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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅳ

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〈14〉よりによって

 明るい午前の町中。

 男はふらりと迎賓館の門から離れた。いわゆる、門前払いだった。


 ただ、ネストリュート王子に目通りを願っただけだ。話を聴いてもらえたなら、自分に落ち度がなかったことを伝えられる。悪いのは、自分ではなく、あのニカルドというシェーブル軍人だ。

 あの方は、頭の固い連中とは違って、能力のある者を見極め、重用するという。

 だから、ひと目会いさえすれば、それでこの現状が変わるはずだった。

 無下に切り捨てられた自分だが、こんなことでつまずくわけには行かなかった。このままでは、母国に胸を張って帰れない。そう、強くこぶしを握り締めた――。


         ※※※   ※※※   ※※※



 レヴィシアとルテアは、とりあえず並んで歩く。歴史資料館に向かう予定ではあるが、その前にちらりとだけ迎賓館を見ておきたかった。それくらいなら構わないだろう。


 今日もレヴィシアは男装している。こうしてルテアと二人で並んで歩いていると、兄弟に見えた。ただ、声は高く、聞かれると不審に思われてしまうだろう。だから、レヴィシアは極力喋らなかった。うつむきがちに歩く姿は、傍目には内気な少年だ。


 ユイは少し距離を置いて後ろを歩いていた。

 確かに、距離を置いて付いて行く方が、二人の姿と周囲を確認しやすい。二人はサマルに教えられた道順をしっかりと進んでいた。


 けれど、曲がり角に差しかかり、何かをつぶやきながら前を見ずにやって来た男がいた。ルテアはとっさにレヴィシアの腕を引き、その男の進行方向からどかす。顔もはっきりと見えたわけではないのに、ユイは一瞬にして胸騒ぎを覚えた。多分、ルテアもそうだったのだろう。


 陰鬱なその男は、ぶつかりかけた二人を親の仇のような目でキッとにらむ。特に、兄に見えたルテアの方に苛烈な視線を向けたため、二人の目が合ったようだ。

 その刹那、男は怒気もあらわにルテアにつかみかかった。


「貴様!!」


 吠えるようなその声と同時に伸ばされた腕をかわし、ルテアは背後にレヴィシアを庇う。レヴィシアの姿を隠そうとしてのことだろう。そして、ルテアはレヴィシアの腕を再び取り、一気に駆け出した。


「振り向くな! 走るぞ!」

「え?」


 ユイにも、二人に向かって怒鳴り散らす男の声に覚えがあった。


「貴様らのせいで私は――!!」


 アスフォテ港から出航した船の上で、レヴィシアを人質に怒鳴り散らしていた、レイヤーナの軍服を着た男だ。確か、グレホスとかいった。

 あの時のような軍服姿でもない。落ち窪んだ眼と幽鬼のような暗さが、今の彼の現状のようだ。

 レヴィシアたちを取り逃がしたことで、なんらかの罰を与えられたのだろう。挫折など知らずに育ったのかも知れない。

 要するに、恨みを買っている。今、関わるには面倒な相手だった。


「よりによって、どうして今頃……っ」


 ユイは思わずもれた言葉を噛み殺す。二人を追いかけようとするグレホスを追うが、その時、レヴィシアの被っていた帽子が走った拍子に脱げ、その下から栗色の髪の束がこぼれ落ちた。


「そいつらはレジスタンスだ! 捕まえてくれ!!」


 グレホスの叫びに、周囲の女性と子供は逃げ惑い、悲鳴を上げ、往来は混乱を極めた。町人の男性は、逃げるレジスタンス構成員が少年少女であると知ると、グレホスよりも先になって二人を追いかけ始めた。それが七、八人にもなると、すでにことを荒立てずに済ませられない。

 ユイは二人を逃がすため、彼らに追いすがって素早くその足を払った。転ばされた男性は、前を走る人の背中をとっさにつかむ。追っ手たちは往来でもつれ合った。


 ただ、グレホスだけは腐っても元軍人で、それをかわして再び駆け出す。ユイも転がった面々を飛び越え、彼を追った。けれど、またすぐに他の人々がレヴィシアたちに向かう。彼らはグレホスとユイの間に割り込む形となった。

 焦燥感が募り、ユイは素人相手にしては手荒く彼らを妨害する。けれど、グレホスは、その隙に先へ進むのだった。




「ここ、大丈夫?」


 地理に不案内で、ただ逃げ惑う二人は、飲食店の裏口のような場所に出た。残飯が野良犬に食い荒らされて散乱している。その先に道はなかった。


「戻ろう」


 ルテアは短く言い、すぐに引き返そうとしたが、いくつかの足音が駆け回っていることに気付いたようだった。戻れば、捕まりに行くようなものだ。それでも、この路地に追っ手が迫って来るのも時間の問題だろう。

