〈8〉おかえり
ルテアたち『イーグル』のアジトがあるトイナックの町は、もともと多くの織物工房があり、産業の町としてそれなりの賑わいを見せていた。けれど、交通の不便さがあり、次第に他の土地に工房ができ始めると、衰退する一方だった。工房も閉鎖や移転が相次ぎ、住民や織り手も移り住んで、今ではすっかり閑古鳥が鳴いてしまっている。
普段、ルテアたちは助けを求める声に従い行動し、時折ここに戻る程度だったのだという。連絡上の都合で本拠地を設けただけで、じっとしていることは少なかったようだ。
ここは、隠れるには打ってつけの場所と言えるだろう。
昔ながらの古く飾り気のない石壁の建物が並び、活気がないせいか、山が近いせいか、少し薄暗い印象を受ける。無駄に余った空き地だけが広がっている場所も多かった。
そんな中の寂れた廃工場のひとつがアジトなのだという。
人通りはあまりないが、それでも集団でいると目立つので、彼女たちは念のために散り散りになってその場所へ向かった。
レヴィシア、ユイ、ザルツ、プレナはルテアが案内する。
工場というだけあって、石造りの大きな建物だが、人の手が入らなくなって久しいとすぐにわかる。ズタズタのトタンもさびた扉の取っ手も、全体的にひどい有様だ。それも、敷地の中は雑草がひどくて、レヴィシアの腰の位置を越えるような伸び具合だった。手入れをしないのは、その方が不審に思われずにいられるからなのだろう。草をかき分けて中に入る時も、草に踏み跡を付けすぎるなと言われた。
ルテアは横に回り込み、さび付いた重々しい扉の前に立つと、それを叩いた。
それは、独特のリズムだった。その叩き方が合言葉の代わりなのだろう。
閂の外される音がして、扉が開かれた。
「入れよ」
そう、ルテアが四人を振り返って促す。
「ここ、経営者が夜逃げして潰れたままだから、使わせてもらってるんだ。まあ、ほこりまみれだけど、細かいこと言うなよ」
「うん」
レヴィシアはうなずくと、先頭になって足を踏み入れた。全員が中へ入り切ると、内側から閂を開けた青年がまた元通りに戻しながら言った。
「おかえり、ルテア。いきなり飛び出すなよな。みんな心配してたんだからな」
はは、とルテアは苦笑する。
「悪い。けど、もうラナンに叱られたから、勘弁してくれよ」
「ああ、ラナンさんも大変だよな」
「なんだよ、ラナンの味方かよ」
「少なくとも、今回のことはルテアが悪いし」
ケラケラと、青年はルテアの頭を撫でる。ルテアは子供扱いされてふくれると、その手を振り払った。そんなそばから、他のメンバーがやって来て、またルテアの頭を撫でる。ルテアは機嫌が悪くなって一人で怒っていたが、周囲のメンバーたちは笑っていた。
薄暗いこの場所の空気が変わる。
ルテアは、みんなからとてもかわいがられているようだった。
そうこうしているうちに、ラナンが残りの人員を連れて帰って来る。彼は全員がそろったのを確認すると、作業台の上のほこりを払ってそこに腰を下ろした。
「ええと、ザルツってのはあんただよな?」
ラナンは興味深そうな視線をザルツに向けた。ザルツはただうなずく。
「はい」
すると、ラナンは急ににやりと笑った。
「武器強奪の全貌はさっき聴かせてもらったよ。それ自体は成功したわけだし、いいんだけど、少し甘いんじゃないのか?」
「甘い……ですか?」
ザルツは珍しくきょとんとした顔をした。あの惨状を甘いと言う、彼がわからなかった。
そんな彼に、ラナンはうなずく。
「目撃者を逃がしたんだろ。それが後の禍根になるかも知れないのに。……兵士ならともかく、民間人に手は出せなかったか?」
何も言い返せなかったザルツに、ラナンは微笑む。
「責めてるんじゃないんだ。俺たちはそういう甘さが結構好きで、それで滅ぶなら上等だってやつらばかりだからな。最後まで付き合うよ」
ザルツは、ラナンの言葉を噛み締めるようにして頭を下げた。
「ありがとうございます」
それから、とラナンは続けた。
「あんたからの頼みも順調にことが運んでるからな」
その一言に、今度はレヴィシアが驚いてザルツを見た。
「頼み? ザルツ、何を頼んだの?」
それに対し、ルテアが首をかしげた。
「なんだ、聞いてないのか? 最近拘束された、ロイズ=パスティークの組織『ゼピュロス』に、今後の合併を見据えて繋ぎを付けてほしいってやつだろ」
プレナとユイは知っていたのか、あまり驚いていない。レヴィシアは呆然としてしまった。
ひとつのことが終わり、すぐに次だ。段々と話が大きくなる。
もう、立ち止まることはできないのだと、今更ながらに思った。
自分は、その先頭に立たなければならないのだから。
「成功するかわからなかったし、はっきりしてから言おうと思って」
そう、ザルツは言うけれど、本当のことはすぐにわかった。
どんなに急だろうと、どこと合併しようと、誰が相手でも、揺るがない信念を示せと。
「……そう。わかったよ」
そう言うしかなかった。どんなに不安だろうと。
そして、ラナンは周囲をきょろきょろと見回す。
「ジェイドは、まだ帰ってないか?」
「町の中にはいますから、そのうちに戻りますよ」
誰かがそう答えた。
「ジェイド?」
