12話 専属メイドのいる日常
鼻孔をくすぐる良い匂いで、私の意識は覚醒し始めた。
何の匂いだろうと気になってゆっくりと目を開けると……、
ーーー眼前にエレーナの顔があった。
なぜ私とエレーナがベッドを共にしているのかという疑問が浮かぶ前に、私はあまりの驚きでベッドから転がり落ちた。
その音でエレーナが目を覚ます。
「どうしたのですか、ソフィ様?
今日は随分と早起きですね。
起床時間まで、まだ時間はありますよ?
もう少し寝ません?
勿論、わたくしと一緒に♡」
そう言ってにこやかな笑みを浮かべて手招きするエレーナ。
え?
待って。
本当に何が起きてるの?
「エ、エレーナ?
一つ訊きたいことがあるんだけど、なんで私のベッドに入ってるの?」
「そんなの決まってるじゃないですか?
朝のおはようから夜のおやすみまで、一緒に居るためです♡
欲を包み隠さずに言えば、一日の始まりをソフィ様の香りを堪能するところから始めて、一日の終わりもソフィ様の香りを堪能しながら終わらせるためです♡
わたくしは正式に貴女様の専属メイドになりました。
なら、許されるでしょう?
わたくしのこの感情も!!」
「許されないよ!!
普通に怖いって!!」
エレーナをあの洞窟から引っ張り出して来てから数週間が経過し、新年目前となった。
この世界で使われている暦、通称『賢暦』は地球とほぼ同じため、混乱することはあまりない。
しかし、この大陸には四季がないため、十二月下旬だというのに雪が降らなければ、燦々と太陽の熱が照り付けるわけでもない。
たまに雨が降るくらいなので、本当に感覚がバグる。
そんな十二月、私たちヴィクトリア家に新たなメイドがやって来た。
そう、エレーナ・ダグラスである。
ギルバートムの隠し部屋での作戦会議の後、エレーナをどうするかという課題に直面した私たちは、ナナが最初に用意していた『メイドとして雇わせる』という案を元に色々と改良を重ね、『エレーナをソフィアリスの専属メイドにする』ということになった。
こうすれば、私とエレーナが常に一緒に行動していようが、不審な目で見られることはない。
早速、私はアンドリュシエルとアデリアに、『森の中で倒れてました。三日も何も食べてないんだそうです。可哀想ですから、ここで働かせてあげてください。』と嘘を吐き、直談判した。
盲目であることに加え、エレーナの正体を知らないアンドリュシエルたちは彼女を一般階級の人間だと勘違いしたため、勿論答えは『NO』だったが、メイド長であるナナが『OK』を出したことで、結果的にエレーナはこの城にメイドとして働くことになった。
そして、アンドリュシエルが「連れて来たのはソフィだから、ソフィの専属メイドとして働きなさい。」と言ったため、厄介者を押し付けられるような形ではあったものの、偶然にもエレーナは私の専属メイドとなった。
私はベッドに戻りながら、エレーナに問いかける。
「それにしても大丈夫?
他のメイドたちに散々酷いことをされてるみたいだけど。」
「大丈夫ですよ。
わたくしはこうしてーーー」
エレーナがそのしなやかな腕で私の体を優しく抱きしめる。
「ソフィ様のお側に居られるだけで、どんな傷も痛みも全回復しますので。
それに、わたくしに害を与えるメイドを見つけたら、ソフィ様は必ず注意してくださるじゃないですか?
わたくしは、それだけで十分幸せ者です。」
「・・・。」
この国にいるメイドのほとんどは、良いところのお嬢様である。
信じられない話ではあるが、「花嫁修業のため」と聞いて納得した。
メイドとして他の家で働き、家事や育児について学ぶそうだ。
勿論、この城にいるメイドもエレーナを除けば全員上級階級である。
貴族のお嬢様から遠い親戚 (王族)まで幅広く、花嫁修業をしに来ている。
当然だが、城に雇われるくらいなので全員エリート。
そのため、一般階級 (勘違い)であるにも関わらず、私に偶然拾われただけで苦労もせずに城のメイドになったエレーナに嫉妬し、彼女の美しさも相まって、強く当たってしまうメイドはかなり多い。
まあ、彼女は魔法至上主義時代の生き残りであるため、メイドらによるいじめには何のダメージも受けていない。
逆に、城から支給されたメイド服をゴミ箱に捨てられた際には、「ここまでしないと自分のプライドを保てないなんて、可哀想な人たちですね。」と、平気そうな顔で私に愚痴っていた。
そんな状況なので、私はエレーナからの鉄の塊を押し付けられるような重く深い愛情表現を、拒むことが出来ずにいる。
ここ数週間で、私もだいぶ籠絡されてしまった。
なぜこんなにも重い愛を向けられているのかも分からないままに……。
「みんな馬鹿だよね。
いじめてるのがかの英雄王の右腕だって知らずにさ。
知ったら、一体どんな反応するんだろう?」
「それが気になるからいじめられ続けている節は、ちょっとありますね。」
「え?
