われる。彼らは間違いなく敵だった。
男が動く。
子供相手に剣は抜かないつもりなのか、両手はだらりと下がったままだった。それでも、レヴィシアはためらいなく、隠し持っていた短剣を引き抜いた。
今、この子を守れるのは自分だけだ。
向こうが剣を構える前に、レヴィシアは踏み込んだ。軽やかに跳躍し、側面から切り込む。
「わ!」
男は驚いていたが、頭よりも体が先に反応したかのように、その一撃をかわすと、レヴィシアの手首を捉えた。
「あっぶないなぁ。なんだぁ?」
レヴィシアは尚もひざで蹴りかかったが、それも簡単にあしらわれた。この男は、やはり戦い慣れている。レヴィシアでは相手にならないのかも知れない。
だからと言って、諦めるわけにはいかなかった。
「なんだじゃない! この子は捕まえさせたりしないんだから!」
「レヴィシアちゃん、ステキ……」
後方で、クオルが両手を頬に当ててつぶやいている。そののん気さに、男は激怒した。
「こら、クソガキ! 人様を巻き込むんじゃない! 一体何を吹き込んだんだ!」
「は?」
呆然とするレヴィシアの背中から、開き直ったクオルの声がする。
「別になんにも」
「なんにも言ってなかったら、なんでオレがいきなり斬り付けられるんだよ!」
「日頃の行いが悪いんじゃないの?」
振り向いてみると、クオルはついでに舌まで出している。男はイラッと目に見えて眉をつり上げた。
「お前だって十分悪いだろうが! さっきだって、アーリヒにあることないこと!」
「ボクは、お父さんがきれいなお姉さんの連絡先を訊いてたって言っただけだもん」
「あれは日雇いの配達の仕事だ!」
「でも、すっごく楽しそうだったよね?」
「お前は、いい加減にしろ!」
思わず、ため息がもれた。
ようするに、単なる親子げんかだ。今更だが、よく見たら似ていた。
レヴィシアは張り詰めていた神経が一気に緩んで脱力した。
「紛らわしいこと、しないでよ……」
がっくりとうな垂れる。
「ああ、えっと、オレはシェイン。うちのクソガキが迷惑をかけたみたいで、悪かったな」
ようやく、クオルの父親、シェインはレヴィシアの手を離した。レヴィシアが短剣をしまうと、クオルの父親の背後から、乾いた拍手の音がした。場違いで滑稽な音として、三人の耳に届いたけれど、当の本人はお構いなしだった。
「いや、君の人となりがよくわかって助かったよ。試すようなことをした点は謝るけれど」
陰から出て来てもまだ、その人物は闇に覆われているようだった。
黒い髪に黒い瞳、それに長めの黒い外套。やや小柄で、鴉のような印象を受ける。少年から、やっと青年になったばかりの人だった。歩くたび、長めの前髪が小刻みに揺れている。
「……あなたは?」
「リッジ=ノートン。初めまして、だね。レヴィシアさん」
彼はにっこりと微笑んだ。
「あなたが?」
思わずそう返してしまった。リッジは苦笑する。
「思っていたよりも若い? 君ほどじゃないんだけど」
リッジは、あのロイズの補佐というけれど、まだ十代にしか見えなかった。
「そうだけど……」
彼はレヴィシアに歩み寄る。穏やかな面持ちで目を伏せた。
「失礼な扱いだと思っただろうね。……それでも、試す必要があったんだ。ロイズさんが捕まって、仲間の半数近くが欠けたのは、恥ずかしい話、内部の裏切りなんだ。だから、どうしても慎重にならざるを得なくて……」
怒ってはいない。ルテアにも試された。
みんな、仲間が大事で、心配なのだ。怒ることではない。
だから、レヴィシアは笑って尋ねる。
「気にしないで。あたしは、合格できた?」
「ああ。これからよろしく」
外套の下から差し出された手を、レヴィシアはすかさずに取った。あたたかい手だった。
「うん。よろしくね」
事情をよく知らされていない親子は、顔を見合わせた。
リッジに関しては、いつものことなのだが。
クオルの言った残党狩りの様子は、リッジに仕込まれ、言わされているだけで、体験しておりません。
彼らは、もっとうまく逃げました(笑)。