 追っ手の数はわからないし、この狭い路地では十分に戦えないかも知れない。けれど、時間を稼ぎさえすればユイが駆け付けてくれるだろう。

 ルテアは覚悟を決めたようで、強い眼をレヴィシアに向けた。


「レヴィシア、その木箱の陰に隠れてろ」

「でも!」

「いいから、早く!」


 戸惑うレヴィシアを積み上げられた木箱の方に押しやると、ルテアは服の下に隠してある槍のパーツに手を伸ばした。

 けれど、追っ手と思われた足音のうちのひとつは、意外な人物のものだった。ルテアは槍を組み立てていた手を止める。


「やっぱり、君らか……」


 レヴィシアは木箱の陰から顔を覗かせた。そこにいたのは、穏やかな顔立ちの青年だ。

 ついこの間まで、ユミラの屋敷の門番をしていた『彼』である。


「ハルト!」


 ハルトも慌てて駆けて来たらしく、息は上がっていたが、すぐに呼吸を落ち着けてルテアをレヴィシアの隣に押しやった。


「二人とも隠れて。なんとかするから」


 荒い足音が次第に近付き、ルテアはうなずくよりも先に身を隠す。間一髪で、あのレイヤーナ軍人――グレホスがやって来た。


「おい! こっちに子供が二人逃げ込まなかったか?」

「俺もレジスタンスが出たって言うから、協力しないとと思って来たんだ。でも、こっちにはいなかったよ。まあ、よく考えたら、こんな袋小路に逃げ込んだりしないよな」


 平然とそう答えるハルトとグレホスのやり取りを、二人は固唾を呑んで見守っていた。


「そうか……けれど、見かけたらすぐに私に知らせてくれ。間違っても、先に突き出したりしないように。これは、私が見付けた、私の功績だ!」


 ハルトは、了解と小さくつぶやいた。それで満足したのか、グレホスは違う筋を探しに走る。

 相変わらず、嫌なやつだ。それに、前よりもずっと余裕がなくてギスギスしている。格好も少しうらぶれた感じがした。


 その足音が遠ざかると、レヴィシアとルテアはおずおずと魚臭い木箱の陰から出て行った。

 ハルトは二人に向けて苦笑する。


「なんでこんなところにいるのか知らないけど、危ないな」

「ハルトこそ、なんでここに? ユミラ様、すっごく気にしてたよ。自分のせいでハルトがクビになったって」


 思わず言ったレヴィシアだったけれど、ハルトは困ったように眉尻を下げた。


「いや……俺が悪いんだ。ユミラ様のせいじゃないって伝えてくれないか?」


 レヴィシアはうなずく。けれど、ハルトが悪いとも思えなかった。


「伝えるけど、ハルトはこれからどうするの? ユミラ様には会わないの?」


 そっと、目を伏せてハルトはうなずいた。


「俺、家族のところに帰るんだ。だからもう、今回みたいに助けてあげることはできなくなる。ごめんな……」


 引き止めることのできない事情だ。待つ者がいるのなら帰るべきで、こればかりは仕方がない。


「ううん、ありがとう。ユミラ様にちゃんと伝えるから。……元気でね」


 その時のハルトの表情に、言いようのない悲哀があった。本当は、ちゃんとユミラに会って別れを告げたかったのだろう。


「さあ、長く話し込むと危険だ。そろそろ行った方がいい」


 レヴィシアとルテアは力強くうなずくと、周囲に気を配りながらその場を後にした。



 二人の背が消えた方をぼんやりと眺めていたハルトは、いつの間にやら背後を取られていたことに気が付かなかった。袋小路にあってこんな芸当をやってのける心当たりは、とりあえず彼女だ。猫のような悪戯っぽい彼女は、音もなくハルトにすり寄る。


「見ちゃった」


 明るく可愛らしい声で笑う。ふぅ、とハルトは嘆息した。


「忘れてくれ」

「いいわよ」


 あまりにあっさりと言われたので、逆にハルトの方が驚いた。


「だって、告げ口なんてしたら、あたしの方が立場悪くなるし。別に言いたくないわ」


 彼女らしい理由に、ハルトはほっと胸を撫で下ろす。


「助かるよ、リン」


 けれど、微笑み返した彼女の笑顔は悪巧みそのものだった。


「いいのよ。あなたは未来の弟だし」

「それは……知らないけど」


 ハルトは何か、とても疲れた。


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