レヴィシアが尋ねる。
「ああ、うちの諜報員だ。一見そう見えないけど、なかなか有能だ。今後も役に立つだろうよ」
その言葉に、レヴィシアはプレナに向き直った。
「じゃあ、プレナと同じだね」
プレナはそんな無邪気なレヴィシアに、すぐに言葉を返せなかった。
「あ、うん、そう……ね」
有能な諜報員。
その一言が胸に突き刺さる。
リーダーとして人望を集めるレヴィシア、参謀のザルツ、武術に秀でたユイ。
この三人と肩を並べるには、自分は無力すぎると、プレナはずっと感じていた。
唯一手伝えた情報収集も、もっと鮮やかにこなせる人物が加わるのなら、いよいよ役に立てなくなる。
置いて行かれたくない。そんな危機感が募り、プレナは自分のスカートを握り締めていた。
そして、さっきのルテアと同じ軽快なノックの音が、静かな倉庫の中に響く。
「来たな」
ラナンが直々に閂を外しに向かう。開いた扉の隙間から、滑り込むように入って来た青年がジェイドらしい。
健康的な浅黒い肌がちらりと見えたが、ラナンの陰になってよく見えない。
「手配したぞ。明日の早朝でいいんだろ?」
「ああ。ろくに説明もしないで、あちこち走らせて悪かったな。何せ、時間がなくてな」
「いいって。その新生の組織と組むんだろ? これからもっと忙しくなるんだろうし」
そう言って、ジェイドは初めて来訪者たちの方に顔を向けた。その垂れ目が一瞬、動きを止める。
レヴィシアとジェイドは顔を合わせた途端、お互いを指差して叫んだ。
「あー!」
「うわー!」
ジェイドは引きつった口もとでつぶやく。
「お前……レ……」
「サマル!」
レヴィシアが思い切り叫ぶと、彼はおたおたと狼狽した。
「な、なんのことだよ? 俺はジェイドっていって……。初めましてだろ? な、レヴィシアさん!」
「何言ってんのよ! サマル! サマル=キート!! 行方知れずだって聞いてたのに、こんなところにいたなんて!」
「ち、違う! 俺はそんな名前じゃない!」
そのうろたえ方が事実だと語っている。
ルテアはびっくりした様子で二人を見比べた。
「ふぅん。本名はサマルっていうんだ? でも、お前らが知り合いだったなんてな」
「知られたくなかったみたいだけど。時間がなさ過ぎて、合併組織のリーダーの名前も教えてなかったなんて、うっかりしてたな。『ゼピュロス』にも書簡を渡すだけだし、知らなくても支障がなかったし」
ラナンはそう苦笑する。それから――。
「ま、恨むなら、お前に事情の説明をする暇も与えてくれなかった、この兄さんを恨め」
そう言って、ラナンが親指で差した相手に、素直に恨みがましい目を向けたジェイドことサマルは、更に固まってしまった。
「ザ……っ」
呼びそうになってしまって、慌てて口をつぐむ。ザルツはあきれた。
「いい加減にしないと、プレナが怒るぞ」
その一言で、サマルの態度は急変した。
「それは困る! プレナには内緒にしてくれ!」
けれど、そう言った途端、ザルツの陰からそのプレナが顔を覗かせた。心なし、その場の室温が下がったような気がした。
「プ、プレナ……」
「どちらさまでしたっけ?」
笑っているけれど、笑っていない。
レヴィシアとザルツは嘆息した。
「ご、ごめんな。怒ってるよな?」
困惑しながら謝ったサマルに、プレナは普段からは想像もできないようなきつい視線を向けた。
「当たり前でしょう! 今まで連絡ひとつよこさずに、私がどういう心境だったかわかるの? ここで鉢合わせなかったら、まだまだ連絡するつもりもなかったんでしょ! 兄さんなんて、もう知らないから!」
目に見えてショックを受けているサマルは、それでも必死で弁解を試みる。幼なじみ二人は、助けてくれる気配がなかった。
「いや、だって、俺、このまま国が荒れていくのは我慢できなくて……。でも、プレナを巻き込みたくなかったから、連絡も取れなかったんだ」
語尾がしぼんで、少し哀れだった。
でも、とルテアがぽつりとつぶやく。
「そのプレナだって、今はレヴィシアたちと一緒にレジスタンス活動してるんだろ? それって、意味なくないか?」
途端に、サマルは垂れ目を最大につり上げてザルツをにらんだ。そのまま駆け寄ると、急にその胸倉をつかむ。
「ザルツ! お前が付いてて、なんで!!」
ザルツは何も言わず、表情さえも浮かべていない。
普段は明るいジェイドことサマルの形相に、『イーグル』の面々が驚いた。止めるのも忘れ、ただ唖然としてしまっている。
けれど、プレナはそんなサマルの足をかかとで踏み付け、その手をザルツから引き離した。
「兄さんがザルツにそんなことを言う資格なんかないのよ!」
「プレナぁ……」
泣き出しそうだったサマルに、レヴィシアはいい加減にしてほしいと思った。ため息をひとつつき、仕方がないので割って入る。
「サマル、心配かけてごめんと思うなら、もうどこかに行ったりしないでしょ?」
「え……あ、うん」
「じゃあ、帰って来たら、まずなんて言うの?」
ああ、とサマルはつぶやくと、ひとつ深呼吸をして、プレナとザルツを見やり、それから言った。
「……ただいま」
まだまだ言い足りないこともあっただろうが、プレナは仕方なく怒りを飲み込む。
「おかえり――」




