〈27〉やっと会えて
仕方がないとはいえ、こんなところに長くいたら、体が鈍って仕方がない。ルテアは早く外に出て思い切り暴れ回りたかった。
シーゼも退屈だろうが、こちらは落ち着いたもので、時折リュリュに歌を聞かせてあげたりしていた。リュリュも次第にシーゼに懐き、徐々に笑顔を見せるようになっている。よい傾向だと思った。
ただ、外の状態がまったくわからないというもの困ったものだ。進行状態がどうなのかわからなければ、心構えができない。常に構えていろということだろうか。
壁にもたれかかり、ルテアは目を閉じて考えた。
ヘイマンの他に確認できたのは、あの用心棒らしき男一人だ。あれくらいならすぐに叩ける。それでも迎えが遅いのには何か理由があるのだろう。
退屈だということは、抜け出す理由にしてはいけないのだろう。ここは我慢だ。
ルテアはぼんやりと天井を見上げる。
そんな時、階段を誰かが下りて来る音がした。足取りは重い。多分あの男だろう。シーゼとリュリュも体を強張らせていた。
そんな緊張の中、鍵をいじる音がして扉が開く。薄暗い室内から見た男の輪郭は、いつもよりも更に大きく感じられた。それに違和感を感じた瞬間、男は抱えていた何かを部屋の中に放り出した。
「っ!」
放り出された人物は、とっさに両手を付いて四つん這いになった。長い栗色の髪が床に付く。
「お仲間と、おとなしく待ってな」
無情にも扉は閉まる。新入りは勢いよく振り返って扉を見たけれど、すでに遅かった。
「今度はメイドさんかぁ」
シーゼはため息混じりに言った。
紺色のワンピースに白いエプロン。どこの屋敷のメイドかは知らないが、本当にヘイマンは見境がない。
そのメイドは、シーゼの声で初めてこちらに顔を向けた。暗がりの中でもわかるその顔立ちに、ルテアは思わず大声を上げそうになった。
「レ――っ!」
メイド姿のレヴィシアは、ルテアよりも冷静で、人差し指を口に当てた。ルテアはその場でへたり込みたくなるのを我慢して、レヴィシアのそばに行き、ひざを付く。
「なんて格好してるんだよ!」
「これ? ちょっとわけありで」
えへ、とごまかすように笑う。その仕草をかわいいと思った自分と、状況をわきまえていないレヴィシアに、ルテアは腹が立った。
「わけありって……お前は宿で待機だったはずだろ。ちゃんと説明しろよ」
そう言ったものの、本当は聞かなくてもわかる。黙って抜け出して来たのだろう。
何かあってからでは遅いのに、どうしていつもわかってくれないのか。
思わず口からこぼれる言葉を、ルテアは止められなかった。
「どうしてそう、勝手なことばっかりするんだよ! 今頃みんながどれだけ心配してるか、わかってるのかっ?」
レヴィシアは頭ごなしにルテアに叱られ、驚いたのか動きを止めてぼうっとしていた。
それでも、言い過ぎたとは思わない。ここで言わなければ、いつまでもわからないのだから。
けれど、ルテアがその続きをためらったのは、レヴィシアがうっすらと微笑んだからだった。そして、その瞳には涙がにじんでいた。うろたえたのはルテアの方だった。
「だ、だから、心配かけるなって言っただけで……その……」
「ごめん。なんかほっとしちゃって。うん、ルテアの無事な顔を見たら、後でみんなにちゃんと叱られようって覚悟して出て来たから。ルテア、大丈夫だった? けがとかしてない?」
もう、何も言えなくなってしまった。何もわかっていないくせに、そんなことを言うのは反則だと思う。
胸とか顔とかが熱くて仕方がなかった。こんな状況で嬉しいなんて、不謹慎だろう。だから、そんなことを考えてはいけない。けれど――。
思わず伸ばした手は、シーゼののん気な声に遮られた。
「若いっていいね~」
リュリュも興味深そうな、無垢に輝く瞳を向けている。ルテアはなんとなく手を引っ込めるしかなかった。ため息がもれる。