嘘でしょ?
流石に心強過ぎない?
もしかして、ダイヤモンドか何かで出来てる?」
「ダイヤモンド、良い例えですね。
ならソフィ様は、わたくしのダイヤモンドを溶かしたお人ということになりますね♡」
「なんでそっち方向に話を持ってくの?!
じゃあ良い加減話してよ。
私に重い愛を向ける理由。」
「え~?
恥ずかしいので嫌です。
ソフィ様はわたくしに、良いように愛されていてください♡」
「待って!!
これ以上強く抱きしめないで!!
胸で息出来ない……!!
死ぬ……!!」
私はエレーナの胸に溺れ、まるで気絶するように再び眠りについた。
結局今日までエレーナが私に愛を抱いた理由は分からないでいる。
エレーナが私の家臣になったのは、レフィーリアの命令を受けたから。
そこに愛を抱く理由は存在しない。
もしかすると今後も知ることはないのかもしれない。
まあ、いいか。
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「いきますよ、ソフィ様。」
「うん、来て。」
私の合図で、エレーナがコルセットの紐を強く引っ張る。
するとギチギチと音を立てて、私のお腹が締め付けられる。
「お"お"お"ぉ"ぉ"ぉ"!!!!
呼"吸"か"!!!!
苦"し"い"!!!!
私"、思"う"の"!!
こ"ん"な"歳"か"ら"、コ"ル"セ"ッ"ト"を"す"る"必"要"な"ん"て"な"い"っ"て"!!!!」
体質のおかげで痛みを感じることはないものの、そのせいでただ内臓が潰される感覚だけがある。
それが若干気持ち悪い感覚なのである。
おまけに内蔵が押し上げられることで肺が圧迫され、息苦しさが残る。
だいぶ慣れたものの、それでも苦しいものは苦しい。
「よく頑張りましたね。」
そう言って私の頭を撫でるエレーナ。
勿論、メイドたちが着用しているメイド服にもコルセットが使われているが、エレーナは少しの悲鳴も上げずに着る。
毎回ぜぇぜぇはぁはぁ息を切らしている私とは雲泥の差だ。
「さぁ、背中のチャックを上げますので、髪を持ち上げてください。」
私は気怠く腕を後ろに回し、後ろ髪をゆっくりと持ち上げる。
エレーナは私の背中を触ってチャックを見つけると、それを上げた。
「さぁ、次は髪ですね。
いつも通り、ハーフアップでよろしいですか?」
「うん。」
「それでは、座ってくださいね。」
私が椅子に座ると、エレーナはゆっくりと私の髪を梳かし始めた。
サーと波のような音が静かな部屋に反響する。
「毎回思うんだけど、どうやって目を使わずに仕事してるの?
私の身の回りのお世話だけじゃなくて、部屋の掃除とか料理とかもやってるけどさ、ずっと疑問なんだよね。」
「魔法です。」
「魔法?」
「はい。
『気配感知』という風属性魔法です。
空気の流れから周囲の状況を把握する魔法です。
修練を積めば、僅かな空気の流れで数十キロ先にいる人間を見つけられます。
私はまだそのレベルではないのですが、部屋の埃を見つけ出すくらいなら出来ますので。」
「何それ、チートじゃん。」
埃を見つけられるくらいの精度なら、コルセットの紐の位置だったり、ワンピースのチャックの位置だったりを把握出来てもおかしくない。
「本当は魔法を使いたくはないのですが、仕事ですからね。
やむを得ません。
それにそもそもの話、『空気感知』は実際に見ているわけではありませんので、頭の中の景色と実際の景色には多少の誤差が必ず発生します。
なので、『空気感知』で発見したとある対象に実際に触れようとしたら、最終的に手探りで探すことになります。」
「あー、その誤差があるから、掃除の後、私にチェックをもらいに来るのか。」
「はい。
埃の場所を把握することは出来ても、それが実際にきちんと取れているかどうかは分かりませんから。
『空気感知』に反応しない汚れなどが残っているかもしれませんしね。」
エレーナはそう言うと、長めのリボンを手に取り、私の髪をまとめ始める。
「なんか今日のリボンいつもより長くない?」
「いつも同じ髪型だと味気ないので、今日はいつものハーフアップに少しアレンジを加えてみようかと思いまして。」
そう言うとエレーナは、私の髪を編み込み出した。
編み込み終えると、編み込まれた髪の隙間にリボンを通し、余った部分のリボンを後頭部で髪と共に可愛く蝶々結びにした。
まるで頭に大きな蝶が止まっているようだ。
その後、下ろしてある髪の一部をロープ編みにし、それを頭頂部を通すようにして頭の反対側でピンで留めた。
「さあ、完成しました!
