真実の愛
次の日ジャンが貴族に引き取られることを知った。
でもナナは不思議と悲しくなかった。
でもリリは心配して、ナナの腕に手を回す。なんて声をかけるか思案していた。
「どうしたの?」
その姿を不思議に思ってナナが問う。
相変わらずか細い声でリリが言う。
「……だってジャンが。」
リリの言葉にナナはキョトンとする。
「私が悲しむと思ったの?」
リリは頷く。
「キャハッ!悲しまないよ。と言うか嬉しいの。私ジャンが大好き!だからジャンの幸せが1番!」
ナナは少し高揚しつつ、リリを連れて歩き出す。
ジャンの姿を見つけ「ジャン!」とナナが駆け寄る。
ナナの背に隠れるリリ。
「何だよ。ナナ。」ジャンは迷惑そうだ。
「良かったね!貴族に引き取られるなんて!すごい!」
その言葉にジャンは誇らしげになる。
「まあな。お前らは一生ここで過ごすだろうがな。」
「さすがジャン!」ナナは本当に嬉しそうだ。
ジャンは鼻で笑ってどこかへ行ってしまう。
「やっぱりジャン好き!」と言うナナにリリは少し首を横に振った。
ジャンが引き取られる日、玄関で見送ろうとリクとナナとリリが待っていた。
「そろそろなのに。何で来ないの?」とナナが誰にともなく問う。
リクもリリも黙ったままだ。
その時教会の門が荒々しく開いた。
「あっジャン遅かったね。何してたの?」
「あ?あのクソ野郎。見送りにも来なさそうだから、逆に見送られに行ってきた。それだけだ。」
――またカイか。
ナナは小さく拳を握ってから笑う。
「ジャンもうすぐだね!」
「ああ。お前らも選ばれると良いな。」と言ったジャンがリクを見やる。
「でもお前は選ばれるな。腹が立つ。」と言って毒吐いた。
その後到着した馬車に乗ってジャンは行ってしまった。
暫く経ったある日。ナナはリリを連れて、庭で地面を見つめていた。
地面の上にはアリたちが、列を作り行進していた。
「……ジャン。」そう呟くナナの声はどこか恋しそうで、リリはその手をとり握った。
そんな二人の前にカイは立った。
「ナナ。リリ。」
その声に二人はカイを見上げる。
「なぁに。」やはり口を開くのはナナだけだ。
「前に言ってたお願いまだ有効かなと思って。」
――あいつが助けが必要なら、一度だけ助けてやれってこと。
ナナはあの日のジャンの言葉を反芻する。
カイが両手を合わせて見せた。
「僕のお願い聞いてくれる?」
カイの背に夕陽が差し込む。
ナナとリリは眩しそうにその光を片手で遮る。
「もちろんよ!」
ナナの手に力が入ったのを、リリは感じながら大きく頷いた。
「……ありがとう。」
その後カイは、リクが引き取られる前にこの教会を出ると言う。そこでナナとリリに、自分たちが逃げたことを騒がず黙っていて欲しいとお願いした。
同室だからこそ、自分たちが逃げたことを隠しきれないと悟っての行動だろう。
ナナとリリの承諾を確認してカイは立ち去る。
ナナは呆れたように「だから嫌いなの。」と呟く。
リリが困った顔をしている。
「カイはダメ。本当の愛が何か分かってない。」
リリはナナを見る。
「貴族に引き取られることが、どんなに幸福か分かってないわ。愛しているなら、その人の1番の幸福を願って背を押すべきでしょ?私みたいに。」
リリは頷く。
「でもジャンがああ言ってたし、1回だけ聞いてあげようね。"リリ"」
ナナはリリの顔を見て、名を呼ぶ。その響きとその視線に少し固まった。
果たしてその呼び声は、本当に自分に向けられたものだったのだろうか。
リリは唾を軽く飲んで小さく頷いた。
その後本当にカイとリクは教会から逃げ出した。
カイとリクが逃げ出したことは朝の食堂で明るみになり、リクを貴族に引き渡す手筈だった牧師は怒りを露わにした。
二人が逃げたことを、同室だったナナとリリが気づかない訳がない。そう言って、鞭打ちの罰を科された。
修道女は力の限り、鞭を振るい怒鳴り散らした。
暫く鞭を振るい続け、部屋には二人の悲鳴と鞭の音が鈍く響く。
どのくらい経ったのか。
修道女は何も言わずに、出て行った。
残された二人は床に這いつくばる。
鞭に打たれた背中や足が痛い。ズボンの裾から覗く、細いふくらはぎがミミズ腫れができている。きっと見えない服の下も同じだろう。
堪えきれなくなったリリが啜り泣く。
「……ぃたい。……痛いよぉ。」掠れた小さな声が悲痛だ。
「……これがナナの愛なの?」涙を啜りながらポツリとこぼす。
「キャハハ!」その言葉にナナは笑いだす。
そして床に這いつくばったまま、手を伸ばし曲げてを繰り返しリリに向かって前進する。