「……こいつはレヴィシア=カーマイン。レジスタンスの仲間だ」
レヴィシアはぺこりと頭を下げた。その時、シーゼは先ほどまでのおどけた雰囲気を消し、何故か真剣な眼差しでレヴィシアを見つめていた。
「あなたが……」
彼女がレジスタンスによい感情を持っていなかったことを失念していた。ルテアは少し困惑してしまう。けれど、レヴィシアはまっすぐな瞳でシーゼに言った。もう、涙は引いていた。
「はい。レジスタンス組織『フルムーン』のリーダーをしています」
その瞳の中に、シーゼは答えを見出したようだ。ほんの少し、微笑が戻る。
「そう。じゃあ、少し前にルイレイルの町の領主のところにいたのよね?」
レヴィシアとルテアは、一瞬心臓をつかまれたかのような心境になった。ルイレイル領主とのレヴィシアたちの繋がりを知る者はごく一部で、一介の傭兵が知り得る情報ではなかったはずだ。
「シーゼ、どうしてそんなことを知ってる?」
数日間一緒にいたはずの女性が、急に知らない人間のように思えて、ルテアはぞくりとした。けれど、シーゼはあっさりとその先を口にする。
「ルイレイルの領主……ああ、前のね。ルールド=ヴァンスターはわたしの父だから」
「え!」
二人はそれ以上の言葉を続けられなかった。
ルイレイルの前領主は、レジスタンス活動を支援してくれていた。善意からではなかったけれど、助けられていた。直接の面識はなくとも、世話になったのは事実だ。
なのに、彼が殺される原因となってしまった。有力な支援者である彼を殺害して、リッジは離反したのだ。これは、自分たちのせいでもある。
シーゼがレジスタンスによい印象を持っていないことなど、当たり前だった。
けれど、シーゼが二人に向ける表情は優しかった。
「ごめん、びっくりした? でも、わたしはお妾さんの子供だから、別に貴族のつもりもないし。父とは離れて暮らしてたから、正直に言って、思い入れもほとんどない……。ただ、経緯を聴く機会だから、一応聴いておこうかと思っただけ」
レヴィシアもルテアも父親を亡くしている。けれど、こんな風に淡々とその死を受け入れることはできなかった。それを思うと、シーゼのこの様子は、泣き叫ばれるのとはまた違った悲しさがあった。
「そうだったんですか。わかりました。正直にお話します」
「ありがとう」
レヴィシアが語る間、シーゼは目を閉じたり、小さく相槌を打ったりしていた。すべて語り終えた後も、彼女が涙をこぼすことはなかった。再び開かれた目には、鮮やかな光がある。
「――うん、なんだかすっきりした。なんて言ったら駄目よね。でも、そうなんだもん」
彼女なりに消化する方法が真実を知ることだったのだろう。
謝罪はずるくて言えなかった。言えば、許してくれただろうから。
「ほんとはね、あなたがどんな娘なのか、父の死に関わっているとしか知らされなかった時は、少しだけ許せなかったのかも知れない。でもね、こうして面と向かってみて、あなたを知ることができたから、ちゃんと気持ちに整理が付いたの。おかしな巡り会わせだけどね」
シーゼは腰かけていたベッドから立ち上がると、レヴィシアの前に手を差し出した。
「じゃあ、改めて。わたしはシュゼマリア=マルセット。気軽にシーゼって呼んでね」
優しくて、きれいで、それでいて強い心を持っている。大げさかも知れないけれど、レヴィシアはいつかこんな女性になりたいと思った。その手をそっと握り返す。
「ありがとう、シーゼ。ここから協力して抜け出そうね!」
それから、ようやくベッドの上でおろおろとしていた女の子に目を向ける。彼女がリュリュだろう。ユミラの心配がよくわかるくらい、おとなしそうな子だ。
レヴィシアはリュリュに微笑む。
「もちろん、リュリュちゃんもね。お兄ちゃんが待ってるよ」
ルテアとシーゼと、それからリュリュはその一言にただ驚いた。
「レヴィシア、お前……」




