〈41〉いつかまた
隣室の様子が気になって仕方がなかったレヴィシアに、ザルツは座るように促す。
「うん? 何?」
気もそぞろなレヴィシアに、ザルツは厳しい口調で言った。
「いいから座れ。大事な話がある」
仕方なく、レヴィシアは腰を下ろした。すると、ザルツは眼鏡を光らせ、重々しい口調で切り出した。
「ユーリとリトラは、すでにここを離れた。次に会えるのはいつだかわからない」
「え?」
近く、別れが来るのはわかっていた。けれど、最後に挨拶もなく去るだろうか。ザルツの勘違いだと思いたかった。
「どうして? ちゃんとお別れもしないで行っちゃうなんてこと、ある? リトラはするかも知れないけど、ユーリは……」
すると、ザルツは手を組み、それからゆっくりとした口調で言った。まるで、自らの罪を懺悔するかのように。
「ルースケイヴ卿が殺害された。犯人はリッジで、そうなるように仕向けたのはユーリだ」
「!」
あの、ルースケイヴの人を見下すような視線を思い出す。好感など微塵も持っていなかったけれど、関わりを持った人が死んだと聞かされて、嬉しいはずがない。しかも、リッジが犯人だと。
「どうして……」
「そうすることで俺たちが動きやすくなるからだ。リッジを抑制し、クランクバルドに対する横槍を防げる。死者に対して申し訳ないが、このことは俺たちにとって利が大きい」
そう言われても、にわかには信じがたかった。
ユーリは微笑みながら、そんなことを考え、決断したという。あの笑顔と、冷徹さ。どちらが本当の彼女なのだろう。
ほんの少し、薄ら寒いものを感じてしまった。
「別れを告げずに行った理由はそれ?」
そんなレヴィシアの心情を読み取ったかのように、ザルツは言った。
「彼女は強いけれど、策士にしては心が優しすぎる。あれではいつか、心が付いて行けくなる」
そうして、ただ――と言葉を切った。
「彼女がどんなに弱音を吐かずに心を隠そうとしても、見守り続ける存在がいる限り、それが救いになると思いたいが――」
そうだといいな、とレヴィシアは思った。
「……また、会えるかな?」
すると、ザルツは眉間の強張りを解き、ゆっくりと表情を柔らかくした。
「ああ。俺たちが本懐を遂げた時、多分また会える」
「うん」
再び会えたその時に、お礼とお詫びを言おう。レヴィシアはその時を楽しみに待つことにした。
その気持ちは、この戦いを勝ち抜く意志を、更に強くしてくれた。
※※※ ※※※ ※※※
その日の夜のこと――。
ハルトはぼうっと、公爵邸の中庭のベンチに腰かけて月を眺めていた。今日の出来事も含め、頭を整理してみたかったのだ。
この頃は平穏な毎日だったので、目まぐるしい二日間に、自分は付いて行くのがやっとだった。
けれど、この国も捨てたものではないなと思った。ユミラのように優しい貴族がいて、レヴィシアたちのような連中がいて。
最初にこの屋敷に来た時、ユミラは父親のどす黒い感情と必死に戦っていた。何故、あんなにもあの父親は息子を疎んでいるのかが理解できなかった。
その理由は、案外簡単なことだった。
婿養子の彼は、先王の姉である当主の血を受け継いでいないからだ。それに引き換え、ユミラは祖母と亡き母親から、王族の血を受け継ぎ、王位継承権を持つ。生まれながらにして、ユミラは父を越える存在となってしまった。
日に日にそれを感じた父親も苦しかっただろう。もとはああいった人間ではなかったのかも知れない。次第に歪んで行ったのだとしても、仕方のないことだった。
ただ、それらはすべて、ユミラのせいではない。彼に避けることなどできない運命だ。
それでも、自分のことよりも必死にリュリュを守ろうとするユミラを、放っておけなかった。あの姿に思い起こされたものがある。
すべての流れに逆らい、彼が宿命から解き放たれる時を、ハルトは願わずにはいられなかった。その手段が、どんなことであったとしても、救いとなればいいと。
そんな、束の間のあたたかな気持ちは、次の瞬間には一気に冷え切る。夜気の中、鋭く通る声がハルトを射抜いた。
「――ハルトといいましたね」
心臓が飛び出しそうになったけれど、ハルトは慌てて振り返った。そこには、結わえてあった髪を解き、黒いショールで細い体を包んだ当主がいた。珍しく一人に見えるが、多分近くには誰かがいるのだろう。
直接声をかけられたことなどなく、あまりの驚きから、ハルトは言葉を忘れてベンチから飛び降り、ひざまずいた。すると、彼女の方から口を開く。
「このたびは、ユミラが世話をかけたようで、礼を言っておきましょう」
冷血女卿と陰で噂される当主からの、思いも寄らない言葉に、ハルトはただ目を白黒させていた。
「い、いえ、勿体ないお言葉で……恐縮です」
けれど、彼女の薄青い瞳は、夜気よりもハルトの体を凍て付かせる。
「ですが、あなたはもう、在るべき場所にお戻りなさい」
「え……」
言葉が続かなかった。頭が白く塗りつぶされ、だらしなく口を開いたまま、ハルトは呆然としてしまった。そんなハルトを、女卿は眉ひとつ動かさずに見遣る。
「二度は言いませんよ」
それだけを告げると、女卿はドレスの裾をひるがえしてハルトの視界から消えた。自分の気が変わらぬうちに去れと、そう言うのだろう。
ハルトは、ひざを地面に付いたまま、ぼうっと空を見上げた。そこには欠けた月が皓々とある。
「……まいったな」
別れを告げる暇もないのだろう。ユミラには悪いけれど、仕方がない。
ハルトは観念して立ち上がると、中庭を後にした。