リリのもとまで来ると、ナナは腕を垂直に伸ばし上体を起こした。
リリを見下ろすように。
リリは床に横顔を貼り付けたまま、目だけを動かしナナを見た。
ナナは恍惚とした顔で笑っている。リリは動けない。
「そうよ!これが"ナナ"の愛!」そう言ってまた笑い出す。
リリは微笑んだ。
「……私はあなたで、あなたは私。」あの日の言葉を呟いて。
その後数日間、自由な部屋の出入りや食事は許されなかった。
それでも死んでは困るらしい。井戸から汲んだ水が入った桶が部屋に置かれた。三日目の朝にはいつものパンが一つだけ、修道女によって部屋に投げ込まれた。
必ず一日に一回様子を見に牧師も部屋へ来た。
その度に牧師は一方的に二人を責めた。いつもは牧師らしく仰々しい言葉遣いも、その時は影を潜めた。
部屋へ来る時の今までの短い話を整理して、足りない部分は想像で補ってみる。
どうやらリクの引き渡しが上手くいかず、代わりに引き渡した子供が条件に見合わなかったようだ。子どもを引き渡す代わりに、寄付金か何か要求していたのか。予定通り受け取れず、牧師は不満らしい。折り良くある商会が働き手が欲しいと、近々この教会に代表者が訪れるらしい。
牧師はその日まで謹慎とし、商会の代表者の前には決して出るなと命令をして出ていった。
商会の代表者が来る日、二人は並んで寝台を背に床に座り込んでいた。
寝台は以前ジャンが使っていたものだ。
二人は肩を寄せ合い、部屋の扉を眺めていた。
「……ご飯まだかなぁ。」ナナの呟きにリリが少し頷いた。
その時、廊下が騒がしくなる。
ガチャッとドアノブが動く。ゆっくりと開かれる隙間から焦る牧師の声が飛び込んできた。
「……んな!困ります!勝手をされては!」
「勝手?私はここの全ての子どもを見せて欲しいと、事前に知らせた筈ですよ。今更覆すなんて、ナンセンスだわ。」
賑やかしい女の声が聞こえる。
声の主が扉を大きく開いた。
ふくらはぎを包むヒールのあるブーツは、幾重にも紐が交差し結ばれていた。その片足が部屋の中に向かって伸びる。
「さぁて。私のお眼鏡に見合う。鉱石ちゃんがいるかな?」
女は血を薄めたような色の髪をしていた。腰まで長いウェーブかかった髪を後ろで束ねている。
「……女神さま?」小さくリリが呟いた。
中に入るかと思われた女は、その翠の瞳で二人を捉えた途端にくるりと牧師に向き直った。
「……これはどういうことかしら?」
牧師はたじろぎながら「いや。これには訳がありまして。」と笑う。
「はぁ。」女がため息をつく。
「良いわ。このアメジストちゃんとオパールちゃん。私が貰っていきましょう。」
「えっ?いやいや、何をおっしゃる?他にもっと良い子どもが、うちにはいくらでもいます!」と牧師が慌てる。
「いいえ。もとの言い値の倍で2人分払うわ。」
その言葉に牧師は両の手をすり合わせながら「それなら致し方ありませんな。」と意地汚く微笑んだ。
女が二人の前まで歩を進める。
二人の前に立ち止まる。
「アメジストちゃん。」女はナナに向かって手を差し出す。
次に「オパールちゃん。」と言ってリリにもう片方の手を差し出した。
「こんなところで屑石に成り下がるくらいなら。私のものになりなさい。さあ、来て。」
二人は顔を見合わせてから、ゆっくりその手を掴んで立ち上がった。
女は二人を伴い馬車に乗り、屋敷へ戻った。
道中全く喋らない女をただ二人は黙って見ていた。馬車が屋敷につくと、女は何も言わず降りていく。二人は慌ててその後を追った。
馬車を降りた女に向かって、使用人たちが頭を垂れて「おかえりなさいませ。お嬢様。」と口を揃えた。
「あなた。ちょっとこの二人を磨いてくれない?」
指示を受けた侍女が「かしこまりました。」と言って深く礼をする。
女は屋敷の中へ入っていった。
取り残された二人は互いの手を硬く握りしめ立ち尽くす。
その二人の前に侍女が立つ。
「まずはその汚れを、洗い落とさないといけませんね。」
そういって踵を返す。
「さぁ。いらっしゃい。」
侍女の背を追って通されたのは、磨かれた石造りの部屋だった。真ん中には楕円の縁が高いバスタブが置かれている。湯が張ってあるのか、湯気がたちのぼっていた。
中に入ると床が水捌けのためか傾斜している。
「早くお脱ぎなさい。」
侍女に急かされるまま二人は服を脱いだ。侍女は目の荒さの違う櫛と香油と布をカゴに入れて持ってくる。
二人は指示されるままに座り、頭からお湯をかけられ櫛をとかれる。
初めて触れる温かさに二人はされるがままだ。
