〈22〉貴族の少年
ザルツは広く落ち着かないルースケイヴ邸の室内で、一人考え事をしていた。
少しリーダーの自覚が出てきたと思えば、すぐにこれだ。ザルツは、サマルから受けた報告の内容に頭を悩ませている。
けれどここは、ユイが上手く探し出して連れ戻してくれると信じるしかない。今はこちらに集中しなければ、と無理やり違うことを考えた。
メンテナール邸ほどのけばけばしさはないけれど、やはり館というのは主人の人柄を映す。居心地が悪いのは、ルースケイヴの人となりが油断ならないからだろう。
リトラはまた、屋敷の中をうろついている。
あの男はそうしてメイドたちからも情報を得るのだった。感謝こそしても、文句を言う筋合いはない。なのに、なんとなくすっきりとしないのは、手段が手段だからだろうか。
そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされた。リトラではない。
「少々よろしいでしょうか?」
ルースケイヴだ。ザルツは自ら歩み寄って扉を開く。彼はにこりと微笑んでいた。
「当家のお客人が、あなた方にお会いしたいと仰るのですが、よろしいでしょうか?」
「お客人ですか? ルースケイヴ卿ほどの方のお客人でしたら、相当なご身分の方で?」
「ええ。クランクバルド家のご令息です。あの奥方は後添いで、前妻との間のお子ですが」
思いも寄らなかった答えに、ザルツは一瞬目を丸くしてしまった。
「それはまた……」
あの愚物の息子だ。けれど、会ってみて何かしらの収穫はあるかも知れない。
ただ、このルースケイヴがクランクバルドの子息に、レイヤーナの調査官だと思っている自分たちを会わせる意図がわからなかった。望まずとも、何か向こうからの働きかけがあったのか。
ルースケイヴはゆったりとした動きでうなずいた。
「彼は、とても利発な少年です。一挙手一投足、些細なことから見抜かれてしまうことも多いのですよ。ですから、もしもあなた様方に知られたくないことがおありでしたら、十分にお気を付け下さい」
ふざけているような、少しおどけた口調だった。けれど、ルースケイヴは、レイヤーナから来たのだと隠しておきたいのなら気を付けろと言うのだろう。どうせ、二人の会話はルースケイヴに筒抜けになる。なんとなくそう思った。
「それは、先が楽しみな方ですね。生憎、連れは歩き回っていて……多分、花を愛でに行ったのだと思いますが。私だけでもよろしければ、ぜひ」
花を愛でに。ようするに、花とは女性、つまりメイドである。実際は、口説いているのではなく、情報収集をしているのだが。
ただ、すぐには戻ってこないと判断したのか、ルースケイヴは破願した。
「そうでしたか。マリアージュ殿は粋人のご様子ですから、お邪魔をしては申し訳ない。では、ナーサス殿、これからお連れいたします」
そうして、貴族然としたリボンの似合う少年がやって来た。
「ユミラ=フォン=クランクバルドと申します。どうぞ、お見知りおき下さい」
クランクバルド。
あの不健康にくすんだ顔色と、眼前の清廉な少年を思わず比べた。後十年、二十年も経てば、この少年もああなってしまうのか。それとも、父親とは比べるべくもない明主となるのだろうか。
いずれにせよ、若すぎることが残念だと思った。
「ザルツ=ナーサスと申します。お目にかかれて光栄です」
ルースケイヴはあっさりと去ったが、多分、メイド辺りが命じられて聞き耳を立てているだろう。ここは慎重にならなければならない。
だから、お互いが対面するソファーに腰かけながらも、ザルツは緊張を解かなかった。ユミラもどことなく、探るような口調だった。
「あなたは旅の方だとお聞きしたのですが、お国はどちらですか?」
あまりに直球だったので、ザルツは苦笑した。
「私はこの国の者ですよ。連れがそうだというだけです。私は彼の案内人に過ぎません。彼がどこからやって来たのか、それは私の口からは申し上げられない決まりなのです。どうか、ご了承下さい」
ユミラは初手を挫かれ、少し焦りを見せていた。これは、本来の彼の姿ではないように思う。
「そうなのですか……。では、ルースケイヴ卿とはどのようにお知り合いになったのですか?」
会話というよりも尋問のようだ。何故か彼は気が急いている。早く切り上げなければならない何かがあるのだろうか。ザルツは微笑を絶やさずに言った。
「そう矢継ぎ早にお尋ねになられては、返答に困ります。確かに、このようなお屋敷は、私共のような者には場違いです。怪しまれるのも当然かとは思いますが」
すると、ユミラは指摘されたことを恥じたように頬を染めた。
「申し訳ありません。そのようなつもりでは……」
その素直さにザルツは好感を持った。貴族というにはあまりにも優しい。
「何か、私に尋ねたいことがおありになるようですが、率直に尋ねるのははばかられるような内容なのでしょうか?」
ザルツは立ち上がり、机の上からペンと紙を取り、無言でユミラに差し出した。ルースケイヴが利発だと認めただけあり、ユミラはその意味をすぐに理解する。
「いえ、旅の方ならば諸島の情勢を詳しく知っておられるのではないかと。そういったお話をお聞きしたいと思っていたのですが、好奇心から気が逸り、質問も定まらないままに口を開いてしまっただけなのです。申し訳ありません」
ユミラは急に張りのある声になり、高らかにそう言った。まるで外の誰かに聞かせるように。
そして、ペン先を滑らせる。
“リュリュという、小さな女の子を捜しています
攫われたのかも知れません
この屋敷にそういった子供が閉じ込められている可能性はありませんか?
何かご存知でしたら、どうか教えて下さい”