大きいリボンの編み込みハーフアップwith疑似クラウンブレイドです!!」
エレーナはそう言って、私の方に鏡を向ける。
そこに映っていたのは、
ーーーとんでもない美少女だった。
え?
これが私??
「す、凄い……!」
ま、まさか私にここまでのポテンシャルがあるとは思わなかった。
我ながら、とんでもなく可愛いと思わざるを得ない。
今までで一番お姫様感が出ている気がする。
髪型だけでここまで変わるものなんだと、私は驚く。
元・華の女子高生が何を言ってんだ?と思われるかもしれないが、日本に居た頃の私は元が良かったというのもあって、おしゃれにあまり気を使わなかった。
ただでさえ容姿がまあまあ良いせいで同性に妬まれてたっていうのに、更に良くしようとするのはリスクしかない。
なので、髪をおしゃれな感じにするのは、杏奈時代を含めても今回が初めてなのだ。
にこっと笑みを浮かべてみると、鏡の中の私も笑みを浮かべる。
その笑みはとんでもない破壊力だった。
マズい。
このままじゃ、エレーナみたいに容姿に絶対的な自信を持つ化け物になってしまう。
それにしたって、視覚を『空気感知』に頼っているにも関わらず、人の髪をここまで弄れるエレーナ。
手先、どんだけ器用なの?
「お気に召しましたか?」
「うん。
死ぬまでこの髪型で良いかもしれない。」
「そんなにですか?!
ちょっと待って下さい。
それは話が変わって来ます。
わたくしも見たいです。
目隠し、外させていただいても、よろしいですか?」
「駄目に決まってるでしょ!!」
数分かかって荒ぶるエレーナを抑えると、私はあの作戦についての話題の提示した。
「そういえば、お父様とお母様が話しているのを小耳に挟んだんだけど、ルイスさん、今日から城にしばらく常駐することになるんだって。」
「そうなんですか。
となりますと、今がチャンスかもしれませんね。」
「うん。」
あれから数週間、私たちはルイスとレイリーにかけられた呪詛を解くため、なんとか二人に接触しようと試みたものの、そもそも私はほぼ一日中家庭教師に授業してもらっている身であり、エレーナは新人メイドとしてメイド長であるナナからの指導を受ける必要があったため、二人を探して回るほどの時間を取ることが出来なかった。
しかし、城に常駐するとなれば、城内のどこかですれ違うことがあるかもしれない。
「呪詛をピンポイントで霧散させるには、対象と接触する必要があるという制限のせいで苦戦を強いられましたが、やっと好機が巡って来ましたね。」
「でも、問題はレイリーさんだよね。
城内からほとんど出られない私たちと、王からの許可がないと城内に入れないレイリーさん。
私たちがどうにかして街に出ないといけないわけだけど……。」
「まあ、それはルイスさんの呪詛を解いてから考えましょう。
そのうちチャンスはやって来るでしょうから。
今回のように。」
「そうだね。
今は目の前のことに集中しよう。」
私たちは授業や指導が始まるまでの間、ひたすら作戦を練った。
しかし、結局良い作戦は生まれなかった。
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その日の夜、エレーナと共に就寝の準備をしていると、エレーナが何かに気づいたかのように窓の外に顔を向けた。
不思議に思い、エレーナに「どうしたの?」と訊くと、神妙な面持ちで彼女は答えた。
「どうやらルイスさんが森に向かったようです。」
「森?