背中と足の傷を見て「体を清めるけれど、痛みがあったら仰いな。少し体を温めたら、軟膏を塗るからね。お嬢様のことだから、きっと軟膏を塗るのもお許し下さるわ。」
身綺麗にされた二人はバスタブに浸かる。
それを確認した侍女が「軟膏を用意するわ。」と部屋を後にした。
暫くして部屋の扉が音を立てて開いた。
――さっきの侍女……
……カツ、カツ、石の床に跳ねる高い足音が響く。扉が閉まった。
――じゃない。
ガッ、ギー……。足音とは別で、何かを引きずる音も鳴る。
二人は静かに手を繋いだ。
足音が止むと同時に、ダンッと何かを置く音がした。
また足音が少し鳴り、トスッと落ちる音を立てた。
二人は恐る恐る音のする方を見る。
そこには椅子の上に座る、薄紅色の髪の女がコチラを見ていた。
「ふふっ驚かせちゃったかしら?」女は笑う。
「自己紹介、まだだったでしょう?今日からあなたたちの主。セリナよ。よろしく。」
セリナは片足を上げて、足を組む。
「……やっぱり私の思った通りかしら?」
セリナは両手を組んで、その大きな胸を支える。
ナナとリリは訳も分からずただ見つめる。
――何考えてるのか、分かんない。でもさっき自己紹介って言った……。
リリの手を離し、少しだけバスタブの縁に寄る。
「……私、ナナ。」
「いいえ。あなたは今日から、アメジストちゃんよ。
私は直感でその人の性質、価値観、全てを鉱石で分類するの。私の直感があなたをアメジストだと言ってるわ。」
セリナは眉を顰める。
「でもアメジストは長いかしら。アメジストは紫水晶だから……紫ちゃんにしましょう。呼びやすいわ。」
「コウセキ?アメジスト?何それ。」ナナは戸惑う。
翠の瞳が弧を描く。
「謂わば石よ。石。」
――私が石?
「アメジストは宝石の中でもありふれた紫の石よ。あなたはその中でも、濃い紫ね。石にも意味があるの。アメジストには、真実の"愛"なんて素敵な意味もあるわ。」
"愛"という言葉にナナが反応する。
「キャハッ!それ良い!真実の愛!素敵!」
ナナはバスタブの中で足をバタつかせる。
リリは隅に移動した。湯が跳ねてリリは目を細める。
「あら?紫ちゃんは恋をしてるの?」
「うん。ナナは恋してるの。ずっと。」
ナナは急に立ち上がる。リリは驚いた。
「怒鳴られても良いの。齧られても良いの。ただ愛して、愛して、愛するの!」
ナナは火照る頬を両手で挟み、天井を見上げる。
「あら、それってひどい人じゃない?もっと良い人いるんじゃないかしら?」
ナナは笑う。
「いないわ。ジャンは私に触れることを嫌がらなかった。ちゃんと私を見てくれた。私を無視しない。だからジャンが好き!」
ナナの言葉にセリナは笑う。
「ふふふ。紫ちゃんのそれは真実なのね。その人は、そんなあなたに愛されて幸せね。」
「ありがとう。セリナは貴族でしょう?セリナと一緒にいたらジャンに会えるかな?」
体制はそのままでナナはギョロリと視線を動かしセリナを見る。
「あら?紫ちゃんの愛しい人は、貴族なの?」
セリナは目を見開く。
「違うよ。でも貴族に引き取られたの。」
「そう。それなら私の傍に居たらいずれ会えるかもね。相手の階級や人柄によるけど、私は宝石商のセリナだから。」
ナナは目を輝かせる。
「セリナ。ナナはアメジストでも、石ころでもなんでもいい。傍に置いて?私なんでもできるよ?お願い。」
セリナは腕を組んだまま、指を一定のリズムで叩く。
「話せば話すほど、面白い子ね。正気でそんなことを言えちゃう。アメジストは、どこかの神話で酔わない石と呼ばれているわ。……狂ってる。どこまでも誠実に、純真に愛を語るあなた。やっぱりアメジストがピッタリね。」
セリナがリリを見る。
「オパールちゃんは、何を考えてるのかしら。」
その視線にリリは指をそわつかせながら呟いた。
「……セリナ様。ほんとに綺麗。……リリとナナ助けてくれた。リリの女神様。」
セリナの指が止まる。
「ふふふ。あなたも面白いわ。純真無垢で可愛らしいわ。目の前であなた達を買い叩いて見せたのに。それを希望的に、幸福として想像し受け入れるのね。」
セリナが立ち上がる。
「最高に狂ってて尖ってる。二人とも磨き甲斐があって嬉しいわ。明日から私付きの侍女として、働いてもらうから。そのつもりで。」
セリナはまた椅子を片手で引きずり、部屋を出ていく。
ナナとリリは扉を見つめる。
「……リリ。セリナは私をジャンに、引き合わせてくれるかな?」
リリは小さく頷いて「女神様だもん。」と呟いた。




