〈4〉ひりひりと
「ユミラ様が参加するなんて、思いもしなかったよ。大丈夫かな?」
レヴィシアは帰り道の坂を下りながら、隣を歩くザルツを見上げた。ザルツは涼しい顔で正面を向いている。
「そういえば、護衛がいたな? 確か、ハルトとか――」
「護衛じゃないよ。門番だよ。今日はいなかったけど」
「まあ、彼かどうかはわからないが、何人かは付けるつもりだろうな」
考えてみれば、当たり前のことだった。
そんな会話を続けながら、宿に着く。この『白鹿亭』も、明日には引き払う予定なので、今日が最後だった。
数日間だったけれど、すでに思い出深い場所になっている。少し、寂しい気がしないでもない。
ザルツがレヴィシアをちらりと見遣ると、彼女は宿を前にして表情が硬くなった。そして、最後には表情が消え、いつもとはまるで違う面持ちになる。
普段、人の中心に在り、笑顔で接するレヴィシアが、こうなってしまう原因は、ひとつしかない。
ザルツはもう、何も言わなかった。言えば逆効果にしかならない。
ため息混じりにザルツが宿の扉を開けると、ロビーの壁にもたれていた少年が二人に気付いて駆け寄って来た。
明るい金色の無造作な髪は、襟足の部分だけ細い三つ編みにされており、それが中性的な顔立ちによく似合っている。まだまだ成長途中の少年だが、瞳はしっかりと意志を秘めていた。
「おかえり。あの当主相手だし、疲れただろ?」
少年――ルテア=バートレットは、レヴィシアに向かって、労わるようにそっと微笑んだ。
レヴィシアと彼は父親が親友同士だったという間柄で、今は共にレジスタンス活動をしている。
「あ、うん」
気遣わしげなルテアに、レヴィシアはおざなりな返答をした。それでも、ルテアは最近ようやく伸びてきた身長の先から、心配そうにレヴィシアを見下ろしている。
傍目には、ルテアが常にレヴィシアを気にかけ、想っていることがわかる。ただ、レヴィシアがそれをどう感じているのかはわからない。気付いていないのか、気付きたくないだけなのか。
そんなやり取りをしていると、階段を軽快に下りて来る音がした。レヴィシアの目の端に、艶やかな長い黒髪が飛び込んで来る。
「あ、お帰りなさい」
シュゼマリア=マルセット。通称シーゼ。
長身にすらりと長い四肢。女性らしい均整の取れた体付きが、細身のパンツとカットソーという簡素な服装の時ほどよくわかる。色香の漂う美貌に反し、内面は朗らかで、むしろ抜けていると言った方がよい。そんな親しみやすい女性だった。彼女は、組織に加入し立ての剣士である。
そして彼女が、レヴィシアの様子がおかしくなった原因だった。彼女自身のせいではないけれど。
レヴィシアはまた、さっと表情をなくす。その強張った顔を見て、ザルツはただ嘆息した。戦力は必要だが、レヴィシアがこの調子では、シーゼに加入してもらった意味がない。
ただ、脱退してもらう理由があまりにも馬鹿らしいので、ザルツは切り出したくなかった。
シーゼも、レヴィシアに避けられている自覚があり、それを改善しようと積極的に声をかけるのだが、今のところは逆効果である。
「ただいま……」
一応、押し殺した声で返事はする。けれど、目を合わせようとはしなかった。シーゼは残念そうに苦笑し、再びチャレンジしようとする。その時、宿の扉が開き、後ろから長身長髪の青年が顔を覗かせる。
ユイトル=フォード。
組織随一の強さを誇る、剣と弓の達人である。整った涼しい顔立ちに汗を浮かべていた。鍛錬でもしていたのだろう。
「ユイ!」
レヴィシアはようやく顔を輝かせ、彼の腕にしがみ付くようにしてそのまま引っ張った。
「ちょっとそこまで付き合ってよ」
「ん? ああ」
ユイはレヴィシアには逆らわない。彼女の望みを尊重し、付き従う。
それが彼なりの贖罪なのだが、レヴィシアの感情が恋心だとするなら、むごいものだと思う。二人が去った後の気まずい沈黙の中、ザルツは考えていた。
ユイの古い知り合いだというシーゼは、誰の目にも明らかなほどに深い関係だったと知れる。そんな彼女に、レヴィシアがよい感情を持てないのは仕方のないことだ。けれど、今はそれを言っている場合ではないことも理解してほしい。
それができないのは、レヴィシアがユイに抱く感情が、純粋な恋心ばかりではないからかも知れない。
憎しみもまた、執着の理由となる――。
「あら? レヴィシアは? ザルツがいるってことは、帰って来たんでしょ?」
と、この気まずい空気に風を吹き込んでくれたのは、プレナ=キートだった。
レヴィシアの姉のような存在で、彼女が最も気を許し、相談できる相手だろう。ショートカットがよく似合う、たおやかな女性だ。
ザルツはレヴィシアの行方を説明したくなかったので、ひとつため息をついた。ザルツと付き合いの長いプレナは、その様子だけで察する。
「……そう。気が済んだら戻って来るでしょ」
ザルツはシーゼに視線を向けた。シーゼは笑って、優しくうなずく。
シーゼがレヴィシアの態度を許してくれることに、ザルツは深く感謝した。普段はああじゃないとフォローすれば、わかってるよと答えてくれる。ただ、そんな優しい人だからこそ、申し訳なくもあった。
彼女は、腹立たしさや理不尽さより、せっかく仲良くなれたのに、それが残念だという気持ちの方が強いのだと言う。だから、改善したいと願ってくれる。
――それから、もう一人。
ザルツはルテアを見遣った。そこに表情はなかったけれど、考えていることはたくさんあるはずだ。
「お前も大変だな」
思わずそう声をかける。ルテアは微かに笑った。
「なんだよ、急に」
一回りも二回りも大きくなったように感じても、彼もまだレヴィシアと同じ年齢だ。不器用でもどかしい部分も多くある。
なんでもなく、ごまかしているつもりの笑顔のぎこちなさに、ザルツはかえって心配になるのだった。