こんな時間に?」
「はい。
ですが、問題はそちらではありません。
ルイスさんと共にもう一人森に入って行ったようなのですが、その方の魔力が少し不可思議といいますか……。」
「どういうこと?」
「魔力がやたらと濃いのです。
これは体内にある魔力が外に漏れ出ないように、自身で抑えつけた際に起こる現象なのですが、その濃さが尋常じゃないんです。
あれを放出したら一つの国が崩壊するレベルの濃さです。」
「な、何それ?!」
エレーナ曰く、国が滅ぶレベルの魔力を体内に抑え込んでいる人間が、ルイスと共に森の中に入って行ったらしい。
にわかには信じがたいが、エレーナが私に嘘を吐くとは思えない。
嘘を吐くくらいなら黙っておくだろうから。
「なんかとんでもない怪物が、城内に紛れ込んでるってこと?」
「そういうことになりますね。
しかし、少しおかしいですね。
これほどの魔力ですと、わたくしの『空気感知』にすぐ引っ掛かりそうなものですが……。
どうして今まで気づけなかったのでしょう……?」
私には『空気感知』を使うことが出来ないので、そういった感覚はよく分からない。
ただ一つ言えることは、これを放っておくことは、あまり良くないということだ。
「エレーナ、見に行ってみよう。
ダッカスがルイスさんを監視するために強者を雇ったという可能性は否定できないけど、もしかしたらダッカスの件とは違う別の事件に巻き込まれてる可能性もある。
もしルイスさんの身に何か起こったら、ギル兄様からの『ルイスさんとレイリーさんの死の呪詛を解く』っていう依頼を達成出来なくなっちゃうから、万が一のことを考えて一応……、ね?」
「分かりました。
ですが、夜も遅いですし、こんな時間に森に行くのは難しいのでは?」
「それに関しては大丈夫。」
私はそう言うと、『星矢杏奈』状態に変身して部屋の窓を開けた。
「一体何をする気ですか?」
私はそう言って戸惑うエレーナをお姫様抱っこし、窓の桟に足を掛ける。
エレーナはお姫様抱っこされた瞬間顔を赤らめて乙女チックな表情を浮かべたが、すぐさま私のしようとしていることを理解し青ざめた。
「ま、待ってください……。
嘘ですよね……?
ここから飛び降りるとか言いませんよね……?」
「流石エレーナ!
察しが良いね!
うっかり落ちないように、しっかり捕まっといてよ!」
「待ってください!
ここ地上何メートルだと思ってるんですか!
死にます!
死んでしまいます!」
「私は死なないから大丈夫!
エレーナも、もし死んじゃったとしても権能で復活できるから大丈夫!」
「そ、そういう問題じゃ……、ひぃっ……!!!!」
「あんまり叫ばないでよ?
お母様たちにバレたら、色々言い訳が面倒だから。」
「む、無理ですよ!!!!
きゃ、きゃああああああぁぁぁぁぁぁ~~~~~~!!!!!!」
私の藍色の髪とエレーナの長く赤い髪が月明りに照らされながら綺麗に靡く。
エレーナの大絶叫を辺りに響かせながら、私たちは満月が照らす森の中へ文字通り飛び発った。
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夜の森は暗くて寒い。
しかし、今日は普段より月が明るいため、森の中にもある程度の明るさがある。
でも、暗くないと言ったら嘘になる。
暗い場所といったら心霊である。
深夜11時50分、森の中。
私は蹲って動けなくなっていた。
「ソフィ様、先程までの勢いはどこに行ったのですか……。」
「今日、いつもより月が明るいから大丈夫だと思ったんだよ……。
でも、全然大丈夫じゃなかった……。」
「はぁ……。
これでは、わたくしは一体何のために怖い思いをしたのか分かりませんよ……。」
呆れたように溜息を吐くエレーナ。
でも、しょうがないじゃないか!
暗くて寒くて怖い場所は苦手なんだから!
「エレーナ、『髪光』使ってよ……。
明かり……、欲しい……。」
「ソフィ様のお願いでも、森の中で『髪光』するのはちょっと……。
虫が寄って来たら嫌ですし。」
「虫は私が何とかするから……!
目で見えるものを怖がらないでよ……!!」
「わたくし、虫を見れないのですが……。」
「あ……、そうだったね……。」
主として私が覚悟を決めなければいけない。
それはとうに分かっている。
私が頑張らなければならないのだ。
私はゆっくりと立ち上がり、エレーナの腕にしがみつく。
「ソ、ソフィ様?!」
「ご、ごめん……。
腰が抜けてまともに歩けそうにないから、しばらくこうさせて。」
「わたくしとしては願ったり叶ったりですが……、大丈夫ですか?
今日が駄目そうなら、次の機会でも……。」
「エレーナも分かってるでしょ?
次の機会があるとは限らないって。
今を逃して、もしルイスさんの身に何かあったら、取り返しのつかないことになる。
だから、行かないと。」
私がそう言うと、何故か急にエレーナが泣き出した。
「エ、エレーナ?!
ど、どうしたの?!」
「ご、ごめんなさい……。
ソフィ様があまりにもかっこ良くて、思わず涙が……。」
「や、やめてよ、恥ずかしい!!
ほら、行くよ!
