〈23〉ご所望でしたら
レヴィシアは一人、客間に残されていた。レヴィシアがユミラの後に続こうとしたら、ルースケイヴが目で拒絶したのだ。ユミラは仕方なくレヴィシアに小さくうなずき、部屋を後にした。
けれど、ユミラは付き合いは短いものの、レヴィシアの性質を見抜いているようだった。頼むからおとなしくしていてくれという目をしていた。向こうでそわそわしているのではないかと思うくらいだ。
いくらレヴィシアでも、ユミラの立場を悪くするようなことはしない。じっとしているのは苦手だけれど、我慢する。
ただ、ユミラはやって来る者に対して制限をしなかった。
レヴィシアはノックされたドアをあっさりと開く。
ユミラにしては早すぎる。けれど、ルースケイヴなら、レヴィシアしかいないことを知っているのだから、まず来ない。多分、部屋の清掃に来たメイドだろうと思った。
ただ、扉の前に立っていた男は、レヴィシアの姿を見て瞠目していた。レヴィシアの方も危うく大声で叫ぶところだった。
「!!」
その口を、彼はとっさに大きな手で塞ぎ、レヴィシアを抱えるようにして部屋に押し込む。
「大声を出すな……って、お前は何してる? まさか、ユーリの指示じゃないだろ?」
リトラの手で顔半分を覆われ、耳まで真っ赤にしたレヴィシアは、息ができないことを必死で訴える。リトラはようやく手を離してくれたと思ったら、その手が肩に回った。逃げられないように捕まえられている。
「で?」
「……黙って出て来たから、ユーリは関係ない。リトラこそ、なんでここにいるの?」
恨めしげに見遣ると、小憎らしい、人をくった表情がそこにあった。
「俺は頼まれたことをしてるだけだ。忘れたのか?」
リトラの役目は調査官を装って、協力者となり得る貴族を探すこと。すっかり忘れていた。
そして、レヴィシアの顔から血の気が引いて行く。
「も、もしかして、ザルツも来てる?」
「ああ。俺の補佐官役だしな」
ここで見付かったら、こっぴどい説教の後、強制送還だ。それは困る。
「リトラ! ここであたしに会ったことは、ザルツには内緒にして!」
けれど、リトラはさめた目をしてレヴィシアを見下す。
「俺は、お前らの事情に好きで関わってるわけじゃない。お前のせいで事態がややこしくなって、計画が破綻したらどうする? 俺はそこまで付き合うつもりはない。後始末が自分でできるなら、好きにしろ」
突き放した物言い。けれど、レヴィシアは引けなかった。
「迷惑をかけてるのはわかってる。馬鹿だと思う。でも、大事な友達が危険な目に遭ってる……そう思うだけで怖い。なんでもなく出かけたまま、二度と会えなかった人がいるから……」
情にほだされるようなタイプではない。そう思っていた。けれど、本当は少しだけ違ったのかも知れない。ほんの少し、手の力が緩んだ。リトラは深々と嘆息する。
「お前が抜け出したことは報告を受けてたから、もう知ってるぞ。それでも、ここにいたってことは、今だけはやつに黙っててやる。だから、どういう経緯でここに至ったか、説明しろ」
それが最大の譲歩なのだろう。ここで騒いでも不利になるだけだ。贅沢を言ってはいけない。
「うん、ありがとう。実は――」
レヴィシアは、誘拐犯の拠点がクランクバルド邸だと勘違いして入り込んだと手短に話した。話しながら、今度はこちらの疑問をぶつける。
「……ところで、リトラはなんでこの部屋に?」
そういえば、ユミラは客人に会いに行ったのだ。つまり、リトラがここにいるということは、相手をしているのはザルツということになる。お互い、腹の探り合いをしているのだろう。
「メイドに誰が来たのか尋ねたら、クランクバルドの息子だって言うからな。一応、会うだけ会っておこうかと。親父は最悪だったけどな」
「あ、わかる、それ」
確かに、最悪だった。
「ユミラ様は父親とは似ても似つかないよ。すごく優しくて、貴族っぽくないかな。レジスタンスのことはまだ話してないんだけど――」
そこで、レヴィシアの言葉は遮られた。
「何をしているんですか!」
常に優雅に歩くユミラが、荒々しい足取りで駆け寄って来た。そういえば、扉を閉めていなかった。
「ユ、ユミラ様……」
ひそひそと小声でささやくリトラの姿は、メイドにちょっかいを出しているようにしか見えなかったのだろう。リトラは一瞬、平素の険しい表情を作りかけたが、相手が知れたのでそれを引っ込める。そして、その代わりに人をくったような笑顔を作った。
「何か問題でも?」
味方だけど、すっごい腹が立つ態度だなぁ、とレヴィシアはひそかに思ってしまった。何も知らないユミラは、もちろん顔をしかめた。
「当家の者に悪戯はご勘弁頂きたい」
ユミラはレヴィシアの腕を引き、自分の背に庇った。この際だ。ユミラに説明してしまおうかと考えたその矢先に、ルースケイヴがやって来たので、そういうわけにも行かなくなった。
「おや、どうかなさいましたか?」
少しユミラの表情が強張っている。緊迫した空気の中、笑顔を浮かべてやって来た。
クランクバルドとレイヤーナの調査官が険悪になってくれたなら、願ったり叶ったりなのだろうか。
「いえ、特には……」
ユミラはレヴィシアを背後に庇ったまま、失礼しますと短く断って部屋にこもった。
取り残されたリトラは、ルースケイヴがいつから様子を窺っていたのかを考え、内心で舌打ちしていた。けれど、ルースケイヴは微笑を絶やさずにリトラに視線を向けた。
「残念ですが、仕方がない」
せめて、言い寄って失敗したという風に取られたらいい。ルースケイヴは表面上は合わせて来るかと思えば、一瞬にして真剣な表情に切り替わる。そして、リトラの耳元でささやいた。
「あの娘をご所望ですか?」
「ん?」
耳にまとわり付く声に、リトラは眉根を寄せ、それからルースケイヴに顔を向けた。ルースケイヴは暗い目をして笑っていた。それは、ハイエナのような輝きだった。
「あれはクランクバルド家の者のようですが?」
「そうですが、その辺りはいかようにもできます。もし、あなたが望まれるのでしたら、数日中にはなんとかしましょう」
その代わりに何を要求するのだろうか。
レイヤーナがこの国を支配下に置いた時、便宜を図れと。
この男は、今まで相対した貴族連中の中で、最も野心が強い。クランクバルドよりもだ。ある意味、最も貴族らしいと言える。
リトラは不適に笑ってみせた。
「では、そのように」
レヴィシアにはああ言ったものの、風向きが変わった。
ここで断ったとしても、監禁されて切り札として使われるかも知れない。
この男に目を付けられた以上、ろくなことにはならないだろう。下手に捕まって正体がばれる前に、こっちに寄越してもらった方がましだ。
それに、どのようにして見返りを求めて来るのかにも興味があった。
リトラはルースケイヴの返事を待たずに背を向けた。その背に向かい、彼がどのような視線を投げかけているのかは、想像に難くない。
ここへ来て、明らかになったことといえば、あの父親の方のクランクバルド程度の男では、このルースケイヴを抑えておくことはできないということ。いくら身分が上であろうともだ。
ユミラに家督を譲る前に、取って代わられる。リトラはそれを確信していた。