ルイスさんがいる場所まで、早く案内して!」
「はい……。」
ソフィアリス全肯定botは鼻を啜りながら、歩き出した。
一人の怖がり屋を腕に引っ提げて。
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森の中を進むこと約十分。
突如、前方に青白い光が見え始めた。
「な、何?
何の光?」
「分かりませんが、あの光のすぐそばにルイスさんともう一人の人物がいるようです。
『空気感知』による情報から推測するに、あの光はルイスさんと共に森に入ったもう一人の人物が出している光だと思います。」
「もう少し近づいてみよう。」
私がそう言って一歩踏み出したその瞬間、謎の光の方向からとんでもなく強い風が吹いて来た。
しっかり大地を踏みしめていなければ、吹っ飛ばされかねない。
「何?
この凄い風!」
「これはマズいですね。
このままでは、ここら一帯が吹き飛ばされてしまいます。」
「エレーナ、なんとかできない?」
「あの光の辺りで莫大な魔力が渦巻いているんです。
あれを霧散させることができれば、なんとかなります。」
「本当?」
絶望的な状況ではないことに安堵して笑みを浮かべる私とは裏腹に、エレーナは酷く険しい顔をする。
不思議に思い、私は訊く。
「どうしたの、エレーナ?
もしかして、エレーナでも霧散できないほどの魔力なの?」
「いえ、霧散させられます。
ですが、それをするなら、わたくしは『魔女』にならなければなりません。
それが嫌で……。
ですが、背に腹は代えられませんよね。
仕方ありません。
ソフィ様、わたくしの美しさが少し削がれること、お許しください。」
エレーナはそう言うと五歩前に出た。
そして右腕を横に上げ、「出でよ、『聖杖ケリュケイオン』!』と凛とした声で言い放つ。
すると、手元から神々しい光が溢れ出し、それがゆっくりと杖の形へと変化していく。
光が消え去った時、エレーナの右手には赤い目の白蛇が巻き付いた金色の杖が握られていた。
エレーナがその杖で地面を突く。
すると、地面に神々しい光を放つ巨大な魔法陣が展開される。
「我が魂は魔力の形、我が血液は陣の形。
全てを女神に献上し、今、魔法の礎とならん。
消滅、霧散、抹消。
あらゆる事象を零に帰し、原点へと回帰させよ。
それは全てを『喰らう』者。
出でよ!
『完全なる暴食者』!!!!」
詠唱が終わったその瞬間、大きな揺れと共に、魔法陣の下からゴゴゴという大きな音が鳴り出す。
それは次第に大きくなっていき、魔法陣の色が黒く染まり始める。
そしてーーー
ーーー大きな口がついた影のようなものが無数に現れた。
ルイスの近くから放たれている謎の光を取り囲むようにして現れた正体不明の『それ』は、四方八方から光に向かって動き出した。
そして光の元に辿り着くと、それをバリバリボリボリと音を立てながら、喰らい始めた。
「な、何あれ……。」
私は目の前の光景が受け入れられず唖然とする。
そんな私を見て、エレーナが諭すように言う。
「ソフィ様、わたくしが魔法を嫌う理由が分かりましたか?
魔法とは本来、酷く醜いものなのです。
突き詰めれば突き詰めるほど、その本来の形に近づいていく。
どんな魔法も多かれ少なかれ、このような穢れた姿になる可能性を秘めているのです。
魔法に『美しさ』など存在しません。
これが、わたくしが魔法を嫌う理由です。」
茫然としている間に光は全て喰らい尽くされ、影はその姿を消した。
何事もなかったかのように静寂が辺りを包む。
強風でぼさぼさになった髪を手櫛で整えながら、私は言う。
「はぁ……。
髪がぐしゃぐしゃになっちゃった……。」
「後でわたくしが直してあげます。
今はどうなっているか見に行くのが先です。
光の正体が何だったのかも気になりますしね。」
「う、うん……。
そうだね……。」
『魔法』というものの恐ろしさに怖気づいた私ではあったが、ここでゆっくりしている場合ではないことは百も承知。
力の抜けた足がもつれて転ばないよう、出来るだけしっかりと地面を踏みしめ、私はエレーナと共に、ルイスのもとへと歩みを進めた。
ー
ーーー
ーーーーー
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ーーーーーーーーー
賢暦1995年12月中旬
ソフィアリス・ヴィクトリアナが「エレイン・ヂギルセ」と名乗る一人の女性を連れて来る。
メイド長ナナの許可を得て、メイドとして働くこととなった。
ギルバートム・ヴィクトリアナによる宣戦布告から間もなかったため、彼が使わせた刺客かと思われたが、12月下旬現在では特に目立った怪しい行動は行っていない。




